今から八百六十年前、永保年間のこと、奥州の岩城判官正氏の奥方は愛児、安寿と厨子王、乳母と応化の橋のたもとで、山椒太夫という人買いにだまされた。奥方と乳母は佐渡へ、愛児は丹後へ売られた。悲しみのあまりに海中に身を投じた乳母を土地の人々が厚く弔って、ここに塔をたてました。その後安寿姫は悲しみの余り沼に身を投じ死んでしまいました。そこで乳母の塔の脇に又、小さな塔を建てて弔いました。(塔は関川のほとりに建つ)
この人身売買の伝説を森鴎外は大正四年「山椒太夫」という小説に書いた。乳母を祭った乳母嶽明神は居多神社(五智六)北参道入口に山椒太夫の墓と称するものが妙国寺にある(寺町三)。
出典:
『北國街道研究 7号』
提供元:北國街道の手をつなぐ会