第47回 触れて食して縄文文化に親しむ〜「十日町縄文ツアーズ」体験

  新潟県十日町市は縄文時代の遺跡が多く発見され、縄文文化が色濃く残る地域です。市内では縄文文化を伝える様々な活動が行われています。

  その一つが「十日町縄文ツアーズ」。縄文土器としては国内第1号の国宝に指定された火焔型土器が出土した笹山遺跡や、十日町市博物館をガイドや学芸員の方々の解説付きで見学するだけでなく、火焔型土器でスープを作って食べるという、まさに縄文時代を体感する珍しいツアーです。縄文文化をよく知らない初心者から上級者、大人からこどもまで楽しめる内容。今回は見どころをギュッと凝縮した「笹山遺跡ミニツアーと土器鍋体験」に参加してきました。

今回、遠くは大阪、神奈川から縄文ファンの方々が参加し、縄文風のアクセサリーでおしゃれしてツアースタート!

魔除けや身分を示すなどの目的で装身具を身に着けたと考えられます。こちらは日本海のベンケイガイ(左)、糸魚川産のヒスイ(右)を使って縄文時代のアクセサリーを再現

笹山遺跡で縄文時代の暮らしをたどる

笹山遺跡は平成4年(1992)に十日町市の史跡に指定されました。

  最初に向かったのが、JR十日町駅から車で約10分の「笹山遺跡広場」。笹山遺跡は市営野球場などの建設に伴い、昭和55年(1980)から発掘調査が行われ、縄文時代の集落跡が発見されました。それ以降第14次までの調査が断続的に行われています。集落は縄文時代中期の紀元前約3,500年(今から約5,500年前)から約1,200年の間、存続したとされます。縄文土器では全国で初めてで唯一国宝に指定されている火焔型土器をはじめ、生活に使われた土器や石器、儀式などに使われた土偶(どぐう)や石棒(せきぼう)などが20万点以上出土しています。

今回、案内していただいた阿部美記子(あべみきこ)さん。市民グループ「伊乎乃(いおの)の里・縄文サポートクラブ」の代表として、笹山遺跡を中心に、イベントや遺跡ガイドなどで縄文文化を伝えています。

  広場には2棟の「竪穴建物(たてあなたてもの)」が復元されています。竪穴建物とは地面に穴を掘り、そこに柱を立てて屋根をかけた建物のこと。柱が立てられた穴や火をたく炉の跡などが発見され、その状態をもとに復元しているそう。集落にはお祭りなどを催す広場を囲むように竪穴建物が建っていて、現在のところ約130軒分の跡が発見されています。

竪穴建物の中は自由に入ることができます。

 

「神奈川県の遺跡にある竪穴建物に比べて、かなり広く感じます。」と県外から参加した人が話していました。

  雪国の竪穴建物は、長い冬の間の食材や焚き木を貯めておくため、ある程度のスペースが必要だったそうです。雪の重さに耐えうるように柱が太いのも雪国ならでは。厳しい冬に知恵と工夫で向き合う人間力の強さは、縄文時代から今に連綿と受け継がれています。

柱はタンニンが豊富で腐りにくい栗の木が使われています。

建物の中央に火を焚く石囲炉(いしがこいろ)がありました。

屋根の部分は出土していませんが、煙を排出する換気口などは推定で作られているそうです。

  次は竪穴建物を出て広場に建つ「土器モニュメント」へ。国宝・火焔型土器のうち最も有名な「指定番号1」が出土した時の状態を再現した碑です。その出土した時のエピソードがすごいのです。出土したのは発掘調査期間のなんと最終日。撤収作業が始まる中、土の色が少し違う場所があることに気がついてもう少し掘ってみると、土器が逆さになった状態で埋まっていたといいます。

土器モニュメント。地表から約1.5メートルの地点で発見されました。

欠けていた底部は出土して保管されている数十万点の破片からその部分を発見し、全体の復元に成功したのだそう。

  土器モニュメントの前に広がる野原も、掘れば縄文時代の遺物がたくさん出てくるそうです。もっと発掘調査しないのかと聞くと、阿部さんは「むやみには掘らず、後世に残します。今の技術では分からないことも、将来いろいろな分野で技術が発達すれば分かるようになるかもしれません。遺跡を保存して残すことで歴史的・文化的な価値を未来の世代に伝えていくことが大事なんです。」

未発掘エリアは十日町市指定文化財として保存・保護されています。

  平成23年(2011)以降に笹山遺跡を発掘調査した時の出土品が広場中央に建つ「笹山縄文館」に保管され、現在もそこで整理作業が行われています。普段は関係者以外入ることができない整理室を見学させてもらいました。

