file-24 奉納煙火というまつり …花火貯金のある町
浅原神社裏手の丘から打ち上げられた4尺玉。その大きさも圧倒されますが、山で上がるため「樹木にこだまする音が他では味わえない」と太刀川さん。
片貝の花火で実際に使用される打ち上げ台。これが土に埋められて固定される。
小千谷市片貝町。江戸時代は街道沿いの職人町として栄えていました。町のほぼ中心にある浅原神社は町の総鎮守で、毎年9月9日、10日が秋季例大祭。花火大会の多くは海辺や湖畔、河川敷で行われるケースが多いのですが、片貝の花火はこの神社の裏にある丘陵地で上がります。
花火打ち上げの前には、個人に関わりのあるアナウンスが入るのがここの特長。たとえば「天国のお父さんありがとう」「後厄御礼」「小学校入学おめでとう」など、そして奉納する人の名前を読み上げてから打ち上げられます。他の花火大会で見られるように企業が提供する花火もありますが、片貝は個人がお金を出し、祈りを込めて花火を上げるのです。
「町の人が花火に使う金?生涯で200万円ともいわれるが…」と話すのは片貝町花火協会の太刀川忠雄会長。もちろん統計を取ったことはなく、花火を上げない人もいればそれ以上に上げる人もいるので、あくまで地元の感覚的な数字とのこと。「まつりが終わると次に向けて貯金を始めるんだ」と太刀川さんは言います。
個人で何かを祈願して上げる花火はおおむね尺玉(玉の直径およそ30センチメートル・開いた花火の直径およそ250メートル)。連発して上がる大型のスターマインは、片貝中学校の同級生で結成された「会」が上げます。片貝中学校では卒業時、卒業年度ごとに「飛翔会(ひしょうかい)」「一進会(いっしんかい)」などと必ず名を付け、会の名前で花火を上げるそうです。花火を上げるとなれば、多くの同窓生はまつりに合わせて帰省し、ともにまつりに参加します。
太刀川さんは「片貝の、何よりも自慢なのはまつりに合わせて友が集まることだ。遠方に嫁いで子どもがいれば普通は帰省できるものでない。だけど片貝の花火には帰ってくる。同級生と、家族がみんな集まれる。そういう特別なものなんだ」と話します。ちなみに太刀川さんは昭和33年度卒業の「朗志会(ろうしかい)」。4尺玉(玉の直径およそ120センチメートル、開いた花火の直径およそ800メートル)を初めて上げたスポンサーなのだそうです。
浅原神社境内。まつりの日には花火見物の桟敷席、町の通りには露天が並ぶ。「神社と露店と花火。この3つが揃うまつりって、実は案外少ないんです。この情緒を喜んでくれる人は多いです」と太刀川さんは言う。 | 花火には名前があります。これは「椰子」。花火の玉が割れる威力を調節し、風にそよぐ椰子の葉のようにゆったりと星(玉の中に入れた火薬)が落ちてくるように作ります。 |
file-24 奉納煙火というまつり …花火の歴史
火薬と薬品を混ぜ、星の原料を調合します。
回転する大きな釜で調合した火薬を混ぜると小さな丸い塊ができます。時間をかけて大きくするのは金平糖の作り方と似ています。これが星になります。
光の点が一気に広がるのが牡丹。光の色によって「紅牡丹」「青牡丹」などと呼ばれます。
日本で初めて花火見物をしたのは徳川家康だと伝えられています。時は慶長18(1613)年。打ち上げ花火ではなく、火薬を筒に詰めて火花が飛び出すタイプだったそうです。日本に火薬が伝わったのは種子島へ鉄砲が伝わった天文12(1543)年で、徳川家康以前に花火見物をした人がいるという諸説はありますが、鉄砲伝来を遡ることはありません。徳川幕府が安定期に入ると、全国各地で鉄砲に使う火薬作りに携わっていた職人が余り、その技術が活かされ、しだいに花火づくりに移行していったとされています。江戸に移る前の徳川家のお膝元だった三河地方は、現在でも花火づくりが盛んな地として知られています。
一方、片貝はその発祥は定かではありませんが、18世紀半ばにはすでに打ち上げ花火が上がっていたと伝えられています。当時は花火師という職分はなく、町の花火好きが自ら工夫して作った花火を上げていました。幕末の慶応3(1867)年には、3日間で70発、最大は1尺玉であったと記録が残っています。そして明治24(1891)年、片貝で初めて3尺玉の打ち上げに成功します。
