徳川家康の六男として生まれ、はじめ家康に遠ざけられましたが、やがて取り立てられて長沢松平家を継ぎ、武蔵国深谷(1万石)、下総国佐倉(5万石)、信濃国川中島(12万石)、そして越後国福島(45万石~75万石まで所説あり)へと石高を増やしていきました。伊達政宗の長女五郎八姫と結婚し、慶長19年(1614)には天下普請によって高田城を築きました。しかし、大坂夏の陣での不手際を理由に、徳川秀忠によって改易され、各地を転々として諏訪高島城に落ち着き、そこで92歳の長寿を全うしました。
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『上越観光ネット』
提供元:上越市観光企画課
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上越市観光企画課