直江兼続は1560年永禄3年、現在の六日町坂戸城主長尾政景の家臣、樋口惣右衛門兼豊の長男として生まれた。その聡明さを見込まれ、幼時より上杉景勝の近習として取り立てられ、同時に上杉謙信公のもとで「仁義の精神」を学び生涯の信条とした。仁とは愛であり、義とは仁の実践であると。この愛民の精神をもって自前の兜の前立てのシンボルとした。謙信の死後、上杉家で起きた継承権争い”御舘の乱“での活躍により直江家を継ぎ上杉家執政に抜擢され米沢に移るまで、本与板城・与板城の城主として活躍をしていた。
出典:
『長岡市ホームページ』
提供元:長岡市大手通分室観光課
画像提供元:
長岡市大手通分室観光課