file-139 新潟発!すご腕アートプロデューサー(後編)
新潟の文化的資質を最大限に生かす
にいがた総踊りとアート・ミックス・ジャパン(AMJ)を定着させた能登剛史(のとたけし)さん。さどの島銀河芸術祭を生み出した吉田モリトさん。「新潟には文化がない」と言う人もいますが、本当になければこれらは育たなかったはず。「新潟の土壌には文化という養分がたっぷりある」とふたりは教えてくれました。
文化が自然発生する“余白”を祭りに入れていく
「アートは心を動かすエネルギー。心が動かないと、人は行動に移せない。表現する人たちは、心を動かしながら、新しい時代を創っている」/能登さん
にいがた総踊りは「心踊れば皆同じ」をテーマにした日本最大級のオールジャンルのダンスフェスティバル。2019年度は全国から約250チーム、15,000人が参加した。
地域の文化継承には、おれたちが楽しいからやるんだ!と他者を排除するような強烈な一体感があった。近所には優しいけれど、外からの参加者を求めていない。しかし、一度解け合うと身内かというほど仲良くなる。それが日本から急速に消えている。/能登さん
「にいがた総踊りを始める前から新潟の文化資源を意識していた」と言う能登剛史さん。商店街の空洞化、地方の衰退化…、それまで正しいと思っていたものが消え始める頃でしたが、翻って新潟を見直すと「何てこんなにも文化があるのだろう」と感じたそうです。「民謡の数は日本一。寺社仏閣に関わる土着の祭りや芸能も非常に多い。作物への感謝である祝祭、豊かな食に裏付けされた生活様式にも文化がある。新潟が持つ文化の資質が財産であり、コンテンツになる!」そんな熱い思いから、にいがた総踊りの開催を実現し、いまや全国から踊り子が参加するイベントになりました。
総踊り会場は新潟市内10カ所ほどに設置され、万代がメイン会場です。音響も整っていて、客席もある。「それなのに県外の参加者にアンケートを取ったら、最も満足度が高かった会場は山の下商店街でした。音響もよくない、着替えの場所もない過酷な現場。観客は地べたに座って、司会進行もプロではない商店街の理事長。それが、地域とのふれあいがいい、雰囲気がいい、地元のおばちゃんたちがバナナをくれた、と。そのままの姿で、独自性を出したら1位になっちゃう。他者からしたら文化資産がとても高い。そんな新潟に僕たちは住んでいるんです」
能登さんのプロデュースのコツは“余白”を残すこと。新潟市にはその昔、三日三晩踊り明かす祭りがありました。しかし現在、公共の場で夜中まで騒ぐイベントは難しく、関係各所の許可も必要で、がんじがらめのシナリオ通りに進めるのが最も簡単なのです。「例えば、プログラムに何もない自由な時間、“余白”を入れておくと、MCがアーティストになったり、参加者がMCをやっちゃったり。主催者が思わぬアイデアが、突然に発生する。総踊りは極力、自然発生的なものが起きるように“余白”を持たしています。そこが重要であり、文化が生きる道ではないか」と考えています。
現代に迎合することなく、いかにわかりやすく紹介できるか。開催まで何年も手法を考えたというAMJ。人間国宝やユネスコ無形文化遺産を間近で観られる、地方としては規模も内容も異色の日本文化フェスティバル。
平成25年(2013)から始まったアート・ミックス・ジャパン(AMJ)では、伝統芸能における日本の一流アーティストが新潟市に集結します。能登さんは、8歳の娘がいるお母さんからの手紙が印象に残っているそうす。「AMJで落語に出会った女の子が、誕生日プレゼントに落語のCDが欲しい!と。毎日聞いて同じオチで笑っていて、お母さんも幸せだとありました。8歳でも接点があれば伝統芸能に魅力を感じて好きになる。昔は武士がパトロンでしたから、狂言なんかも、現在の上下関係に通じるむちゃぶりがあったでしょう。出張先が狭くて、えっ、こんなところで演じるの?みたいな。ですから、できるだけ早く、効率的に、どんな場所でも演じられるように工夫された。何百年、千年と、人間が解決し続けてきた結果が、伝統芸能の中にある。とてもかっこいいし、AMJでは自由に感じていただきたいです」
