北方文化博物館・清水園(足軽長屋)

初代藩主溝口秀勝が加賀大聖寺から、ここ新発田六万石に移ったのは慶長三年(1598)のことでした。寛文六年(1666)には約四千六百坪の敷地に下屋敷が建立され、続いて元禄年間には庭園が完成。この回遊式庭園築造は、遠州流の茶人で幕府の庭方であった縣宗知を招いて行われました。宗知は四度に亘って新発田を訪問。庭の中央に「みず」を型どった大泉池を配し、近江八景をとり入れた京風の回遊式庭園は見事です。この大泉池をめぐり桐庵、夕佳亭、翠濤庵、同仁斎、松月亭の五つの茶室が点在。春には萌えいづる緑、初夏にはあやめ、秋の紅葉、冬の雪化粧と四季それぞれの装いを見せる庭園は、十万石大名の下屋敷にふさわしい趣をみせています。
その後、年月を経て荒廃した庭を現在のように修復したのは、金、銀閣寺を修復した京の庭師(柏崎出身)、田中泰阿弥です。建物は寄棟造柿茸平屋建て、八十余坪の書院には二畳の上段の間を備えた二間続きの本格的な京間座敷、また二間床を備えた広間は、床板に春慶塗が施され、能舞台と同じ構造になっています。
また、駐車場奥に建つ武家屋敷は、七十石石黒家住宅で、新発田藩中級武士の標準的な建物です。
一方、清水園に沿って流れる新発田川の向かいには、藩政時代の足軽が居住した茅葺平屋建ての八軒長屋があります。往時は「北長屋」と称し、全国的にも例をみない遺構として昭和44(1969)国の重要文化財に指定されました。

 

出典:
『豪農の館めぐり』
提供元:財団法人北方文化博物館

画像提供元:
財団法人北方文化博物館

所在地

新発田市大栄町7丁目

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投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年3月31日 23:53

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