笹山縄文館が建っているところが、集落の中心、儀式などを行う広場があったとされます。

  整理室に一歩入ると、土器の数の多さと形や文様の多彩さに圧倒されます。それらは東北や北関東、北陸などの土器との共通点が見られるものも多く、縄文時代には既に信濃川などのルートを通じて様々な地域との交流があったことを物語っているのだとか。土器づくりは主に女性が担っていたそうで、北関東や東北などの地域から集落に嫁いだ女性が、出身地の流儀とこの地域の流儀をミックスして土器を作り、様々な地域の特徴を持った土器のスタイルが誕生していったと考えられています。

整理室の中。復元された土器がズラリと並んでいます。

シンプルに縄目だけやアルファベットの「J」や「の」の字、渦巻のような文様など東北や関東、様々な地域の流儀が土器に反映されています。

欠片を一つ一つ組み合わせて土器を復元していきます。

土器を触ることもできます。焼きしめられた土の硬さや厚みを肌で感じました。

参加者は火焔型土器を持って記念写真を撮ることもできます。

火焔型土器で作った縄文の食を味わう

  再び竪穴建物に戻ると、土器が炉にかけられ、ぐつぐつとスープが煮込まれていました。お待ちかねの「土器鍋体験」です。調理に使った土器は、国宝・火焔型土器を精巧に再現したのだそうです。実際に土器で煮炊きしたものを縄文人と同じように食べられるとは、なんとも貴重な体験です。

湯が沸くまで約1時間はかかるそうです。

  遺跡から出土した火焔型土器は、内側に残っていたコゲや煮こぼれの跡から煮炊きに使われているものもあります。ただ日常使いではなく、儀式などの特別な場面で使われたのではと推察されていますが、まだその証拠は見つかっていないそうです。

使い勝手が良いとは言えず、儀式用と言われるのも分かります。

  縄文時代中期には気候が暖かくなり、植物、動物、魚と食材が豊富にあったそうです。今回作ってもらったスープは、縄文人が食べていたとされるキノコ類やサトイモ、鮭などを具に、しょうゆで味を整えてあり、とてもおいしいものでした。「縄文人はグルメでした。いろいろな食材を使って出汁をとり、おいしく食べていたのではないでしょうか。塩は交易品だったと思いますが、もしかしたら塩分濃度の高い温泉から塩も取っていたかもしれませんね。」と阿部さん。笹山遺跡ではアズキやクルミのかけらなども見つかっているそうです。

煮炊き用だけでなく、皿としての土器もありました。

「縄文クッキー」はアク抜き後に粉状にしたドングリにクルミなどを加えて焼いたおやつ。今回食べたのは蜂蜜入りでほんのり甘いクッキーでした。

縄文時代の人たちは家族や仲間と共同で食材を集め、調理して食事を楽しみ、集落の一体感を強めていったそうです。

十日町市博物館で国宝の土器と対面

令和2年(2020)6月に新築移転オープンした十日町市博物館

  ツアー最後に訪ねたのは「十日町市博物館」。「雪と信濃川」「織物の歴史」「縄文時代と火焔型土器のクニ」と3つのテーマに分かれ、十日町市の自然と歴史、文化を展示やバーチャル体験を通じて知ることができる博物館です。最大のお目当ては、やはり国宝の縄文土器。常設展示され、ここに来ればいつでも見ることができ、フラッシュや三脚を使わなければ撮影も可能です。

  見学は17時の閉館後。貸し切り状態のぜいたくな見学でした。「縄文時代と火焔型土器のクニ」の展示エリアでは、引き続き阿部さんが案内をしてくださったので、笹山遺跡で聞いた話と重ね合わせながら、理解がより深まりました。

1万年以上も続いた縄文時代とはどういう時代だったのかを確認。数千年おきに温暖な時期と寒冷な時期が交替する気候変動があったため、食べ物も暮らし方も変わっていきました。

  火焔型土器は紀元前約3,300年(約5,300年前)から紀元前約2,800年(約4,800年前)までの500年間、ほぼ新潟県だけで作られていました。いわば、新潟固有の土器。一方で独特な形や文様が生まれた背景には、様々な地域の影響があったとされます。火焔型土器がなぜ新潟固有の土器となったのか、誕生の背景や分布状況などの展示が続きます。

