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file-130 村上から胎内へ 北前船の寄港地、荒川三湊を歩く(前編)

  

桃崎浜に残された86枚の船絵馬


 荒川の左岸、胎内市桃崎浜にある荒川神社には、かつて数多くの船絵馬が飾られていました。そこに描かれていたのは、大きく帆を張る北前船。船主や船頭が所有する船を腕利きの絵師に描かせて奉納したのです。その数86枚、これだけの量が残されているのは全国でもまれなこと。その背景に迫ります。

北前船航路図
船絵馬は何を語る?

船絵馬保存プロジェクト

 

荒川神社 社殿

式内社・荒川神社の論社の一つ。境内の左手に桃崎浜文化財収蔵庫がある。/胎内市教育委員会提供

船絵馬 6210975

船絵馬は入れ替えしながら展示。見学には予約が必要/桃崎浜文化財収蔵庫

藤木さん

「五代目まで廻船問屋を営み、その後は醸造業に転じました」/藤木さん

 胎内市桃崎浜の高台に建つ荒川神社。目と鼻が付いたような独特の意匠の屋根が、海岸線と集落を見下ろしています。御祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)、10世紀に編纂された「延喜式」に記された神社ではないかといわれるほど、古くからこの地域を守ってきました。この神社の拝殿には、昭和40年代まで、奉納された船絵馬が壁を埋め尽くしていました。
「私が子どもの頃は、確かに壁に張られていました。でも、なにしろ量が多く、社殿内は薄暗いから何が描かれているかもよくわからず、価値があるものとは思いませんでした」と笑うのは、藤木康市さん。かつてこの地で廻船問屋を営んでいた藤木家の九代目当主です。実は、奉納された絵馬の中には、藤木家が奉納した10枚の絵馬も含まれていました。

 

藤木邸

天保14年(1843)頃建築。2種類の客間を備え、建築的にも貴重な藤木邸。

 江戸時代後期から明治時代前半にかけて、桃崎浜には大小含め30軒の廻船問屋があり、中でも、藤木家、三浦家、本間家、渡辺家の四家はそれぞれ数隻の北前船を有し、海運で隆盛を誇っていました。桃崎浜の船絵馬は、こうした船主たちが航海の安全を祈り、また無事に航海を終えたお礼として神社に奉納したものです。大きく帆を張った威風堂々とした姿、船の細部や乗組員の緻密な描写は、美術品としてはもちろん、当時の生活文化を伝える民俗学的な価値も高く貴重です。
 しかし、その価値が理解され、関心が高まるには時間がかかりました。その間に全国の多くの船絵馬は、忘れられ、また素材の板が割れ、絵の具が退色するなどして失われていきました。一方、胎内市では、昭和43年(1968)に地域の船絵馬の調査に着手しました。すると、胎内市全体では182枚もの船絵馬が存在することが判明。その事実に文化を残す使命を実感し、行政は保存活動を始動させました。藤木さんたち住民も船絵馬の価値を認識し、それをきっかけとして建物の保存に取り組み始めました。そして、桃崎浜文化財収蔵庫を建築し、荒川神社に残された86枚の船絵馬を収納。それらは国指定重要民俗資料として指定を受けました。

 

 

北前船による繁栄の象徴

伊東さん

「北前船寄港地としての胎内市の魅力を発信していきたいです」/伊東さん

 「86枚という量の絵馬が見られるのは、本当に貴重。奇跡だと思います」と言うのは、胎内市教育委員会で文化財を担当する伊東崇さんです。「大量の船絵馬が存在したこと、そして地元の宝を残そうという熱意が湧き上がったこと。その二つが重なって、桃崎浜は全国でも珍しい船絵馬の宝庫となったのです」
 伊東さんは桃崎浜の船絵馬の特徴の一つに豪華さを上げます。中でも、本間家所有の3隻を描いた幅1メートルの大型船絵馬は格別だそうです。「材料はケヤキ、作者は大阪在住の有名絵師です。海の鮮やかな群青色と、雲の金泥や金粉のコントラストが美しく、風格を感じさせます。当時ここは村上藩領で、豪華さを好む殿様の影響ではないか、という説もあります」と解説。
3隻船絵馬 胎内市から

