二面神社は、明徳二年(一三九一)五月、土地の漁師平三郎が夢枕に立った神様のお告げにより、海上に漂流する御神体を取り揚げて、ここに祭ったといわれています。ご神体は、横三九センチ、縦八二センチの板に、綱を持って魚を獲る西洋人と思われる人物像を透かし彫りにしたもので、奇異を感じる一躰男女の像であります。
専門家の調査によると、木質は不詳ですが西洋、特にスペインなどの国の船首像、つまり海上安全と大漁満足を祈念して、船首につけた船神様のようなものであろうといわれます。また、船室の欄間に似た飾り窓でなかろうかともいわれます。
いずれにしても、コロンブスのアメリカ大陸発見(一四九二)、バスゴダガマのインド航路発見(一四九八)、マゼランの太平洋発見(一五一九)以前に、この二面像がどこから、どんな経路で日本海の佐渡海峡にまで漂流したのかは、今も謎とされています。
この神社の祭礼は、三月と九月の二回行われますが、春は女神の像を正面に、秋の祭典の時には反対に男神の像を正面に向ける慣わしになっています。
これは、季節々々の天候に関連するものと思われます。またこの日、神呪によるお伺い(占い)が行われ、その年の鰯、鯛、いか、鯖、鱈の漁況や、各月の海の荒れる時化(しけ)日をうかがったといわれます。
祭礼には、漁師衆が大勢参詣し、神楽舞を奉納したり、神酒を酌み交わしたりして、昔は白山媛神社(しらやまひめじんじゃ)大祭に次ぐ賑わいであったと、古老の漁師は語り伝えています。
ご神体が難破した外国船の船首像であるにしても、豊漁と安全を祈願する漁師衆の古くからの習俗を通して、謎を秘めた海のロマンを感じる二面神社です。
出典:長岡市寺泊支所地域振興・市民生活課
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