真人ムジナの伝説

約百七八十年前の事若栃部落の作物を荒しまわり人間をばかし夜道をまどわかし岩壁の谷に落しワキの下から生血をすいとり葬式の行列をまねて人間を追いまわし興の中からゆうれいを引出す等帰宅死亡した人もあり時々真人山地八ヶ部落民を火災の鐘をならしてさわがせたり困難の結果、部落協議の末、会津藩士、下長岡様(牧野様)にお願いしてムジナ退治の御許可を得た。
その時の許可書に日の丸の旗を頂戴して公然と穴掘りに取りかかりました。その晩ツブラさん(真人若栃南山の土地所有者の家号で当時の主人細金忠兵衛、現当主細金一雄)方では年一回づつ御馳走をムジナの穴に供えていたがその日はより一段とよい御馳走を上げて明日は穴を掘るからこれを食べて覚悟せよと申上げ供えた。其翌朝見れば残らずその御馳走を食べていたそうです。
やがて区民は掘初め六十メートルも掘ると色々住み安く穴を作っていたそうですが三十四頭も捕獲して終りぎわに大将ムジナは岩に化け谷に落ち向山の上で腹太鼓を打って皆なをくやしがらせたとの事でした。
その当時の日の丸は日天月天の長旗であったそうですが時の戸長である向屋敷(家号)さんに預りたるを後に小学校の校長さん方がその事を聞き参考に借れて行き、返し又借れるうち遂になくなって仕舞ったそうです。
今あれば文化財として後世に名をとる事が出来たのにと惜しまれ残念がらせて居ます。

出典:
『小千谷市総合文化協会ホームページ (『小千谷文化』第15号から)』
提供元:小千谷市総合文化協会

所在地

小千谷市

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投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年4月12日 14:22

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