北方文化博物館・本館(伊藤邸)

蒲原平野を流れる二つの大河、信濃川と阿賀野川。その一つ、阿賀野川の左岸に位置する戸数約三百戸の集落は「沢梅(そうみ)」といい、江戸時代初期、慶長十五年(1610)より城下として栄えていました。伊藤家は、この沢梅の一農民から身を興し、全盛期の明治三十年頃には、四郡六十数ヶ村に田畑一千町歩を有する越後随一の大地主として、その名をとどろかせました。
北方文化博物館の邸宅は、明治二十三年(1890)に完成。敷地八千八百坪、建物千二百坪、部屋数六十五の格式あふれる純日本式住居。どっしりとした佇まいの土蔵造りの門、見上げるような総けやき造り唐破風(からはふ)の大玄関が見られます。また、大庭は銀閣寺清泉の石組発掘復元によってその名を知られる名庭師「田中泰阿弥」の手による景観美ゆたかな庭園です。さらには苔むした名石が絶妙な配置をみせる茶室など、まさしく“豪農の館”にふさわしい荘厳な趣を漂わせています。邸内の五つの茶室には時庵(じあん)、佐度看亭、いはのや、積翠庵、是空軒と呼ばれ、池や築山、灯篭とともに格調高い空間をつくり出しています。
博物館の名物である「三楽亭」は、まれにみる正三角形の建物。明治二十四年頃に建造されたこの小亭は柱、建具、畳は一枚を除き、すべて三角あるいは菱形で書斎を兼ねた茶室になっており、他に類をみない細緻な細工はことに有名です。

 

出典:
『豪農の館めぐり』
提供元:財団法人北方文化博物館

画像提供元:
財団法人北方文化博物館

所在地

新潟市江南区沢梅2丁目15-25

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投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年3月31日 23:49

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