file-150 カレー愛が盛り上がる! 新潟カレー物語(前編)

  

開港五港+米+共働き=カレー

 インド発祥のカレー料理が、イギリス経由で日本に伝わってきたのは、安政6年(1859)。横浜港などが開港された時と言われています。160余年の日本のカレー史をたどりながら、新潟のカレー史との関わりを探り、新潟におけるカレー文化のルーツに迫ります。

カレーライスは文明開化の味

高級西洋料理が家庭の味に

井上さん

株式会社カレー総合研究所代表、カレー大學・カレー大學院学長の井上岳久さん

カレー大學授業風景・大學ロゴ
カレー大學授業風景・大學ロゴ

カレー大學では、1カ月の間に好きな時間・場所で学習するWEB講座と、集中講義を1日受講する通学講座、2つの講座形式を用意している

イタリア軒ビーフカレー

現在、イタリア軒の洋食レストラン「マルコポーロ」で提供されているビーフカレー

 いまや日本の国民食のカレーライス。バリエーション豊富なカレーメニューの中でも、令和の今に流行しているのは、スープのようにサラサラで、香辛料たっぷりのスパイスカレー。これはカレー発祥の地・インドタイプのカレーです。
「インドでは5000年前から、1000種類はあるといわれるスパイスを使ってカレーを作っていたんです」と言うのは、カレー研究の第一人者、井上岳久さん。総合的にカレーについて学び、カレー店経営からカレーによるまちおこしまで、カレービジネスで活躍する人材を育成する「カレー大學」の学長も務めています。井上さんから、インドに始まるカレーの歴史を教えていただきました。
 インドのカレー料理がヨーロッパで普及したのは、あらかじめスパイスを調合した『カレー粉』が流通した19世紀ごろ。このカレー粉と小麦粉で作るとろみのある欧風カレーが世界に広がり、安政6年(1859)の横浜港などの開港と同時に日本にも伝わりました。
 ところが、輸入品のカレー粉は高価で、レストランに登場したカレーは当時の人にとっては高根の花。気軽に食べられるものではありませんでした。その後、肉と野菜が使われ栄養バランスがいいこと、大鍋で一度に作れ、皿も1枚で済むので片付けが簡単なことにより、陸軍と海軍がメニューの一つに採用。味と作り方を覚えた兵士たちが除隊後にそれぞれの家庭で作り、そこから一般の人々に広まりました。
 そして、戦後、学校給食に採用され、人気に火が付きます。「おいしいから家でも食べたい」という子どもの声に応えるように、昭和25年(1950)に固形のカレールウの発売がスタート。こうしてカレーライスは国民食への道を着々と進み始めたのでした。

 

キーパーソンはイタリア人コック

ピエトロ・ミリオーレさん

イタリア軒の創業者、ピエトロ・ミリオーレさん。本文中に登場する「ミオラ」は愛称

チキンカレーレシピ

大正9年(1920)に記されたイタリア軒に残る最古のレシピ書。チキンカレーの原型レシピは、左下に記載されている。ロビー2階にて現物を見ることができる

 新潟ではどのようにカレーが広まっていったのでしょう。ホテルイタリア軒総料理長、関本拓夫さんに新潟のカレー事情について伺いました。イタリア軒は、サーカス団のイタリア人コック、ミオラさんが縁あって、明治7年(1874)に新潟で開いた西洋食品店。後に料理店となり、新潟における西洋料理のパイオニアとして、数々のハイカラなメニューを提供してきました。
 「いつからカレーをお出ししたかという正確な記録は残っていませんが、開港五港のひとつである新潟港には、香辛料やカレー粉などの輸入品は早い時期から入っていたでしょうし、最新の情報も届くので、新しいものを受け入れやすい風土も育っていたでしょう。ミオラがまかないとしてミートソースを作っていたことから考えて、当時ヨーロッパで人気のあったカレーを作っていても不思議はありません」と、関本さん。イタリア軒に残る大正期のレシピ集には「カレー」の項目があり、昭和初期のメニューには「チキンカレー」が載せられています。

 

 今も受け継がれているこのカレーは、人参や玉ねぎ、セロリなどの県産野菜をピューレにしてルウに合わせた欧風カレー。「贈答品にしたい」という顧客の声を受け、平成16年(2004)にはレトルトカレーを開発し、伝統の味を発信し続けています。

 

お家カレーが新潟スタイル

一条もんこさん

一条もんこさん。You Tube公式アカウント「もんこのカレー教室TV」では、簡単アレンジレシピやスパイス料理の作り方を発信している

チキンカレー

イタリア軒のチキンカレー。煮込んだ野菜を一度取り出して、ピューレにしてからルウに混ぜ合わせている

 そして、新潟でもカレーは広まっていきました。愛され、しっかりと根付いて、総務省の家計調査によると、カレールウ消費量、購入額とも新潟市は全国2位(2018~2020)。つまり、新潟の人は、家で食べるカレーが好き。この結果から見えることを、新潟カレー大使を務め、新潟のカレー事情に詳しい一条もんこさんに伺いました。
 「1つ目に、ランキングの上位には日本海側の都市が多いことから、カレーの相棒にふさわしい、『おいしいお米の産地であること』が、まず考えられます。2つ目に、女性の有職率が高いため、手軽に作れて作り置きもでき、鍋や皿の片付けが簡単なカレーが、『大いに家事の助けになること』。そして3つ目に、同じ調査で野菜消費量がトップクラスと野菜好きな新潟の人にとって、たっぷりの野菜と肉を使うカレーが『好みにあうこと』。この3点でしょうか」。

 

 新潟のカレー愛は、新しいものを受け入れる柔軟性、基幹産業の農業、共働きのライフスタイルといった「新潟らしさ」を背景として大きく育ってきたものでした。
 後編では、カレーライスはもちろん、新潟ならではのさまざまな「カレー」を紹介します。

 

昭和初期のメニュー表

昭和3年(1928)頃、イタリア軒で使われていたメニュー表は、今も残っている

 

掲載日:2021/12/06

 


■ 取材協力
井上岳久さん/株式会社カレー総合研究所代表、カレー大學・カレー大學院学長
関本拓夫さん/ホテルイタリア軒 総料理長
一条もんこさん/スパイス料理研究家、新潟カレー大使


■ info
カレー大學
スパイス料理研究家一条もんこ 公式サイト もんこの部屋

 

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後編 → file-150 カレー愛が盛り上がる! 新潟カレー物語(後編)
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