第46回 鉄道遺構サイクリング【久比岐自転車道】〜前編

海を見ながらサイクリング! 鉄道遺構が残る久比岐自転車道とは?

 久比岐自転車道は、上越市と糸魚川市を結ぶ、全長約32キロのサイクリングロード。自転車と歩行者の専用道路のため、自転車はもちろん、歩くこともできます。
 ほぼ全区間が海沿いのため、日本海を一望でき、晴れた日には佐渡島や能登半島を眺めることができる絶景ロードとしても知られています。
 また、この久比岐自転車道は元々が旧国鉄北陸本線の線路跡地を利用したものであるため、今も明治末期に造られたトンネル群など、多くの鉄道遺構に出合うことができます
 旧北陸本線は今から112年前の大正元年(1912)12月に糸魚川ー名立間が開業。翌大正2年(1913)4月に滋賀県米原から新潟県の直江津までの全線が開通し、新潟県や北陸三県の人と物の流れに大きな影響を与えたといいます。
 開業当時の線路は単線だったため、上下線のすれ違い場所に信号場があったそうです。
1960年代の高度経済成長期に少しずつ電化・複線化が進みましたが、地形による工事の難しさから、最後まで単線のまま残されたのが糸魚川から直江津までの区間だったそうです。

SLが走る旧北陸本線。現在の名立谷浜IC付近

現在の名立谷浜IC付近の久比岐自転車道

現在の名立谷浜IC付近の久比岐自転車道

 昭和44年(1969)の新線切り替えまで多くの列車が走り抜けていた、その線路跡地を利用して造られたのが現在の久比岐自転車道です。
 この久比岐自転車道には100年以上も前に造られたトンネルが8本あります。煉瓦造りのトンネルや橋脚など、多くの鉄道遺構を、実際に自転車や徒歩で通り抜けるのは、大人もこどもも、ちょっとわくわくするはずです。

実際に走って、見て、知る鉄道遺構・久比岐自転車道【前編】

 上越市虫生岩戸(むしゅういわと)から糸魚川市中宿(なかしゅく)まで、海沿いを走る久比岐自転車道は全長約32キロ。自転車に乗り慣れていないとさすがに1日で走破するのは難しいため、この日は糸魚川からスタートして上越方面へ。どこまで走れるか?と糸魚川市中宿から出発。

※令和6年能登半島地震の影響で、一部通行止め区間があります。出掛ける前に、必ず最新情報を確認しましょう。
●久比岐 凜(久比岐自転車道PRキャラクター)
https://x.com/kubiki1010
●久比岐自転車道イベント・ニュース
https://www.pref.niigata.lg.jp/site/kubiki-cycling-road/
●久比岐自転車道ホームページ
https://www.hrr.mlit.go.jp/takada/kubikicycling/

久比岐自転車道で鉄道遺構を探す【その1】
糸魚川からスタート!

今回のスタート地点の中宿。広い駐車場やトイレ、休憩所もありました

今回のスタート地点の中宿。駐車場やトイレ、休憩所もありました。

海がすぐ目の前。とにかく海がきれい! 

海がすぐ目の前。とにかく海がきれい!

全ルートが描かれた看板でまずはルートをチェック。最初の目的地の白山トンネルまでは約9キロ。アップダウンも少なく、潮風を浴びて走るのはとても気持ちがいい。

鉄道遺構その1白山トンネル


 久比岐自転車道を糸魚川から上越方面に向かって走っていると、まず最初にある鉄道遺構が能生の「白山(はくさん)トンネル」です。大正元年(1912)に完成したこのトンネルは、国が指定する重要文化財・能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)のすぐ近くにあり、能生海水浴場や能生漁港、大きな岩礁(がんしょう)に赤い曙(あけぼの)橋がかかる弁天岩(べんてんいわ)にもほど近いところにあります。

元々煉瓦造りのトンネルですが、現在は補強のために入口やトンネル内部は保護が施され、煉瓦は見えません。けれど注目は入口上部の「笠石(かさいし)」と呼ばれる部分。三角や四角の煉瓦を並べた装飾があります。

元々煉瓦造りのトンネルですが、現在は補強のために入口やトンネル内部は保護が施され、煉瓦は見えません。注目は入口上部の「笠石(かさいし)」と呼ばれる部分。三角や四角の煉瓦を並べた装飾があります。

意匠を凝らした入口上の笠石部分。明治時代はトンネルを支える煉瓦を飾りのように削るのは難しかったそうで、こんなところにも当時の設計者や作り手の心意気が感じられます。

