弥彦神社の北隣に位置する宝光院の裏山にある樹齢約千年の杉の巨木で、一般には婆々杉とよばれ、弥三郎婆さの伝説を伝えている。目通り周10メートル、樹高約40メートルで樹勢きわめて盛んである。
妙多羅天女と婆杉伝説
今から900年以上前の承歴3年(1079)弥彦神社造営の際、上棟式奉仕の日取りの前後について、鍛匠(鍛冶屋)黒津弥三郎と工匠(大工棟梁)の争いとなった。これに負けた弥三郎の母(一説に祖母)は無念やるかたなく、恨みの念が昂じて鬼となって、形相ものすごく雲に乗って飛び去った。それより後は、佐渡の金北山、蒲原の古津、加賀の白山、越中の立山、信州の浅間山と、諸国を自由に飛行して悪行の限りをつくし、「弥彦の鬼婆」と世人に恐れられた。それから80年の歳月を経た保元元年(1156)、当時弥彦山で高僧の評判高かった典海大僧正が弥彦の大杉の根元に横たわる一人の老婆を見つけ、悪行を改め、本来の善心に立ち返るよう説得し、さらに秘密の印璽を授け「妙多羅天女」の称号を与えたところ改心した。その後は神仏、善人、子供の守護に尽くしたので、村人はこの大杉を「婆々杉」と呼ぶようになった。
出典:『弥彦村の文化財』
提供元:弥彦村役場産業振興課観光商工係