秋季例大祭では、その夜打ち上げる花火を集めて「玉送り」「筒引き」という行事が行われます。江戸時代には火薬の種類も少なかったのですが、明治になって外国から火薬の原料となる新しい薬品が導入されると、さまざまな色や大きな音が出せるようになった一方、発火事故も起こりやすくなります。大きな事故が起きるごとに法令が作られ、個人で花火を作ることはなくなり、設備投資が負担となって全国的に花火製造会社は減少します。現在片貝では片貝煙火工業一社が製造と打ち上げを担っています。
片貝で初めて4尺玉の打ち上げに成功したのは昭和60(1985)年。これが世界一大きな打ち上げ花火としてギネスブックの記録となり、その後破られていません。初成功の前年の7月にテスト(このときは玉の中に火薬ではなく砂を詰めた)に成功し、その年の例大祭では打ち上がったものの花火が開きませんでした。
4尺玉は直径120センチメートル、重量は400キログラムを超え、開いた花の直径が800メートルほどに達します。このため、400キロ以上の玉を上空800メートルまで打ち上げ、そこで炸裂して花が開くようにしなければなりません。花火製造の精度とともに、打ち上げに使用する火薬の微妙な調整が求められました。当時中学生だった片貝煙火工業専務の本田和憲さんは「一体どうすればあれ(4尺玉)が空に上がるのか、想像がつかなかった」と話します。普通の花火は玉の内側から作り、最後に球形の玉に仕上げますが、4尺玉は大きすぎる上に長期間に渡る作業で危険が伴うため、先に外側の球を作り、その中に火薬を詰めるのだといいます。
ちなみに、打ち上げ花火が球形なのは日本独自のもの。球形をした玉の中に、おもに球形に成型した火薬を詰め、打ち上げ用の火薬で上空に上げて炸裂すると球状に開く。球を破る火薬の威力や、中に詰める火薬によってさまざまな花火を作ることができるのです。
今年打ち上げられる4尺玉の外側の球はすでにできあがっています。球状に作ってから一部を切り取り、そこから花火の星を詰めていきます。4尺玉1つに10か月の製造期間がかかるそうです。 |
file-24 奉納煙火というまつり …花火は分からないことだらけ
花が開いた後、長く尾を引いて光り続ける花火で「錦冠」(にしきかむろ)と呼ばれます。銀色のものは「銀冠」と呼び、より高い燃焼温度が必要なため「長く燃焼させる」のと目的が相反してしまい、技術的に難しいといわれます。
NHK朝の連続テレビ小説「こころ」の撮影時、工場をロケ地として提供し花火師の演技指導にもあたったという本田さん。春は各地の花火大会の準備で消防署や警察を回り、大忙しだという。
浅原神社奉納煙火の花火を一手に製造し、打ち上げている片貝煙火工業の本田正憲社長に、花火の妙味と片貝の4尺玉について伺いました。片貝煙火工業は正憲さんの父善治氏が、後継者のなかった地元の花火工場を継承して昭和55(1980)年に設立。昭和60(1985)年に正憲さんがそれまでの仕事を辞めて片貝に戻って専務就任。その年の奉納煙火で、同社は初めて4尺玉の打ち上げに成功しました。
― 花火が生業になるとは思っていらっしゃらなかったわけですよね。
父が花火工場を引き取ったのが、私が33歳の時。私は株主にはなりましたが、継ぐとは思っていなかったし、父も自分が花火工場を引き取ればあとはどうにかなると思っていた。ところがそうはいかなかった。よその花火大会はよそから花火を持ってきても成り立つし、たとえ花火大会がなくなってもそれだけのこと。だけど片貝は違うんです。花火がなくなったら町そのものがなくなってしまうと、私は思った。まつりが好きだったし、片貝に花火工場を残すという問題に、一番身近にいた私が戻ったということです。「奉納煙火」は全国にたくさんありますよ。でも個人がそれぞれの思いを持って花火を奉納するところは、他にはありません。
― 4尺玉の最初の年は失敗し、正憲さんが会社に入られて後に成功したわけですが…
花火を見る方にとっての成功、失敗と、作り手にとってのそれは違っていて、私自身は成功も失敗もないと思っています。開いた輪がいびつであったとして、その原因は分かるときもあれば分からないときもある。花が開く上空地点の風や温度や湿度も分からないし、打ち上げの後にはもう花火の姿形はない。花火の一番の特徴は、検証ができないってことなんです。だから、見物する人に評価をゆだねるしかない。
― 花火が開くとき、中心部分は何度くらいになるんですか?