白山トンネルは全長336メートル。自転車なら2分ほど。上越側の入口脇には、トンネルの上に登る階段もありました。

鉄道遺構その2小泊トンネル


 白山トンネルの次にあるのが、小泊(こどまり)集落にある「小泊トンネル」。こちらも大正元年(1912)の完成で長さは326メートル。トンネルは内部で大きくカーブし、その先には遺跡を思わせるシェッド(落石覆い)部分があります。海沿いの国道より少し高台にあるので、シェッドの窓から日本海や道の駅・マリンドリーム能生を見渡しながらサイクリングができます。
 ここはその昔、風雪によって列車が不通になることが度々あった難所だそうで、このシェッド部分は昭和中期に延長されたものだとか。トンネルの天井の高さが、上越側では3.1メートル、糸魚川側では4.26メートルと異なるのも興味深いところです。

上越側の入口です。

鉄道遺構その3百川トンネル

囲んでいる部分が「ピラスター」と呼ばれる煉瓦の柱です。

 小泊トンネルを抜けて走っていくと、次に現れるのが「百川(ももがわ)トンネル」。完成は大正元年(1912)。100年以上の年月を経た煉瓦の色が印象的です。
 入口を縁取る「アーチ冠」や、入口の左右にはピラスターと呼ばれる煉瓦の柱もあります。最上部の笠石には、三角形の煉瓦が用いられた装飾が施されています。

トンネルの煉瓦をよく見ると、段ごとに長さが違う煉瓦を積み重ねている様子が分かります。

 レンガの積み方には様々な技法があるそうですが、久比岐自転車道のトンネルで多く見られるのが「イギリス積み」です。これは幅の短い「小口」の煉瓦のみの段と、幅の長い「長手」の煉瓦のみの段を一段ずつ交互に積んでいく技法で、強度の高い積み方の一つだそうです。

取材協力/糸魚川地域振興局
参考文献/花田欣也・著『鉄道廃線トンネルの世界』(山と渓谷社、2021年)

車内に自転車をそのまま持ち込める
サイクルトレイン(えちごトキめき鉄道)
 久比岐自転車道で通行止めに遭遇してしまった時に、便利なのが「サイクルトレイン」。
 旧北陸鉄道跡地を利用した久比岐自転車道は、えちごトキめき鉄道とルートがほぼ並行しています。えちごトキめき鉄道では、サイクリストのために春から秋まで、糸魚川市市振駅から上越市直江津駅の間「サイクルトレイン」を実施しています。
 「サイクルトレイン」は、車内に自転車をそのまま持ち込めるというサービス。疲れた時にも便利です。

●えちごトキめき鉄道 https://www.echigo-tokimeki.co.jp/

久比岐自転車道からちょっと寄り道。
周辺の自然と歴史、文化を訪ねる【その1】


 日本初の「ユネスコ世界ジオパーク」に認定された糸魚川。ジオパークとは、その土地の地層や岩石、火山、断層や海などの自然とそこに住む人たちの営みについて学べる場所のこと。糸魚川から上越までの海岸沿いを走る久比岐自転車道沿いには、糸魚川ジオパークに認定されている場所がいくつもあります。
 約300〜100万年前の海底火山による噴出物から構成される火山岩類が漁礁となり、海の文化や独特の景観の漁村が生まれた場所があります。
 鉄道遺構だけでなく、この地域の歴史や文化に触れるため、自転車で少し寄り道をしてみました。

能生白山神社


 久比岐自転車道の鉄道遺構・白山トンネル近くにある能生白山神社は、室町時代の特色を色濃く残す古社。
 4件の国の重要文化財をはじめ、多くの文化財を有するため、「文化財の宝庫」ともいわれます。能生白山神社の創建(そうけん)については諸説あり、十代崇神(すじん)天皇の時代とも、文武(もんむ)天皇の時代とも伝えられています。

 国の重要文化財である本殿は、永正12年(1515)の建立。正面の柱が4本あり、柱間の間口が3間ある「三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)」で、前面に一間の向拝(こうはい)を付け、流造りとしては、地方で珍しい規模の建造物といわれます。
 他にも聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)も重要文化財に指定されており、毎年4月24日の春季大祭に奉納される「能生の舞楽」は、重要無形民俗文化財に指定されています。
 境内には宝物殿もあり、聖観音立像のほか、多くの文化財が収められているそうです。

