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file-117 姿を変え、今へ受け継ぐ角兵衛獅子(前編)

  

江戸時代に大ヒット


 角兵衛獅子は、江戸時代に越後の月潟村(現・新潟市南区月潟)を本拠とし、諸国を歩いて踊りや軽業を披露し、大道芸として人気を誇りました。その人気から、文化8年(1811)に歌舞伎舞踊「越後獅子」という舞踊劇に仕立てられ、江戸の中村座で三世中村歌右衛門が初演。そこには新潟との不思議な縁が隠されていました。

大道芸から歌舞伎へ

角兵衛獅子の里、月潟村

月潟 踊りの絵・衣装の展示

郷土物産資料室には、かつての角兵衛獅子の舞が描かれた当時の看板や衣装が展示されている(新潟市南区)

 角兵衛獅子の由来については、いくつかの伝承があります。昭和11年(1936)に発足した角兵衛獅子保存会のまとめた資料によると、そのひとつは、水害対策説です。信濃川の支流中ノ口川左岸にある月潟村は、肥沃な土地に恵まれ農業が盛んでしたが、水運と農業に欠かせない水をもたらす川はしばしば氾濫し、村の人々を苦しめました。そこで、一人の農民が、水害で疲弊する村に新たな収入源をもたらそうと、踊りを考案して子どもたちに教え、近隣の村々を巡業。農民の名前が角兵衛だったことから、その踊りの一座は角兵衛獅子と呼ばれた、という言い伝えです。

 

月潟 太鼓など

囃子方は大人で、大太鼓・小太鼓・笛の3人。太鼓を担当する人が口上を述べ舞を進行させる/郷土物産資料室

 もうひとつは、いかにも江戸時代らしい、親の仇討ち説です。常陸(現・茨城県)から月潟村に移り住んだ角兵衛が何者かに殺され、その時に犯人の足を噛み切りました。足の指のない犯人を探し出すため、角兵衛の2人の息子は、逆立ちしながら「足を上にして、足の指のないものを気を付けて見れ」とはやしたて、全国を回ったというものです。
 いずれにせよ、その発祥は古く、宝暦6年(1756)撰の「越後名寄(なよせ)」や文化12年(1815)撰の「越後野誌」に、すでに『いつ始まったのか定かではない』と記されているほど。

 

興行ビラ

披露される舞の種類や一座の名前が書かれた興業の宣伝ビラ。神社仏閣などでも開催された/郷土物産資料室

 江戸時代の半ばになると、月潟村で生まれた大道芸の角兵衛獅子は、各地で評判になりました。踊り手の子どもたちが、大人が演奏する太鼓や笛、口上に合わせて、様々な舞を次々と披露。その魅力は、逆立ちやブリッジ、宙返りなどのアクロバティックな技と、200種類を超える多彩な舞。また、名古屋城の金のしゃちほこ、大井川の川越し、神田明神の山車(だし)など全国の風物を取り入れた舞、いわゆるご当地ネタも喜ばれました。その地域で受けることはもちろん、江戸で舞えば珍しがられ、さらに評判になりました。旅芸人ならではの発想が生かされた演目です。
 その人気に目を付けた人がいました。歌舞伎の三世中村歌右衛門です。ライバル三世坂東三津五郎への対抗策として、角兵衛獅子を題材にした踊りを作らせたのです。  

 

江戸と新潟を結ぶ市山流

 江戸時代後期の歌舞伎界では、三世坂東三津五郎と三世中村歌右衛門が人気を二分していました。ちょうど、一人の踊り手が早変わりをして複数の役を踊り分ける変化舞踊が流行しており、市村座で三津五郎が踊った七変化が大当たり。それに対抗するため、歌右衛門も急いで七変化を作らせます。一説には一晩で作らせたともいわれるほどのスピード製作でした。文化8年(1811)3月、中村座で「遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)」を上演し、みごとに三津五郎の人気を圧倒。その4曲目が「越後獅子」、つまり角兵衛獅子の舞をもとに考えられたものでした。
 振り付けを担当したのは、初代市山七十郎(しちじゅうろう)。市山流は、上方の歌舞伎役者を祖に持ち、初代が江戸に移ってからは歌舞伎舞踊で名声を挙げた、由緒ある流派です。この後の三世のときに新潟に拠点を移し、以来200年に渡り、古町芸妓に日本舞踊を教え、新潟の花柳界を支えることになるのです。
 現在の宗家、市山七十世(なそよ)さんが活動している、新潟市古町の稽古場を訪ねました。

 

市山七十世さん

「越後獅子には、基本的な踊りの動きが入っているので、子どもに教えるにはいい演目なんですよ」/市山七十世さん

「越後獅子は、太鼓や獅子頭(ししがしら)、綾竹(あやだけ)、一本歯(下駄)、さらしなど、いろいろな道具を使いますし、子どもらしい動きと大人っぽい表現の両方を含み、変化に富んでいるので、見ていて楽しい舞踊です」と、七十世さんは「越後獅子」の魅力について教えてくれました。

 

越後獅子 番付

「越後獅子」の初演時の番付に市山七十郎の名が記されている/国立音楽大学附属図書館 竹内道敬 寄託文庫

 角兵衛獅子という素材については、「団子売りや大原女など市井の人の姿や大道芸を踊りに取り入れる手法は珍しくはありません。でも、次の世代に新潟に移り住むとは知らずに、初代が角兵衛獅子を踊りにしたと思うと不思議。縁を感じますね」と、ほほ笑む七十世さん。当時、歌舞伎舞踊では踊りの上手な役者が振りを考えることが一般的で、専門の振り付け師という職業はありませんでした。「越後獅子」の振りを作った初代市山七十郎がその先駆者ではないかとも言われています。

 

市山七十世さん

築150年の自宅内の稽古場にて。「戦争中は、舞台の板を軍隊に接収されないよう、外して疎開させていました」

 江戸時代から続く名跡、七代目市山七十郎襲名を目前にして、「市山の名を残していかなければという思いはありますが、特別な気負いはありません。これまでと同じように、精進し、芸を究めようと努力していくだけです」と、七十世さん。そして、踊りだけでなく、その背景にある歴史や文化についても若い人たちに伝えていきたいと語ります。歌舞伎舞踊では役柄を消化して、その心の持ちようまでを理解しなければ、表現ができないからです。「越後獅子についても同じです。次の世代にしっかりと伝えていきたいと思います」

 

 後編では、「越後獅子」を受け継いだ若い歌舞伎役者と、郷土芸能として「角兵衛獅子」を受け継いだ子どもたちを紹介します。

 

■ 取材協力
角兵衛獅子保存会
郷土物産資料室/新潟市南区 月潟農村環境改善センター内
市山七十世さん/市山流宗家 2018年2月に七代目市山七十郎を襲名

 

後編 → 姿を変え、今へ受け継ぐ角兵衛獅子(後編)
『平成の角兵衛獅子』

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