能登さんが考えるアートとは>
アートは心を動かすエネルギー。心が動かないと、人は行動に移せない。表現する人たちは、心を動かしながら、新しい時代を創っています。
いまだ佐渡を超える作品はない。堆積し続ける文化の帰港地
芸術祭は開催まっただ中。毎日ヘトヘトという吉田さんと梶井さん。「佐渡は世界的に見て良い意味で変なところ。ポストパンディミック後の芸術活動の重要な場所になる。図書館で郷土史コーナーを見ると、いっぱいあって本が厚くて深過ぎる」と言う。
平成28年(2016)から始まった、さどの島銀河芸術祭。参加アーティストは150名以上にもなり、ほとんどが島外者ですが「佐渡にアトリエを構えたい」と必ず言い出すそう。「本当の自分に戻れる、落ち着いて仕事ができる、生と死の間にある島、天国と地獄…、佐渡はそういう空間と言われます」と話す発起人の吉田モリトさんは、東京・アメリカ・沖縄からのUターン者。帰省する度に寂しくなる佐渡で「何かできないか」と考えていました。「素晴らしい伝統工芸がある佐渡、昔の古き良き佐渡と現代アートを融合できないか。一過性の盛り上がりではなく、今までにない芸術祭はできないか。著名なアーティスト作品で集客するのではなく、佐渡らしい、佐渡にしかできない芸術祭ができないか…」。島内在住の僧侶であり、写真家である梶井照陰(かじいしょういん)さんに相談するうちに、SNSで「芸術祭をやります!と宣言しちゃった。あれがなかったら、もんもんと考えたままやらなかったかも」と吉田さんは言います。
寺田佳央(てらだかお)さんによる作品「世阿弥の彼岸ボード ゴールデンクルージング」。佐渡という彼岸に流刑された世阿弥の書斎をイメージ。岩首昇竜棚田(いわくびしょうりゅうたなだ)を一望できる場所に常設されており、ひと晩過ごすことも可。大工さんが修繕したり、冬の雪から守ったりと、集落で大切にしている。
楳図かずお氏の作品『わたしは慎吾』の最後の舞台は佐渡。ロボットのアームを制作し、楳図先生に送って直しを繰り返して、納得がいったものを展示した。楳図先生も喜んでくれた。『わたしは慎吾』は、第45回アングレーム国際漫画祭で「永久に残すべき作品」として遺産賞を受賞。
令和2年(2020)度、資生堂トップヘアメイクアップアーティスト計良宏文さんの作品。青年期まで過ごした佐渡の自然、芸能文化の中で培った色彩感覚・美的感覚を発揮。佐渡の竹細工『七成籠(しちなりかご)』をベースにしたオブジェはさどの島銀河芸術祭のための新作。
人形浄瑠璃の普及・発展と文楽人形の新しい可能性を求めるフリーの人形遣い、勘緑さんの作品。その人形をかやぶき屋根の古民家に自由に展示。ヘアスタイルなどは計良さんが担当。
芸術祭を飾る「過去と未来の帰港地」という言葉も梶井さん等、立ち上げメンバーとずっと考えて、朝から夜まで喫茶店でコーヒーを10杯くらい飲んだ日にやっと出てきました。「北前船が運んできた文化がどんどん佐渡にたまっていった。きりがないほど文化がある佐渡は、その数だけテーマが拾えて、他の芸術祭と違う作品が出てきます」。名称に入っている“銀河”も最初は考えておらず、実行委員会スタッフの元高校教師が「何もないと言われる佐渡だが、星空はきれいだ」と、さどの島銀河芸術祭になりました。“銀河”はアートに結びつくイメージで、今ではとても重要なキーワードです。吉田さんたちは、芸術祭によって多くの作品に出会い、佐渡を回って展示してきましたが、「佐渡を超える作品はない」と思うようになりました。
平成28年(2016)の初開催は、まったくの手弁当。ノウハウもなく、他がどう運営しているかもわからずに手探りでやって、あっという間に終わったそうです。「アンテナが高い人が佐渡に来てくれてうれしかった。手伝いたいという人も増えて、スタッフが島内に散らばっています。集まったときに考えが浮かんで、知恵が広がっていく。同年代の若い大工さんがいて、彼自身も限界集落に100人呼んで盆踊りを企画するなどをしていますが、いつも設営を手伝ってくれます。他にもクレーンを出してくれた人、会場で受付をしてくれる人、場所を貸してくれた人…、皆さんの力で成り立っている芸術祭。自分たちだけでは絶対にできない」。新しい作家が新たな佐渡の魅力を創り、島内でも関わりが起き始めています。「展示を手伝ったから他も見に行く」とアートに興味が湧いて、ファンが増えてきたと吉田さんは感じています。
