file-102 銘菓を訪ねて~新潟で愛されたお菓子(後編)

 

新潟で愛されたお菓子―江戸から平成へ

 後編では、江戸時代を出発点として、明治・大正・昭和まで、新潟県にゆかりのある有名人が好んだ故郷のお菓子を、新潟県立歴史博物館・専門研究員、渡部浩二さんとともに探っていきます。新潟のお菓子にまつわる様々なエピソードを通し、特別な一品が見つかるかもしれません。

歴史上の人物が愛したお菓子

書に残る、お気に入りのお菓子

金の草鞋

高田の高橋孫左衛門商店のにぎわいを伝えている。十返舎一九「金草鞋」/新潟県立歴史博物館蔵

 江戸時代の劇作家にして旅の達人、十返舎一九。もちろん越後も訪れています。

 文化12年(1815)刊の紀行文集「金の草鞋(わらじ)」では、高田(現・上越市)の高橋孫左衛門商店と名物粟飴を紹介しています。「本では、粟飴の美味しさを絶賛しています。文化人であった当主と意気投合し、5日間、高田に滞在、当主のお世話にもなったのでしょう。お礼の意味も込めて書き込んだのかもしれませんね」と、渡部さんは、当時の事情を想像します。
 ところが、一九が味わった粟飴は、実は『粟飴』ではなかったようです。というのも、寛永2年(1624)の創業から粟飴一筋だった同店ですが、寛政2年(1790)、4代目孫左衛門が原料を粟から餅米に変えていたのです。けれど、粟飴という名がすでに有名であり、米の流通を管理する藩令に触れる恐れもあったので、原料変更は秘密にされました。
 現在は、粟飴が復刻されているので、粟製と餅米製の両方を味わうことができます。

 

白雪羔

上品な甘さとほろほろと溶けていく食感が楽しめる「白雪羔」。包装紙には良寛さんのイラスト入り

 次は、良寛さんです。
 禅僧、詩人、歌人、書家と多くの顔を持つ良寛和尚。病に倒れた晩年に、あるお菓子を求めて、出雲崎の知人に当てて手紙を書いています。そのお菓子は白雪羔(はくせつこう)。米粉に砂糖、蓮の実などを捏ね混ぜ、蒸し上げてから包丁等で成形するもので、江戸時代には全国的に作られていたようです。けれど、その形ははっきりとは伝わっていません。「三通の手紙を書かれるほど、良寛さまはよほど好んでおられたようで、百年忌法要に供えたいので、作り出してほしい」との良寛研究家の依頼を受け、昭和5年(1930)、出雲崎の菓子舗・大黒屋が復元。中国の文献、家伝の秘法を手がかりに創製したそうです。
 口に入れれば雪のように溶けることから、その名が付いた白雪羔。子どもと手まりをついて遊んだという良寛さんを思わせる、優しい味わいです。

故郷のお菓子の味は特別

野本社長
立浪会 踊り風景

「山本五十六は地元の友達には『ゴロク』と呼ばれていたんですよ、偉くなってからも」と、野本さん

飴もなか

昭和6年(1931)、「飴もなか」は上越線全通記念博覧会で最高賞を受賞。その後キオスクで販売し、人気が上昇

 時代は大正から昭和に進みます。

 長岡で大正元年(1912)創業の長命堂飴舗。初代店主・桂吉が苦心の末に考案した「飴もなか」は、あっさりとした水飴を香ばしい最中の皮で包んだ、同店の名物です。この味を好んだのが、長岡生まれの元帥大将、山本五十六でした。
 店主を息子に譲り、会長を務めている野本謙司さんは、かつて隣町の呉服屋の主人から「五十六は飴もなかが好きで、帰省すると買って帰ったものだ」「日持ちするから、五十六がいる南方へも送ってやった」と何度も聞いていました。そのご主人は五十六の同級生だったのです。

 また、長命堂には、五十六の息子さんからの手紙が残っています。五十六の命日に送った「飴もなか」へのお礼状です。「送っていただいた父五十六の好物を霊前に供えた」とあり、飴もなか好きであったことは確かです。いかめしい軍人の素顔が垣間見える、楽しいエピソードです。

 

