第49回 佐渡島最古の金の産地で砂金とり体験

 新潟県内初の世界遺産「佐渡島(さど)の金山」には、2つのエリアがあります。

 佐渡島の金山と聞くと、まず相川鶴子(あいかわつるし)金銀山が思い浮かびますが、実は佐渡島で最古の金の産地は、佐渡の南西部に位置するもうひとつのエリア・西三川砂金山です。

西三川砂金山最大の採掘場(稼ぎ場)跡である虎丸山(とらまるやま)。掘り崩されたことで露出した赤い山肌を今も見ることができます。

 西三川砂金山の歴史は古く、12世紀の「今昔物語集」にも登場しています。「能登国(のとのくに)の金掘りが佐渡島に渡り、20日あまりで千両もの金を持ち帰った」という記述があり、それが西三川だったのではといわれています。
 また天正17年(1589)、佐渡を支配した越後の上杉景勝は、西三川砂金山の再開発を行い、文禄2年(1593)頃から産出された砂金は豊臣秀吉に納められるようになりました。
 江戸幕府の直轄となった17世紀からは独特の方法で大規模な採掘が行われるようになりました。それが「大流(おおなが)し」という方法です。

佐渡西三川ゴールドパーク内の資料展示室では、西三川砂金山の歴史や採掘方法を詳しく知ることができます。

 西三川砂金山は、地層の中に砂金が含まれた「堆積砂金鉱床」という世界的にも珍しい鉱山です。地層の中の金を取り出すためには、土砂を取り除かなければなりません。「大流し」とは、山裾に水路を作り、その水路に向かって人力で山の地層を掘り崩し、さらに堤(つつみ)に溜めた水路の水を一気に流して土砂だけを流し、底に沈んだ砂金を採取する方法です。

 他の物質より質量が重い金の特性と、水の勢いを生かしたこの砂金採掘方法は、日本で唯一といわれています。

元新潟県文化行政課世界遺産登録推進室長・
小田由美子さんに聞く 西三川独特の砂金採掘方法「大流し」

小田由美子さん。元新潟県文化行政課世界遺産登録推進室長。専門は考古学。県職員として発掘調査等に携わった後、19年間にわたり世界遺産登録推進を担当。令和2年(2020)に世界遺産登録推進室長となり、定年後も令和6年(2024)まで専門調査員として従事。現在も佐渡島の金山についての講演を各地で行っています。

―大流しという砂金採掘方法が行われるようになったのは、江戸幕府直轄になってから。この方法を幕府は知っていたのでしょうか。

小田 秀吉や家康の時代は、スペインやポルトガルから様々な技術を入れていましたから、そこから学んだのかもしれませんし、あるいは中国から伝わったのかもしれません。ただ中国の砂金採掘はオーソドックスに川をさらう方法が主流だったようですから、西三川の「大流し」は世界的にも珍しい手法だと思います。

―詳しく教えていただけますか。

小田 西三川の大流しに似たような方法で砂金採掘をしていたところは、世界的に見ても少なく、最も古いのがローマ帝国最大の金山であるスペインのラス・メドゥラス。ここで採掘した金は金貨にしてローマ軍兵士の給料にしていたといわれ、この金山の枯渇がローマ帝国滅亡の一つの原因ともいわれています。
 ラス・メドゥラスの採掘方法は、『山崩し』という方法でした。西三川のように、人力で崩した山の土に水を流すのとは違い、水路を引いて山の中にトンネルを掘り、そこに大量の水を一気に流して水圧で山自体を崩してしまう方法です。また、もっと後の時代になりますが、19世紀のカリフォルニアのゴールドラッシュの頃は高圧水流をかけて山を崩す方法で金を採掘しています。

―日本唯一で、世界でも珍しい採掘方法なんですね。

小田 実は、「西三川砂金山の大流しは、古代ローマ時代と、ゴールドラッシュ時代の間を埋める砂金採掘方法ではないか」と海外の研究者の方が言ってくださっているんです。佐渡島の金山については、まだ謎も多くあります。これからが発掘調査の本番なので、今後もっと研究が進むと、また新たな事実が出てくるかもしれません。

西三川砂金山で「砂金とり」を体験!

