file-127 雪の下に人情あり、人を結んできた「雁木(がんぎ)」(後編)

  

急速に失われてゆく雁木を守れ

 南魚沼市の三国街道塩沢宿「牧之通り(ぼくしどおり)」、阿賀町津川地区の旧会津街道でも、江戸時代に栄えた街道沿いに雁木が作られました。それぞれの地域で、雁木を生かしたまちづくりに取り組んでいる方々に話を伺いました。また、高田の雁木通りを調査・研究している新潟大学工学部の黒野弘靖准教授にも、雁木の魅力を伺いました。

発信することこそ大切

「どう暮らすか」から見つめ直したまちづくり

牧之通り

塩沢は、江戸時代のベストセラー「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」の著者・鈴木牧之生誕の地。それにちなんで「牧之通り」と名付けられた。

 年間15〜16万人が観光に訪れる、三国街道塩沢宿「牧之通り(ぼくしどおり)」は、車社会に合った広い道でありながら、まちなみは雁木が続く江戸時代の雰囲気。現代の利便性とタイムスリップしたような郷愁が交ざり合う魅力的な場所となっています。これは、地域の人々が、この先の未来も子々孫々に誇れるまち作りを目指した結果、作られた景観なのです。
 江戸時代の塩沢は、「越後上布」「塩沢紬」など織物の産地として、江戸と越後を結ぶ宿場町としてにぎわっていました。まちの入口には名物の10メートルの大看板が立ち、特産の薄荷(ハッカ)が旅人の疲れをいやしました。

 

塩沢

雁木の設置や家屋の外観などの建築協定を設けた。公共部分の電線は地中化し、歩道は石畳みにするなどの配慮。

 それが近年、高齢化や定住人口の減少などから、商店街で閉まる店が急増。残った人たちは、地域の活性化に頭を悩ませていました。そんな中、道路拡幅の改良工事が平成13年度(2001)に決まり、これは数百年に一度のまちづくりの機会だと地域住民が「牧之通り組合」を設立。塩沢の人々は地域の歴史や風土に根ざし、子や孫の世代に誇れるまちづくりを選びます。指針となったのは、宿場町だった江戸時代。行き交う人々に、「塩沢に生きる自分たちの暮らしを見せる」ことでした。
 家を建て替える時は通りから2メートル下げて雁木を設置する、建築物の外観・意匠の統一、色彩制限などの建築協定を結び、共通のデザインルールを作りました。

 

中嶋さん

地域のまとめ役である牧之通り組合 組合長の中嶋さん。俗化せず、自然な姿のまま、塩沢がこの先も豊かであることを願っている。

 牧之通り組合組合長の中嶋成夫(なかじま しげお)さんは、「江戸時代の塩沢宿は、交流で生きる力を得ていく、まさにそういう場所でした。多くのみなさんがまちを歩くことで、地域が明るく元気になり、住民も前向きになってコミュニケーションが増えました。もう少し土産物屋を増やしたらなど観光地化を勧められますが、俗化したらだめになる。ここは生活の場であり、私たちが自然体で暮らす姿を見ていただきたい」
 歴史の延長線上にある、自然体の人とまち。これまでに「2015年アジア都市景観賞」をはじめ数々の賞を受け、まちづくりに悩む全国の市町村から注目されています。

 

津川の魅力を掘り起こし、とんぼに結び付けていく

津川

津川は、妻入りの家屋にとんぼというスタイルが多い。昔は火災が多く、火事で焼けてもいいように建物は手軽な材料で作られ、とんぼの梁(はり)には根曲がりした木を使っていた。

津川

「津」とは「湊」を表す古い言葉。車や鉄道が普及する以前、川や海を使った舟運が物資輸送の主流で、津川にも大きな川湊(かわみなと)があった/田辺修一郎氏提供

 旧会津街道が通る阿賀町津川地区。「最近の若い人の中には、津川が明治19年(1886)まで会津藩に属していたことを知る人は多くありません。古い家を見ると、近年まで会津側に玄関を設けていました。やはり殿様のいる方に玄関を向けたのでしょうね」と言うのは阿賀町観光ガイドの薄友一(うすき ともいち)さんです。城下町、宿場町、川湊の町として、「会津藩のお金箱」と呼ばれるほど栄えた津川には、中心部の本町に商家や宿が並び、「とんぼ」と呼ばれる雁木の通りがありました。
 津川の歴史を伝える『津川姿見』には、慶長15年(1610)に岡半兵衛がまちづくりをした際に、とんぼも造られたと記されています。それによれば、新潟県雁木発祥の地は津川になります。とんぼは、今でも通行人を雪や雨から守り、商店街で用を済ませるために欠かせません。車道から30〜50センチメートル高いところにあるので、安全性も高いそうです。

 

薄さん

阿賀町ではまちを楽しく知るための「阿賀町観光ガイド」を実施。知識が豊富で楽しい薄さんとまちめぐりをしたい人はこちらまで。阿賀町役場観光振興課 観光事業係 0254-92-4766まで。