船絵馬の上部左右が欠けているのは、神社内に飾るため調整された跡。/胎内市教育委員会提供

 

奉納模型和船

桃崎浜文化財収蔵庫で展示されている奉納模型和船「雨船」(手前)と「日和船」(奥)

祭

10月第二日曜日に行われる祭では、奉納模型和船をおしゃぎり屋台に載せて地域を巡行。/胎内市教育委員会提供

 そもそもなぜ桃崎浜に30軒もの廻船問屋が存在し、大量の船絵馬が奉納されたのでしょう。その理由を伊東さんに聞きました。「それは荒川の水運に負うところが大きいです。江戸時代後期の荒川は、多くの支流が合流し、今よりも水量が豊富で流れも緩やか。河口の入り江の湊町である桃崎浜には、内陸から多くの米や特産品が川舟で運ばれてきました。つまり、日本海と内陸を結ぶ物資拠点だったのです。さらに、村上藩の米の出荷港でもあったので、港や街づくりに藩の庇護もあり、発展を後押ししたと考えられます」
 文化財収蔵庫には、船絵馬の他に、北前船を忠実に再現した、雨(あま)船と日和(ひより)船と呼ばれる二隻の奉納模型和船も展示されています。明和5年(1768)と嘉永3年(1850)に三浦家が荒川神社に奉納しました。全長350センチほどの模型船ですが、細部まで正確に再現され、細工も見事です。年に一度、荒川神社の秋の大祭では、神様を載せて巡行します。この巡行は10万石大名行列の格式と言われ、奉納模型和船をおしゃぎり屋台に載せて練り歩く勇壮なものです。

 

船箪笥

海中に落ちても水が入らず、浮き上がるように作られている船箪笥(藤木家所蔵)

仕切状

藤木家に送られた仕切状。箱いっぱいの書付けが保管されていた。

北前船の一部

藤木家に伝わる北前船の一部。在りし日の姿が目に浮かぶ。

 荒川神社から大通りを右手へ向かうと、伝統的な町屋が並ぶ一画が現れます。その中の妻入り屋根の一軒が藤木家です。建てられたのは天保14年(1843)頃ですが、藤木さんは令和の今もここで暮らしています。北前船の積み荷の中でも人気の高かった、朝日(現・村上市)特産の漆が塗られた梁(はり)や柱、船箪笥(ふなたんす)、取引を表す帳簿や書付け、収蔵庫にある船絵馬に描かれていた『神悦丸』の船名旗、実際に使われていた錨(いかり)など、邸内には北前船の痕跡が多く残されています。建物は、平成30年(2018)に登録有形文化財として登録されました。
 「今、四家の一つ、三浦家住宅も文化財登録を準備中です。それがかなえば、三浦家と荒川神社、当家の3つの建物を見学して、船絵馬を見て、北前船の時代を体感するイベントができるのではないかと思います。点ではなく、点と点を結んで面にしていけば、地域の個性が伝わりやすくなるでしょう。将来的には、海老江地区や塩谷地区との連携も考えてみたいです」と藤木さん。新しい荒川三湊の歴史が始まろうとしています。

 

後編では、荒川三湊の残りの二つ、塩谷と海老江の昔と今をたどります。

 

掲載日:2019/7/19

 

■ 取材協力
藤木康市さん/荒川神社 氏子総代、藤木家九代目当主
伊東崇さん/胎内市教育委員会 生涯学習課 文化財係 主任
桃崎浜文化財収蔵庫
※見学の際は、事前に胎内市教育委員会への連絡が必要
TEL:0254-47-3409(生涯学習課文化財係)

■ info
胎内アートフェスティバル

「北前船と船絵馬展」
会場:胎内市美術館
期間:2019年9月1日(日)~10月20日(日)
時間:9:30~17:00
入館料:大人300円、小・中学生150円、小学生未満無料

 

後編 → 村上から胎内へ 北前船の寄港地、荒川三湊を歩く(後編)
「塩谷が挑んだ、北前船交易のためのまちづくり」

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