 歴史に思いを馳せながら、砂金とりを体験できるところがあります。それが西三川川河口付近に建つ体験型資料館・佐渡西三川ゴールドパークです。
 「ここでの砂金とり体験は、西三川砂金山の『大流し』とはちょっと違いますが、金の性質と水勢で土砂を取り除くという伝統的な砂金取りを現代風にアレンジしたもの。初めてでも砂金はとれますよ。」と佐渡西三川ゴールドパーク取締役専務の中善寺秀和さん。体験すると大人もこどもも夢中になるそうで、リピーターになる人も多いといいます。

砂金とりのコツを教えてくれた佐渡西三川ゴールドパーク取締役専務の中善寺秀和さん。

まずは受付でチケットを購入。入館料は砂金とり体験(30分間)と入場料がセットになって大人1,500円、小学生1,200円、未就学児は入場無料(砂金とり体験をする場合は800円)。

 館内に入ると、最初に出迎えてくれるのが金の大黒天。金運アップを願って触る人も多いそうです。受付で金箔を購入して大黒天に金箔を貼る「金押しチャレンジ」もできます。
 砂金とり体験の前に、「金にまつわることならなんでも分かる」といわれるほど歴史資料や展示が充実している展示室へ。
 西三川砂金山の歴史や、日本唯一の採掘法「大流し」について、また本物の金も展示され、「へぇ!」が連発する知識がいっぱいです。

金にまつわる歴史や資料展示が充実している展示室。西三川砂金山にまつわる伝説も面白く、歴史に興味がない人でも楽しめる展示ばかりです。

純金の小判やアクセサリーなど本物も展示。本物はやっぱり輝きが違うのに驚きます。

佐渡の化石なども並ぶジオコーナーから、売店を通って体験スペースへ。

 

砂金をとる”という特別な時間を体験する30分間

 資料展示室で知識を得た後は、いよいよ砂金とり体験。体験は1回30分。とれた砂金は持ち帰ることができます。
 受付を済ませると、館内スタッフが砂金とりの方法をていねいに教えてくれます。

この受付でチケットを渡して砂金とりがスタート。

受付では、とれた砂金をオリジナルアクセサリーに加工してくれるサービスもあります。世界遺産登録の地で、自分でとった砂金は特別なお土産になるはず。

砂金とりコーナーは300人が一度に体験できるほどの広さ。小学生や車椅子の人も体験できるよう、体験台は少し低めにしてあるそうです。屋内で天候に左右されないのもうれしいところです。

体験していた人たちはとにかく真剣。大人もこどもも夢中になって砂金を探していました。

 水が張られた台の中を見ると、砂の中に金らしきものは見えません。本当に砂金がとれるの?と思いますが、「質量が重い砂金は砂の底の方に沈んでいる」のだそうです。
「コツとしては、まず皿をしっかり下まで入れて砂を取ること。まずはやってみせましょうか。」と、中善寺さんが砂金とりの方法を教えてくれます。

体験の最初に、スタッフの方が砂金とりの方法をレクチャーしてくれます。まず手前の穴を自分側にしてパンニング皿を持ちます。

水流を作るようにこの皿を回していると最後にこの溝のところに砂金が残るのだそう。

皿をぐっと底の方までしっかり入れるのがコツ。

そのまま前に押し出すようにして皿で砂をすくいます。

向こう側の縁まで押し出して砂をたくさん入れたら上げます。

水面ギリギリのところで両手で皿をゆすって砂を平らにします。

砂が平らになったら、今度はハンドルを回すように皿を前後させて小石や砂を流していきます。

これくらいまで砂を流すと……あった! 左端に光る砂金が見えます。

指をハンカチでふいてから砂金を指につけて水を入れた容器に移します。「指が乾いているほうがとりやすいんです」と中善寺さん。

 お手本を見せてもらうと、本当にこんな簡単に砂金がとれるの?と思いますが、「金は砂や石より質量が重いので、少し勢いよくやっても流れませんし、砂金はこの溝のところに入るので、誰でもとれますよ」と教えてもらい、いざ体験にチャレンジ。

体験の道具。パンニング皿の中にあるプラスチック容器は、とれた砂金を入れるためのもの。

恐る恐る入れてみます。「もっと深く縦に入れたほうがいいですよ」と中善寺さんからアドバイス。

向こう側へずーっと押し出すようにして砂をたくさん入れるのがコツ。

砂を平らにしてからゆさゆさと回すようにしていくと小石や砂が流れていきます。意外と根気がいる作業です。

目をこらしてよく見ると……砂金を3つ発見!

