長岡藩

越後国古志郡にあって現在の新潟県中越地方の北部から下越地方の西部を治めた藩。現在の新潟県新潟市を支配した藩でもあった。
藩庁は長岡城(長岡市)。藩主は牧野氏(一時、堀氏)。家格は、帝鑑間詰めの譜代大名で、石高は、はじめ62,000石。後に加増されて、74,000石。18世紀の内高はおよそ10万石。幕末には、14万石近くあった。
元和四年(1618)長岡築城した堀直竒に替わって牧野氏が入封し、築城が継続され、長岡藩と新しい長岡町が誕生した。
牧野氏は三河出身の譜代大名で、七万四千石の領地を支配した。長岡藩の藩是は「質朴剛健」の三河以来の伝統を守り、「常在戦場の精神」を精神風土とするような独特な気風をつくった。一方、城下町の商人は、信濃川の河川交通を独占し、越後の富を得た。長岡町は発展したが、信濃川流域の各地と紛争が起こり、次第に膠着化していった。幕末の長岡藩は財政難となり、河井継之助が登場して、藩政改革を断行した。
幕末維新期には戊辰戦争に巻き込まれ、戦火に城も町も村も焼かれて犠牲者を数多くだした。結局、奥羽越列藩同盟軍に味方した長岡藩は敗れた。再興の努力もむなしく、長岡藩の時代は終わった。

所在地

長岡市

投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年3月31日 03:29

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