西福寺

慶応4年(1868)5月19日、榎峠の攻略が難しいと判断した新政府軍は、大島、槇下から信濃川を渡河し、直接長岡城を攻撃してきました。この時、新政府軍の侵攻を城下に知らせるため、一藩士が鐘楼にかけのぼり、この鐘を乱打したといわれています。

西福寺の梵鐘は、明和3年(1766)に長岡藩お抱えの鋳物師田中多左衛門尉重定が造ったもの。鎌倉時代の作風を伝え、美しい龍頭が特徴。江戸時代の長岡の鋳物業は、新町村の土屋を中心にして栄えた。北越戊辰戦争では、長岡藩が落城した慶応4年(1868)5月19日の早朝、西軍来襲の際この鐘が乱打された。長岡の歴史にとって、近代の夜明けを告げたことから「維新の暁鐘」と呼ばれるようになった。

出典:
『長岡市ホームページ』
提供元:長岡市大手通分室観光課

画像提供元:
長岡市大手通分室観光課

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投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年4月13日 21:14

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