この社は古来、名にしおう蒲萄峠の途中にあって、その境内は最も神さびたところである。延喜式の式内社である。
康平年中源頼義、義家父子が北狄征討の役を終えて凱旋帰路の折、当社に詣で、余剰の矢をもって社殿の屋根を葺いたので、矢葺明神ともいわれている。安産の神として、近郷の信仰が深い。
出典:村上市ホームページ
提供元:村上市観光課
画像提供元:村上市観光課
この社は古来、名にしおう蒲萄峠の途中にあって、その境内は最も神さびたところである。延喜式の式内社である。
康平年中源頼義、義家父子が北狄征討の役を終えて凱旋帰路の折、当社に詣で、余剰の矢をもって社殿の屋根を葺いたので、矢葺明神ともいわれている。安産の神として、近郷の信仰が深い。
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村上市蒲萄字矢吹
投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年4月5日 18:57