十日町は様々な地域の土器型式が多く重なり合う地点。他地域の流儀が融合、発展して火焔型土器が生み出されたといわれています。

火焔型土器が確認された遺跡は、そのほとんどが新潟県内にあります。特に津南町、十日町市、長岡市にかけての信濃川流域に集中しています。

  そしていよいよ国宝展示室です。笹山遺跡から出土した火焔型土器を含む土器・土製品、石器・石製品、ベンガラ※塊など928点が平成11年(1999)6月7日付けで国宝に指定されました。深鉢の縄文土器は57点で、そのうち火焔型土器は14点。一体どんな土器が待っているのか、期待が膨らみます。

※ベンガラ:土や鉱物から採取された酸化鉄を主成分とする赤色の顔料

照明が落とされ、厳かな雰囲気が漂っています。

中央展示ケースの国宝・火焔型土器は360度、好きな方向から見ることができます。

  最初に目に飛び込んでくるのが展示室の真ん中にある火焔型土器。この日は国宝・指定番号6が展示されていました。ニワトリの頭のような4つの突起(鶏頭冠突起(けいとうかんとっき))、口縁部にはフリルのような突起(鋸歯状突起(きょしじょうとっき))、縄目の文様ではなく紐状の粘土がS字や渦巻を描くように張り巡らされた胴部と、これぞ火焔型土器という姿です。

国宝・指定番号6の火焔型土器。中央展示ケースは国宝・指定番号1と指定番号6が入れ替えで展示されます。

こちらは国宝・指定番号1の火焔型土器。指定番号6より大きく、その複雑な造形美と技術の高さから縄文文化を象徴する代表的な遺物とされています。

完全に近い形の縄文土器が多数展示されています。

  縄文文化の展示はまだまだ続きます。土器同様に土偶などの土製品や生活道具の石器などは縄文時代の十日町の暮らしを紐解く重要な鍵となります。国宝のほか、十日町市内に点在する遺跡の出土品も展示されています。

縄文時代草創期(約17,000年前~約11,500年前)の土器が信濃川と清津川の合流地点で多く見つかっています。当時の人々は鮭の遡上時に合わせて移動し、生活していたようです。

縄文時代中期(約5,500年前~約4,400年前)は土偶を利用して儀礼が執り行われ、死者を葬るための墓も作られていきました。⑮⑯は国宝

磨製石斧で木を切り、打製石斧は土掘りに使っていました。写真青枠内の石斧は国宝

木の実などをすり潰す磨石と台として使われた石皿。重い道具の存在は縄文時代中・後期(約5,500年前~約3,200年前)には本格的な定住生活を行っていたことを示唆するそうです。

大きさも形も様々な耳飾り。縄文時代後・晩期(約4,400年前~約2,400年前)には直径6㎝ほどの耳飾りも。写真青枠内は国宝

  見学の時間は1時間30分とたっぷりあり、他のテーマの展示もゆっくりと見ることができました。

3つの展示テーマのひとつ、「織物の歴史」の展示室。縄文時代の布・アンギンから現代まで織物の技とデザインの素晴らしさを堪能し、しばし時間を忘れて見とれてしまいました。

  ツアーの締めくくりは、縄文グッズがそろうミュージアムショップ。ツアー時は閉館後も貸し切り営業しているため、買い物を楽しむことができました。ここでしか買えないオリジナルグッズも発見。

出土品をモチーフにしたグッズや織物製品など十日町の特産品で品揃えも豊富

おすすめは「縄文はんこ」。なんと製作者は案内してくれた阿部さんです。

  今回参加した「笹山遺跡ミニツアーと土器鍋体験」はわずか4時間のツアーとは思えないほど内容が充実していました。阿部さんの説明が楽しく、縄文文化への興味がどんどん湧いてきました。もちろんツアーではなくても笹山遺跡広場や十日町市博物館の見学はできますが、やはり案内や説明があると理解も親しみもより深まると感じました。

  この十日町縄文ツアーズは2種類あり、今回のミニツアーともうひとつのプラン「笹山遺跡と縄文レストラン」があります。笹山遺跡広場での見学は今回と同じですが、博物館は学芸員の方が解説し、より学術的なとっておきの話が聞けるかもしれません。そして笹山遺跡を舞台に一夜限りの縄文レストランが出現。考古学者と管理栄養士がプロデュースした縄文食を、お弁当スタイルでいただきます。もちろん土器鍋もありますよ! 十日町縄文ツアーズは春、秋、冬に開催されます。

取材協力/
「十日町縄文ツアーズ」お問い合わせ先
(一社)十日町市観光協会
新潟県十日町市旭町251番地17 十日町市総合観光案内所内
電話:025-757-3345

十日町市博物館
新潟県十日町市西本町1丁目448番地9
電話:025-757-5531

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