数千度。計れませんから定かなことは言えません。しかし、それくらいの温度になるから空気中の水蒸気に影響を与え、乱反射が起きているかもしれません。空気中の水蒸気は少ない方が良いはず。だから一番きれいなのは真冬の晴れた日に上げる花火でしょうね。その点で言うと片貝は雨の多い時期で、場合によっては音でしか確認できないこともある。
― 花火の盛んなところは全国に幾つもありますが、産地としての新潟の特徴のようなものはあるのでしょうか。
打ち上げ花火というのは上げるのに保安距離というものがあって、人口密集地で大きな花火は上げられません。大きな花火を上げるにはそれなりの空き地が必要です。あくまで傾向としてですが、人口密集地では小さな花火をたくさん上げてコンビネーションで魅せるのが得意になり、大きな空き地がある、言い換えれば人口が少ないところでは、一つの大玉に丹精を込めて魅せるという風になります。新潟は後者。
― 4尺玉は片貝煙火工業でしか作っていないわけですが、大玉の難しさとは?
打ち上げ用の火薬が爆発する衝撃に花火内部の火薬がどこまで耐えられるかとか、球の強度との兼ね合いとか、細かく言えばきりがありません。が、基本的には尺未満の花火も構造は同じなんです。小さい玉では気づかない、もしくは気にならない誤差が、玉が大きくなることで過誤できないものになってくる。例えば角度が0.1ミリメートル狂った状態で線を引くと、それが10センチメートルの直線なら気にする必要はないけれど10メートル線を引いたら大きな狂いになるでしょう。同じように作るのですが、大玉を作る場合に求められる精度は小玉の比ではないんです。4尺玉は片貝の看板のようなものですからおろそかにできないということもありますが、大玉を作るための精度を他の花火にも活かしているという意味で、他では培えない技術力を得ることができたと言えます。
― 花火見物をする際のみどころはありますか?
楽しく気持ちよく見ていただければそれでいいんです。よりこだわってたくさんの花火を見る人には、製作意図を感じてほしい。これはたくさん見ていくとだんだん分かります。それにそれぞれの会社の「色」というのがあります。いろいろな色は出せるんですが、年間でたくさんの花火を作るので同じ赤ならその中で複数のバリエーションは出す余裕がないんです。ですからその会社の親方の考えで会社の色が決まってきます。すると、大きな花火大会で「これは何県のなんとかって会社の花火だ」って、分かるんですね。そこまでいくと相当のマニアですが、花火の色ときらめきには注目してほしいと思います。
協力
・片貝町煙火協会
片貝煙火工業
・小千谷市
・明鼓煙火店
file-24 奉納煙火というまつり 県立図書館おすすめ関連書籍
県立図書館おすすめ『花火・片貝まつり』関連書籍
こちらでご紹介した作品は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。
また、特集記事内でご紹介している本も所蔵していますので、ぜひ県立図書館へ足をお運びください。
ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
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新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/
▷『花火に熱狂する片貝 世界一・四尺玉の里
(渡邊三省/著 野島出版 1992 575-W46)
特集を読んで、もっと片貝の花火について知りたいと思った方はこちらをどうぞ。さりげない装丁の本ですが、片貝の歴史や文化、花火の製造工程なども詳述してあり、なかなかの大著です。
▷『花火写真集 片貝まつり 世界でここだけの四尺玉』
(冴木一馬/写真 白石まみ/文 ぶんか社 2003 郷貸748-Sa14)
民家が立ち並ぶ中山間地の上空に、荘厳に浮かぶ大輪の花火。山々に木霊す大音響が聞こえてきそうな作品です。
▷『花火の図鑑』
(泉谷玄作/写真・文 ポプラ社 2007 575-I99)
花火のすべてがわかる一冊。巻頭では、花火の種類にはじまり、作り方や炎色反応までわかりやすく解説してくれます。普段はあまり気にしない「昼花火」の写真もあり、花火見物がさらに楽しくなること間違いなし!
▷『新潟市観光文化検定公式テキストブック 改訂版』
(第一印刷所クリエイティブインフォメ-ションセンタ-/編 第一印刷所 2007 郷貸N29*1.3-D13)
越後三大花火といえば「海の柏崎、川の長岡、山の片貝」。しかし!県都・新潟市の「新潟まつり」の花火大会だって、歴史も規模も負けてはいません。新潟市に関する豆知識が満載の一冊。花火を見上げながら薀蓄を傾けてみるのはいかが?
▷『長岡大花火 祈り』
表紙の震災復興祈願花火「フェニックス」が印象的な一冊。長岡大花火の歴史やエピソードが満載です。「花火見物に漬けナスと枝豆は欠かせない」など、長岡式花火見物の作法も紹介されています
片貝と並んで新潟三大花火の一つ、長岡まつり。詳しくは新潟県観光協会へ。