山のほまれ

発売当時は柔らかく、カステラに近かった「山乃ほまれ」、現在はさっくりとした食感に変わっている

 昭和9年(1934)、糸魚川では新しいお菓子が生まれました。カステラ生地をせんべいのように焼き上げた、「当時としてはハイカラなお菓子」(御菓子司・紅久 6代目店主の安田貴志さん)。その画期的な商品に「山乃ほまれ」と名を付けたのが、発売当時の店主が親しくしていた相馬御風。早稲田大学を始めとする学校校歌、「春よ来い」などの童謡の作詞を手がけた、詩人で評論家です。「山乃ほまれ」という題の詩も書いて、地元のお菓子を大いに応援してくれたということです。その詩は今も店頭でみることができます。

現代のお菓子の新しい試み

万代太鼓

新潟祭りのために創作された和太鼓演奏「万代太鼓」にちなんで、太鼓をモチーフとして開発

 年輪状のソフトクッキー生地の中にクリームを詰め、太鼓に見立てた「万代太鼓」。今では新潟土産の定番ともいえる、このお菓子の発売は昭和44年(1969)。「当初は手作業で焼きあげていたので、ピークのお盆時期には社員が夜勤して対応していましたよ」と、大阪屋・企画の竹中慶久さん。昭和47年(1972)に専用の自動機を開発すると、一日の最大製造数は2万個に拡大。市民にとってさらに身近な存在になりました。
 最近では、平成25年(2013)にいちごクリーム、26年(2014)にレモンクリーム、27年(2015)にはマロンクリームと、季節限定味を発売。新しい魅力を加えて、さらなるロングセラー化を狙っています。

 

浮き星
浮き星

この夏は、ミントやジンジャー味の「浮き星」をソーダ水に浮かべる、涼やかな楽しみ方を提案

迫さん

「日常を楽しもう」をコンセプトに、新潟の伝統のモノにデザインを加えて提案しています/迫一成さん

 新潟生まれの懐かしいお菓子、「ゆか里」。餅米に砂糖蜜をからめて作る、金平糖に似た、小さな小さなお菓子です。いつの間にか見かけなくなった――いいえ、ネーミングとパッケージデザイン、サイズを一新。7つのフレーバーを持つ「浮き星」となって、お土産やちょっとしたギフトとして、今、全国の注目を集めています。
 製造は明治33年(1900)創業の明治屋、デザインと流通の仕組み作りはヒッコリースリートラベラーズが担当。2社のタッグで、発売初年度の平成27年(2015)は3万個を売り上げ、全国の売り場総数は80に。「伝統的な新潟のお菓子の、味も技術も継承してほしくて、いろいろ試して提案しています。今も、新しい企画を考え中」と、ヒッコリースリートラベラーズ代表の迫さん。
 伝統のお菓子に新しい風が吹いています。  

 

 「お菓子は地域性を反映するものです。その地域の歴史や自然環境を色濃く反映するからこそ、地域の人に愛され、観光客に求められるのでしょう」と、渡部さん。「お菓子をきっかけにして、その地域を調べたり、訪ねたりするのも楽しいと思いますよ」と続けます。

 この夏の贈答やお土産に選びたいお菓子、見つかりましたか? 新潟県立歴史博物館では、9月4日まで、夏季企画展「お菓子と新潟」を開催中。お菓子にまつわるエピソードを紹介しています。お菓子の世界に出かけてみてはいかがでしょう?

 


■ 取材協力
渡部浩二さん/新潟県立歴史博物館 学芸課 専門研究員
野本謙司さん/長命堂 会長
迫一成さん/ヒッコリースリートラベラーズ 代表
高橋孫左衛門商店(上越市)
大黒屋(三島郡出雲崎町)
長命堂飴舗(長岡市)
御菓子司紅久(糸魚川市)
大阪屋(新潟市)
ヒッコリースリートラベラーズ(新潟市)


■ 関連イベント
夏季企画展「お菓子と新潟」
開催期間 2016年7月15日(金)~9月4日(日)
開催場所 新潟県立歴史博物館(長岡市)
開館時間 9時30分~17時(入場は16時30分まで)
休館日 7月19日(火)、25日(月)、8月8日(月)、22日(月)、29日(月)
観覧料 一般610円(480円)、高校・大学生400円(320円)、中学生以下無料
    ※(  )は20名以上の団体料金
URL http://www.nbz.or.jp/

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