津川の古いまちなみ

とんぼが連なる津川の古いまちなみ。祝日か何かの記念日か、国旗や旗がはためいている。

 津川の原風景であるとんぼを、何とか地域活性に生かそうと、官民一体となって取り組んできました。しかし、急速な高齢化などからなかなか生かしきれていない状態です。「津川の旧会津街道沿いで大雪のために雪下ろしになると、半日で雪下ろしをして、半日で除雪車が片付けます。空き家は、まちの外に住んでいる持ち主が、家の雪の管理のために戻らなければならない。それができないから、家を壊す。すると、とんぼもなくなり、通りが途切れていくのです」

 

蔀板

蔀板を付ける事で、雪よけと通路の確保、安全性が保てる。

 課題も抱える津川ですが、とんぼのまちなみに合う「つがわ狐の嫁入り行列」は毎年大盛況。昨今、注目を集めている19世紀のイギリス人旅行家イザベラ・バードも、明治時代に津川を訪れて、とんぼがあったことを記しています。
「蔀板(しとみいた)といいますが、とんぼの柱に縦の筋を入れ、雪よけに板をはめ込みます。古くからある雑貨店で新しい形の蔀板を付けてくれました。うれしいですよね。仲間のボランティアガイドとともに、津川の魅力を掘り起こしながら、訪れるみなさんに発信していきたい」と薄さん。新しいガイドルートも構築中なので、ぜひチェックをしてみてはいかがでしょう。

 

雪の下にある別世界

黒野さん

「雁木通りが個人の敷地の集合体とわかると、『通らせてもらっている』と意識が変わり、外から来た人もマナーに気を付けるようになるそうです」/黒野さん

 出身は名古屋で、大学が東京という新潟大学工学部工学科准教授の黒野弘靖さんに、雁木の魅力を伺いました。
 黒野さんが雁木に出会ったのは、新潟大学に勤務してから、20年ほど前でした。上越市役所の依頼で、新潟大学が高田の雁木通りの調査に入り、平成22年(2010)に冊子『町家読本ー高田の雁木町家のはなしー』を編集して、すっかり虜になりました。
「雁木の魅力は、それぞれの家の雪を除けながら、まち全体の役に立つこと。個人にとって良いことが、全体の良いことになっていく仕組みは興味深いです。雁木は個人が造るから、高さもかたちもみんな違う。統一した、そろえすぎたものは単調になりますが、変化があるから外観も飽きない。そして、道路に対して開かれている。建築を勉強している者からすれば、こんなに素晴らしいものは世界にありません」

 

消火栓

火災時に雪で消火栓が埋もれないように、私有地である雁木の下に設置されている。何かあっても困らないように仕組みが整えられている。

変容延長

一口に雁木といってもいくつかの様式がある。後年になるほど「落とし式」が増加。資料:雁木の発展系譜/『越後高田の雁木』より/著・東京大学建築史研究室

 黒野さんは、地域のみなさんに伺って、雪下ろしのプロセスも調べました。「昭和35年(1960)頃はまだ車があまり走っておらず、いわゆる車道に雪を落としました。ただ積むのではなく、雁木の軒先の雪とつながらないように、雪塊の側面を斜めに均(なら)して縁を切ります。そこから光も入り、商店の品を照らしてくれる。雪を落とした道路の真ん中はそりが走る道になり、商店の重い荷物を運ぶ。手が離せない商店は、雪塊の均しを近隣の農家に頼んだので、それが収入となり、出稼ぎに行かなくて済みました。火災時の消火栓も雪で埋もれていないよう、私有地である雁木の下にある。何かあっても困らないように仕組みが整えられているのです」

 

 350年以上も続く雁木の暮らし。先人たちは試行錯誤しながら、こんなにも豊かな知恵を育んでいたのです。現在も、空き家や手が足らない家は、町内で真っ先に除雪をします。その際は、家主に断らず、勝手にやるのがルール。地域の生活がかかっているので、通れないのは論外です。時代とともに、こうした新しいルールや仕組みも生まれています。

 

黒野さん

「高田だけではなく、津川や長岡など、それぞれに長い歴史をかけて、雪国のまちなみができました。まちを歩くといろいろなものが見えてきます」/黒野さん

「冬は雪に埋もれてしまいますが、雁木のおかげで雪の下は別世界でした。一見、雪によって閉ざされたように見えますが、人は孤立せず、かえって行き来して楽しんでいた。厳しい冬をみんなで乗り切ろうとする雪国の思いやり文化とともに、商家が元気だったころの遺産である雁木が最も残っているのが新潟県です。その昔、トキは日本全国にいて、最後は佐渡だけになり、残念ながら絶滅してしまいました。雁木もそうならないように、まずは県民のみなさんが大切さを知っていただきたいです。私もせっかく大学で働いているので、記録して、価値を明らかにして、忘れ去られないように後世に伝えていきたいです」

 

掲載日:2019/3/28

 


■ 取材協力
中嶋 成夫さん/牧之通り組合 組合長
薄 友一さん/阿賀町観光ガイド
黒野 弘靖さん/新潟大学工学部工学科 准教授


■ 参考資料
日本建築学会大会(東北)建築歴史・意匠部門 パネルディスカッション資料『雪国の建築文化とその継承』事例報告
上越市高田の雁木町家の雪処理(黒野弘靖さん)
日本建築学会 建築歴史・意匠委員会
『町家読本』編集/新潟大学建築計画研究室、発行/上越市

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