file-142 「義」の男たち、新潟のヒーロー!(前編)
戦う男/戦国武将とプロレスラー
新潟で生まれ育ち、「越後の龍」と呼ばれた戦国武将・上杉謙信、そして、日本プロレス界最大の巨人・ジャイアント馬場。それぞれのフィールドで戦い、時代を超えて今も愛されるヒーローは、圧倒的な強さに加え、「義」を重んじるという共通項を持っていました。
令和の今も愛される「巨人」たち
御影石の台座を含めると高さは約7m。「謙信公武道館」のシンボルにふさわしく、堂々とそびえる謙信公の騎馬像。
新潟県上越市にある県立武道館「謙信公武道館」に、令和2年(2020)11月、開館1周年を記念して武将の銅像が完成しました。馬上で太刀を振りかざす、その人とは、戦国時代にこの地を拠点とした上杉謙信。70戦ほぼ負けなしという強さを誇る謙信ですが、「戦いは私利私欲では行わない。助けを求めてきた者に『筋目』があれば、力を貸すのだ」という言葉を残しています。筋目とは大義や正義、信義。つまり、謙信は何よりも「義」を重んじる武将だったのです。12年間に5回戦ったライバル武田信玄に対しては、塩が手に入らず困っていると知って塩を送り、「自分亡き後は謙信を頼れ」と信玄に言わせた、というエピソードも。これらの真偽は定かではありませんが、義理を貫き清廉潔白を通した謙信への尊敬や憧れが、後にこうした伝説を生み出したのかもしれません。
令和5年(2023)以降は現在の三条市立図書館を改修した施設で常設展示予定。それまでは株式会社諏訪田製作所で展示。/三条市提供
「32文人間ロケット砲」では、ジャンプの高さと美しい姿勢に、身体能力の高さがうかがえる。
令和2年(2020)12月、三条市でも大きな展示物がお披露目されました。全長約6mの豪華にしてクラシカルな純白のアメリカ車は、キャデラック エルドラド コンバーチブル1976。昭和のプロレスラー・ジャイアント馬場の愛車です。アメリカ武者修行時代、名勝負を繰り広げたプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノからプレゼントされて以来、買い替え時には同型・同色のキャデラックを選ぶという義理堅さをジャイアント馬場は持っていました。この車はよく訪れたハワイで乗っていた最後の愛車で、23回忌を前に親族から故郷三条市に寄贈されたのでした。
身長209㎝、体重135㎏の巨人、ジャイアント馬場は、昭和13年(1938)三条市に生まれ、三条実業高校(現在は新潟県央工業高校)野球部のエースとして活躍し、読売ジャイアンツに入団。その後、プロレスラーに転身し、昭和35年(1960)デビュー。「16文キック」をはじめ、「水平チョップ」「脳天唐竹割り」「ヤシの実割り(ココナッツ・クラッシュ)」などダイナミックな技で人気を博しました。NWA世界ヘビー級王座を3度戴冠した唯一の日本人レスラーであり、その実力は世界レベル。昭和のプロレス黄金期を大いに盛り上げました。
ジャイアント馬場の大きな足跡
グレート小鹿(左)とシマ重野(右)。新潟プロレスの顧問でもある小鹿は、78歳の今も現役でリングに立つ。
ジャイアント馬場の代表技「16文キック」は破壊力大。ピッチャー時代に大きく足を上げていたことが活かされたとも。
「鍛錬に鍛錬を重ねていたから、どんなに動こうとも息切れしない。あの大きな身体で俊敏に技を繰り出す。あんなにすごいプロレスラーは世界を見ても他にはいません」と振り返るのは、34年間をともに過ごしたプロレスラー、グレート小鹿さんです。試合ではセコンドにつき、一時期は運転手も務めるなど、間近でジャイアント馬場を見てきました。「でも、いったんリングを降りると、穏やかな人で、怒った顔を見たことはありません。また、とてもスマート。プロレスは勝てばいいというものではなく、見ているお客様を楽しませるもの。だから、どのタイミングで技を出すか、飽きられないよう試合ごとにどう変化をつけるかを考えていました。頭脳派ですよ」
グレート小鹿さんにヒーロー像について伺いました。「カリスマ性を持っていること、そして、努力を続けられる人です。日本のお客様はちゃんと見ていて、内容が悪ければ厳しい反面、頑張っていれば応援し、ヒーローにしてくれる。だから、努力し続けないと。ジャイアント馬場はそれができる人でした」
ジャイアント馬場の得意技に16文キックがあります。16文とは約38.4cm。ところが、実際の足のサイズは34cmでした。類まれな体格と圧倒的な強さが、ビッグをイメージさせる大きめな呼び方を定着させたともいわれています。
令和元年(2019)のトーナメントに参戦した二人。見事優勝し、新潟タッグ王座初代王座に輝いた。
小・中学校は相撲、高校・大学ではレスリングで鍛えた鈴木敬喜。卒業後、就職するも心機一転、憧れのプロレス界へ。
故郷・新潟市で活躍するプロレスラー、シマ重野さんの原点にもジャイアント馬場の存在があります。「小学生の時、新潟巡業で『生の』ジャイアント馬場さんを見ました。体の巨大さや迫力、相手とぶつかる音、リングの振動、今でも鮮明に覚えています」。プロレスファンだった少年は、メキシコで修業を積み、自身が愛するプロレスで新潟を盛り上げたいという思いで、平成23年(2011)、プロレス団体・新潟プロレスを立ち上げました。
シマ重野さんが考えるヒーローとは、強さとかっこよさを併せ持ち、見る人の心を引き付け、感動を与えられる者。「そのためには、技術だけでなく、礼儀や思いやりなどの精神も鍛え、一人前の男にならなければ。そういう世界観を伝統として、練習生はもちろん、子どもたちにも伝え、広めていきたいです」
令和元年(2019)にデビューした新潟プロレスのホープ、鈴木敬喜(ひろゆき)さんにとってジャイアント馬場は、歴史上の偉人に近い存在。「目指すなんて恐れ多い」と言う彼にとってヒーローは、子どもたちが憧れ、目標にする存在。「相手の技を美しく受け、立ち上がり、最後には勝つ。子どもたちをワクワクさせられるように頑張ります」
大きな身体に大きな心を持つ
プロレス界の巨人は、類まれな体格や強さだけでなく、温かな笑顔、故郷への貢献によっても人々に愛された、信義の人だったのです。
後編では、新潟生まれの特撮ヒーローをご紹介します。
掲載日:2021/2/8
■ 取材協力
謙信公武道館
グレート小鹿さん/大日本プロレス 会長 新潟プロレス 顧問
シマ重野さん/新潟プロレス 代表
鈴木敬喜さん/新潟プロレス 所属選手
中條耕太郎さん/三条ジャイアント馬場倶楽部 会長