8世紀頃、北陸地方で活躍していた泰澄大師(たいちょうたいし 西暦683~767年)が創建。鎌倉時代には、執権・北条時頼も訪れ、その霊験にあやかり、越後三十三ヶ所観音霊場の第一番札所としました。また、戦国期には上杉氏に信仰され、一族の長尾景直が亡き母円妙院のために建てた墓もあり、土地を寄進したと伝えられていることから、円妙庵とも呼ばれました。さらに、境内の「弘法の硯岩(すずりいわ)」と呼ばれる巨大な一枚岩には、「弘法大師のなげ筆」といわれる梵字跡があるといわれています。林の中にひっそりと自然石を敷いた参道や、観音堂におおいかぶさるような大岩とケヤキの大木に包まれた境内は、静寂の中に霊験と神秘の歴史を感じさせてくれます。
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『上越観光ネット』
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上越市観光企画課