 国の重要文化財である三間社流造の本殿。特に細部の形式が室町時代の特色を示しているといわれています。さらに能生白山神社の「社叢(しゃそう)」、「能生ヒメハルゼミ発生地」の2つが国の天然記念物に指定されています。
 ヒメハルゼミとは、本州のごく限られた地域にだけにしか生息しない小さな蝉(せみ)で、社叢とは境内を囲うように密生している林のこと。能生白山神社の社叢は、地元では尾山(おやま)とよばれ、ここが日本で北限のヒメハルゼミの発生地なのだそうです。
 鎌倉時代には、源義経が武運長久を祈願して立ち寄ったと伝えられ、また松尾芭蕉が梵鐘「汐路(しおじ)の鐘」にまつわる句を詠んだなど、歴史上の逸話も多く残っています。

【御祭神】奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)
【住所】糸魚川市能生7238
【問】025-566-3465

弁天岩


 能生海岸でひときわ目立つ、赤い欄干(らんかん)の曙橋が浮かぶ弁天岩は、約300万年前にフォッサマグナの海底火山から噴出した火砕流堆積物(かさいりゅうたいせきぶつ)の大きな岩礁で、糸魚川ジオパークのひとつです。

 弁天岩には能生白山神社の末社・厳島(いつくしま)神社があり、江戸時代には「市杵島(いちきしま)神社」「岩窟弁財天(がんくつべんざいてん)」とも呼ばれていたそうです。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、御神体は弁財天で、ともに水の守り神です。

 弁天岩は、昔から能生漁港の漁船の道標だったそうですが、昭和24年(1949)に能生港灯台も設置されました。灯台までは険しい石段を登っていきますが、灯台の麓には地元の漁師さんたちが信仰する小さな祠(ほこら)があります。

久比岐自転車道沿いの港町へ

 久比岐自転車道を糸魚川から上越方面に向かって走っていると、小さな港が多いことに気づきます。そしてよく目にするのが海に浮かぶ奇岩。これはフォッサマグナの海底火山から噴出した火山岩類で、それが漁礁となって、海と人の文化が生まれ、風情ある小さな漁村が今も残っています。まず能生小泊地区に自転車で向かってみました。

東洋のアマルフィ? 能生小泊地区の町並み


 山が迫る海沿いの小さな漁村・能生小泊地区。山の斜面に沿って家が何段にも立ち並ぶ光景が、イタリアの世界遺産の町・アマルフィに似ていることから、最近は「東洋のアマルフィ」ともいわれているそうです。小泊地区公民館の金子昌浩館長にお話を聞いてみました。

小泊地区公民館の金子昌浩(かねこ まさひろ)館長。「昔の小泊を記録に残そうと古い資料を集めています。」

 「小泊地区は、港の狭い斜面に沿って住宅が上へ上へと建てられたため、まるで雛人形の5段飾りのように家がギュッと密集した集落となっています。それで「東洋のアマルフィ」とも言われますが、どちらかというと「越後の尾道」の方が近いでしょうか(笑)」と金子さん。
 5層の階段状に作られた集落の中は、まさに迷宮。細く狭い路地や小さな階段が迷路のように入り組んでいるため、車はもちろん、自転車も入れないほど。「路地は昔と全く変わっていません。私がこどもの頃、冬になると波や風で船が流されないよう、漁師が家からロープを引っ張って船を繋いでいたので、路地はロープだらけ。それをまたいで歩いていました。それほど海に近い集落です。」

密集するように建ち並ぶ家々。右側の家は一段低い場所に建てられています。

密集するように建ち並ぶ家々。右側の家は一段低い場所に建てられています。

 ここ小泊地区は、そもそも能生白山神社ゆかりの集落だったという金子さん。「その昔、能生白山神社の境内地に住み、神社に仕えていた六社人(ろくしゃじん)という、それぞれ役割の違う方たちが、生活のために小泊の地で漁業を生業(なりわい)としたのが小泊集落の発祥といわれています。六社人は能生白山神社の春季大祭で、御祭神への神饌(しんせん)などのお仕え神事を行うため、現在にいたるまで小泊地区で脈々と受け継がれています。能生と小泊では集落は違いますが、能生白山神社とそのお祭りは、私たち小泊の住人にとって大事なお祭りです。」

小泊地区を歩くと、コンクリートでできたタンクがあちこちにあります。「これは共同水道タンクで、地区に7個ほど残っています。昔は水に苦労していたので、川の水は洗濯などの洗い物に、飲み水は山の水を利用していて、タンクはその頃の名残です。今もお年寄りは畑の野菜の土を洗い流したり、魚をさばくときに利用していますよ。」と金子さん。

狭く急な階段も地区の至る所で見かけます。

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