
file-142 「義」の男たち、新潟のヒーロー!(前編)
戦う男/戦国武将とプロレスラー
新潟で生まれ育ち、「越後の龍」と呼ばれた戦国武将・上杉謙信、そして、日本プロレス界最大の巨人・ジャイアント馬場。それぞれのフィールドで戦い、時代を超えて今も愛されるヒーローは、圧倒的な強さに加え、「義」を重んじるという共通項を持っていました。
リアルなヒーローは伝説を生んだ
令和の今も愛される「巨人」たち

御影石の台座を含めると高さは約7m。「謙信公武道館」のシンボルにふさわしく、堂々とそびえる謙信公の騎馬像。

令和5年(2023)以降は現在の三条市立図書館を改修した施設で常設展示予定。それまでは株式会社諏訪田製作所で展示。/三条市提供

「32文人間ロケット砲」では、ジャンプの高さと美しい姿勢に、身体能力の高さがうかがえる。
身長209㎝、体重135㎏の巨人、ジャイアント馬場は、昭和13年(1938)三条市に生まれ、三条実業高校(現在は新潟県央工業高校)野球部のエースとして活躍し、読売ジャイアンツに入団。その後、プロレスラーに転身し、昭和35年(1960)デビュー。「16文キック」をはじめ、「水平チョップ」「脳天唐竹割り」「ヤシの実割り(ココナッツ・クラッシュ)」などダイナミックな技で人気を博しました。NWA世界ヘビー級王座を3度戴冠した唯一の日本人レスラーであり、その実力は世界レベル。昭和のプロレス黄金期を大いに盛り上げました。
ジャイアント馬場の大きな足跡

グレート小鹿(左)とシマ重野(右)。新潟プロレスの顧問でもある小鹿は、78歳の今も現役でリングに立つ。

ジャイアント馬場の代表技「16文キック」は破壊力大。ピッチャー時代に大きく足を上げていたことが活かされたとも。
グレート小鹿さんにヒーロー像について伺いました。「カリスマ性を持っていること、そして、努力を続けられる人です。日本のお客様はちゃんと見ていて、内容が悪ければ厳しい反面、頑張っていれば応援し、ヒーローにしてくれる。だから、努力し続けないと。ジャイアント馬場はそれができる人でした」
ジャイアント馬場の得意技に16文キックがあります。16文とは約38.4cm。ところが、実際の足のサイズは34cmでした。類まれな体格と圧倒的な強さが、ビッグをイメージさせる大きめな呼び方を定着させたともいわれています。

令和元年(2019)のトーナメントに参戦した二人。見事優勝し、新潟タッグ王座初代王座に輝いた。

小・中学校は相撲、高校・大学ではレスリングで鍛えた鈴木敬喜。卒業後、就職するも心機一転、憧れのプロレス界へ。
シマ重野さんが考えるヒーローとは、強さとかっこよさを併せ持ち、見る人の心を引き付け、感動を与えられる者。「そのためには、技術だけでなく、礼儀や思いやりなどの精神も鍛え、一人前の男にならなければ。そういう世界観を伝統として、練習生はもちろん、子どもたちにも伝え、広めていきたいです」
令和元年(2019)にデビューした新潟プロレスのホープ、鈴木敬喜(ひろゆき)さんにとってジャイアント馬場は、歴史上の偉人に近い存在。「目指すなんて恐れ多い」と言う彼にとってヒーローは、子どもたちが憧れ、目標にする存在。「相手の技を美しく受け、立ち上がり、最後には勝つ。子どもたちをワクワクさせられるように頑張ります」
大きな身体に大きな心を持つ
三条市には、ジャイアント馬場をヒーローと考える多くの人たちがいます。「三条ジャイアント馬場倶楽部」の中條耕太郎さんもその一人です。「馬場さんは出身高校での凱旋試合や地元商店街でのパレードを行い、一日郵便局長を務めるなど、地域のためにいろいろと貢献してくださいました。また、新潟へ巡業に来られると、出身小学校を訪問し、子どたちと触れ合ったりも。そういうことを知れば知るほど、私たちの中に馬場さんに感謝の気持ちを表したいという気持ちが生まれました」。そこで、地元ファンが中心となり「ジャイアント馬場を三条市の名誉市民にする会」を立ち上げ、署名活動を開始。13,000人の署名を三条市議会へ届け、平成28年(2016)、ジャイアント馬場は三条市名誉市民となりました。
プロレス界の巨人は、類まれな体格や強さだけでなく、温かな笑顔、故郷への貢献によっても人々に愛された、信義の人だったのです。
プロレス界の巨人は、類まれな体格や強さだけでなく、温かな笑顔、故郷への貢献によっても人々に愛された、信義の人だったのです。
後編では、新潟生まれの特撮ヒーローをご紹介します。
掲載日:2021/2/8
■ 取材協力
謙信公武道館
グレート小鹿さん/大日本プロレス 会長 新潟プロレス 顧問
シマ重野さん/新潟プロレス 代表
鈴木敬喜さん/新潟プロレス 所属選手
中條耕太郎さん/三条ジャイアント馬場倶楽部 会長