『島道に岩井口という所あり、水がこんこんと流れ出て、人々は奴奈川姫の産所と言っている。』古代ロマンの人”奴奈川姫”とは古代のクビキ(久比岐)地方に奴奈川姫という神様が住んでいた。この姫との結婚を望んで、出雲の国から、はるばると尋ねてきたのが大国主命であった。この時の様子を古事記の中で、応答歌の形で記している(古事記詳細)大国主命と奴奈川姫の二人の神様の間に建御名方命という神様が生まれた。この神様は、諏訪神社の祭神であり、西頸城にも方々の神社に祀られている。更に姫川谷から信州に入り諏訪の上社として祀られている。これらの内容から推定して、奴奈川姫の住居がどこであったか、姫の生まれた所は…と、大変気になるところである。奴奈川姫についての伝説は頸城地方には数多くあるが、中でも、奴奈川姫の産所として古くから伝えられているのが、糸魚川市(旧能生町)大字島道字滝の下岩井口で、『島道に岩井口という所あり、水がこんこんと流れ出て、人々は奴奈川姫の産所と言っている。』と中能生郷土史・能生町史にも記されている。この他にも幾つかの伝説があるところから姫が西頸城地方に生まれ住んでいたことは事実であると考えられます。糸魚川市(旧能生町)のものを幾つか紹介しますと【矛が嶽の窪穴】能生谷矛が峰の中に八十余りの窪穴がある。奴奈川姫が大国主命の妃となられた時に待ちうけた館の跡である。【宮 地】柵口の権現岳は、奴奈川姫の旧蹟で今の宮地は大国主命の住まわれた処だという。また、北越風土記の中で、権現岳の山中の所々に方十間余り深さ三十四間ばかりの窪穴があり、大国主命婿入りの時に付き添った神々の宿となった処であると記している。伝説の現場は糸魚川市(旧能生町)島道地区の集落のはずれの町道から歩いて20分余り、農道の終点から歩いて10分ほどの山中で滝の下にある。眼前に悠然とそびえる鉾ヶ岳の見える岩井口の巨大な岩場で、高さ約8メートルの巨石が重なりあっており、神秘的な雰囲気を漂わせている。
出典:『能生町観光協会ホームページ』
提供元:能生町観光協会
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