※展示期間や告示事項など、詳細はホームページからご確認ください
文化資源の宝庫・新潟で、千年続く祭りを育てる
梶井照陰さんの作品。佐渡の波を撮り続けた写真集『NAMI』によって一躍注目される。その素晴らしい写真を実際に撮影した現場に展示した。「この波が、ここで起きている」と感動する人が続出した。
吉田さんたちは、各集落にひとつずつ、恒久的な展示物を残したいと夢を持っています。神社での展示や土地の所有者との交渉など難しい面はありますが、その中で最も問題なのは、あと何年かしたらなくなる集落が出てくることです。梶井さんは『限界集落』という日本各地のフォト・ルポルタージュを出版していますが、「コロナ禍がきっかけで祭りを止めちゃおう、という集落もある。あと4年したら、30キロメートル範囲で子どもがゼロという地域もあります」と言います。吉田さんと梶井さんのもうひとつの切実な夢は、佐渡に移住者が増えること。人がいなければ、その地の文化も途絶えます。アーティストやクリエーターが少しずつ移住していますが、手のひらの水のように文化が消えゆく速度に追いつきません。
令和2年(2020)度、イーサン・エステスさんによる作品。海洋学者でもある彼は、人間活動が海洋に及ぼす影響を表現し続けている。加茂湖舟小屋で展示。
佐渡在住のシャルル・ムンカさんの作品。展示している羽黒神社は、佐渡の人でもあまり行かない場所。それが展示によって知ってもらえる。必ず何か背景がある場所を選んでいる。
このような消失は、佐渡や新潟のみならず、日本で急速に起きており、「昔は地域という小さなコミュニティーの中で強制的に文化や芸能が受け継がれました。それが過疎化などからなくなり、支援していたパトロンやたしなむ人も減った。貴重な技術で、世界的に見ても価値がある、日本にしかない宝石みたいな伝統芸能。淘汰されて消えたものはあっても、飢饉や疫病は乗り越えてきたのに。今回のコロナ禍では継続が難しい人たちが出てきて、こんなに簡単に文化がつぶれるとは思わなかった」と、能登さんも心を痛めています。
しかし、苦難を乗り越えてきた伝統芸能にこそ、先人の生き様が内包されている。ずっと携わってきた能登さんは、「きっとだいじょうぶ、われわれにもできる」と感じるそうです。「総踊りを始めるときに、千年続けようとメンバーで話し合いました。来年が20周年なので、あと980年もありますが。その間にはコロナ禍のようなこともある。太刀打ちできる仕組みを作るのは今であり、乗り越えることで、来年また皆さんと笑って会いたい。日本独特の文化、感性、精神性は、日本人が民族としてよりどころにするもの。なくなったら骨抜きになってしまう」
にいがた総踊り、アート・ミックス・ジャパン(AMJ)、さどの島銀河芸術祭…、それだけではない、新潟に育まれた文化たち。少しでも興味があったら、ホームページをのぞいてみましょう。寄付はもちろん、観客として、スタッフとなって応援することができます。もしくはあなた自身が次代を変える、プロデューサーを目指してみてはいかがでしょう。
平成30年(2018)には、山下清の母の生家(新穂)で佐渡アール・ブリュット展を開催。親和性があるよい展示となった。生家からは朱鷺が見えて、おにぎりも出して。裸の大将みたいだと好評だった。
掲載日:2020/10/12
■ 取材協力
能登 剛史さん/にいがた総踊り、アート・ミックス・ジャパン 総合プロデューサー
吉田 モリトさん/さどの島銀河芸術祭 アートディレクター・美術家
梶井 照陰さん/観音寺の僧侶、写真家、ルポライター
■ 参考資料
にいがた総踊りホームページ
アート・ミックス・ジャパンホームページ
さどの島銀河芸術祭プロジェクト2020