 水と砂の中から金色の粒を見つけると、思わず声が出るほど感動があります。最初の1粒を見つけてからは、体験の30分間はあっという間。何度もやっていると目が慣れてくるのか、すぐ砂金を見つけられるようになりました。

やはり金。光り方が違うので、砂の中でもすぐ分かります。

30分間でこんなにとれました。

 この日、東京から訪れていた田中さん一家。テレビで佐渡島の特集を見た小学3年生の息子さんに「どうしても行ってみたい」と言われて来島したそうです。父の利行さんは砂金とりに夢中になってしまい、写真を撮るのも忘れてしまったそうです。

小学3年生の息子さん、パンニング皿の回し方も、砂金を見つけるのも上手でした。

「あったよ!」とうれしそうな顔。

江戸時代の鉱山集落の面影を残す笹川集落へ

笹川集落。各家には砂金採取用具や古文書などが今も大切に受け継がれているといいます。

 西三川砂金山の砂金採掘は、地域の人たちの生業として代々受け継がれてきました。
笹川集落は、江戸時代の鉱山集落の面影を残す全国的にも例をみない集落として、国の重要文化的景観「佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観」に選定されています。
 現在も、末裔の方々が暮らし、砂金採掘で出るガラ石を石垣に転用した景観や、農業用水路に転用された砂金江道跡などが残っています。

笹川集落内に鎮座する大山祇(おおやまずみ)神社(国史跡・重要文化的景観)。文禄2年(1593)、砂金山の繁栄と安全を祈願して建てられた神社。相川の大山祇神社はこの神社を勧請(かんじょう)したものといわれます。能舞台は19世紀後半の建築と推定されており、鳥居や狛犬などの石造物は明治期に笹川集落から北海道への移住者が寄進したものだそうです。

 「普通は閉山になると人々は別の鉱山に移ってしまうため、昔のまま残る鉱山集落は全国でもほとんどありません。けれど笹川集落は、明治5年(1872)の閉山後も、人々が砂金採掘から農業などに生業を変え、住み続けたことで、江戸時代の絵図とほとんど変わらない風景を今も見ることができます。これはとても珍しいことです。」と元新潟県文化行政課世界遺産登録推進室長の小田由美子さん。

江戸時代後期から閉山まで、砂金山の世話役を務めた笹川集落の金子家の住宅跡。金子家は、世話役として鉱山労働者である村人をとりまとめ、大流しの作業を差配したといいます。

 19年前、世界遺産登録のために調査を始めた当初は、水路をどこから引いたかも分かっておらず、調査は困難を極めたといいます。
 「けれど笹川集落の方から、この辺りに何かあると教えて頂き、調査したらすごいものが出てきたんです。大流しの採掘工程が全て保存されている大規模な五社屋山(ごしゃややま)遺跡が発見されたのです。世界遺産登録はされましたが、発掘が終わったのはまだほんの一部で、これからが調査の本番。謎もまだまだたくさんあります。発掘調査が進めば、もっとすごい発見も出てくると思います。」

 西三川砂金山を知る上で、笹川集落の存在を多くの人に知ってほしいという小田さん。
 笹川集落周辺は、現在も住民が生活する場所のため、現地の見学をしたい場合はガイドツアーでの訪問となります。ガイドツアーは決まり次第、佐渡市ホームページなどで告知されます。

取材協力/
・佐渡西三川ゴールドパーク http://www.e-sadonet.tv/goldpark/
出典/
・佐渡島(さど)の金山 https://www.sado-goldmine.jp/

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