応永17年(1410)、「上杉憲顕の子、覚翁租伝」が上野国(群馬県柴宿村)、泉龍寺の白崖寳生禅師を招き、関興庵として開山しました。鎌倉公方足利氏や関東管領上杉氏などの庇護、上田長尾氏の帰依により、永楽120貫文の地を領していました。その勢力は、信州・佐渡・能登・越中・越後五カ国の末寺300カ所を支配したと伝えられています。
関ヶ原の合戦後、上杉景勝とともに寺を米沢へ移しましたが、江戸時代に再び米沢の関興庵から萬源和尚を迎え、現在地(南魚沼市上野)に再興。宝暦1年(1751)、名称を関興庵から「関興寺」に改めました。
関興寺では、禅寺の生活に味噌は欠かせないと、修行僧のためにたくさんの味噌を作り蓄えていました。天正6年(1578)に起きた御館の乱では、上杉謙信より寄進された600巻におよぶ大般若経を、そうした味噌桶の中に入れ守ったと伝えられています。以来、この味噌をいただくとご利益が授かるとされ「関興寺の味噌なめたか」という言葉が生まれました。
上杉家ゆかりの宝物、古文書など随時展示されており、季節の花やスギ苔が美しい庭園は必見です。写経や坐禅体験などのほか無料のお茶を飲みながらのんびり過ごせる心休まる”いやしの禅寺”です。
出典:南魚沼市観光サイト
提供元:南魚沼(六日町庁舎)六日町商工観光係および南魚沼市観光協会
画像提供元:南魚沼(六日町庁舎)六日町商工観光係および南魚沼市観光協会