file-32 越後上布ってどんな布? ~2010年、冬の塩沢

2010年、冬の塩沢<

イラクサ科の繊維で作った青苧

イラクサ科の繊維で作った青苧。艶やかだが今はまだ太く、もろい。これが越後上布の糸に変わってゆく。

糸撚り

荒川さんは青苧を水に浸しながら細く裂き、撚っていく。糸がよく見えるように、必ず紫の風呂敷を膝に敷くという。

 「糸が切れていらだつようではだめ。切れた時こそ気を落ち着けてかかるの」と荒川セツ子さんは言います。荒川さんは昭和6年に生まれ、旧制小学校の高等科を卒業してから60年余り、ずっと越後上布を織り続けてきました。多くの工程を経て、何人もの職人の仕事を完成させる「最後の仕上げ」が織りです。糸の原料であるカラムシの質や、糸が悪ければ切れやすくなり、染めで間違いがあればその部分を切ってつなぎ合わせます。前工程が良ければ短い時間でより良いものを織り上げられますが、悪くてもそれを補って仕上げるのが自分の仕事だと考えています。「そう思わなければできないよ」と荒川さんは言います。

 越後上布は先染めの糸で織り、模様を浮き上がらせます。模様の設計図に沿って染め屋さんが糸を染め、模様がきちんと揃うように横糸を並べます。模様が複雑になるほど、この作業は繊細になり「難しいのは2倍3倍の時間がかかる」と言われています。

 縦糸がきちんと並ぶと機織り(はたおり)が始まります。機(はた)は縦糸の端を結んで通した棒を腰に巻いてひっぱりを調整する「いざり」と呼ばれるものを使います。糸が乾燥に弱くデリケートなためです。乾燥するとすぐに切れてしまうため、越後上布の織りは雪に閉ざされた冬の仕事でした。部屋を暖かくすれば乾燥します。加湿器を使う現在でも、部屋の温度は低く保たれています。

 越後上布の機織りにはカタン、カタンとリズミカルな音が響くことはありません。あらかじめ模様を染めた縦糸ときちんと合っているか確かめ、縞模様なら異なる色に染めた複数の横糸を使うために目を数え、切れかかった糸は切って別の糸をつなぎ合わせ、そういう作業をしながら織っていくからです。時折布や糸に水を染みこませて強度を保つことも必要です。大変根気を要する仕事です。

 一方、「原料の仕入れ、染め、誰に織ってもらうか。どんな布になるかをプロデュースするのが機屋(はたや)なんだ」と話すのは小河(おがわ)織物の小河正義社長。越後上布・小千谷縮技術保存協会の会長でもあります。糸の原料となる青苧(あおそ)は福島県昭和村で作られており、これを魚沼で糸にします。苧績(おうみ)と呼ばれる作業は単純ながら繊細さと根気が要求され、機械で行うことはできません。その後染め屋さんで糸が染められます。仕上げの模様に沿って部分だけを染めるのです。織り上がった布は、晒(さら)し屋さんで雪晒(ゆきさら)しが行われます。白地を漂白し、模様を浮き立たせるためです。天候を見ながら職人の経験で行われる雪晒しは「する前とした後では一目瞭然に違う」と小河さんは言います。

 このように多くの人の手を経るため、越後上布は最高級品と位置づけられて高い値段がついている割に、職人や織り子に渡る賃金は少ないのが現実で、それは昔も今も変わらないと小河さんは言います。「冬場は雪でほかにできることがない。これよりましな現金収入を得る手段がないからみんなが布を織った」と小河さん。江戸時代、越後から移った上杉家によって、米沢で上布を産業として移入しようとした時期がありました。当時越後の布は最高級品として江戸でもてはやされていました。原料の青苧の供給基地ではなく、完成品の産地になった方が利益は高いと考えたからです。越後から職人を招いて力を尽くしましたが失敗します。あまりに手間がかかり、しかも熟練するのに長い年月が必要で、それに見合う賃金が得られないために農民の間に定着しなかったというのが原因だったと言われています。

 昭和30年に国の重要無形文化財に指定され、昭和48年からは後継者の育成事業が続けられています。希望者は冬場に年間100日間、5年間の研修を受けることができます。研修を受けて以降は、魚沼地域で機織りに従事することが義務づけられています。平成20年度までに25人が技術を習得しました。越後上布技術保存協会事務局長の武田進さんは「地元では織りが大変な仕事なのをよく分かっているから希望者が少ない一方で、県外から希望して来る人が多い。その中にはこの南魚沼で結婚して仕事を続ける女性もいます。一時子育てで仕事を離れても、また戻ってこられる。幾つになってもやれる仕事です」と話します。

 現在、仕上がった布を検品して伝統工芸品として出荷される越後上布は年間40~50反。ほとんどが注文販売に近く、小売店で目にすることはめったにありません。伝承者育成事業に早くから取り組んでいるとはいえ、若手の指導にあたる荒川さんは「あと何年できるかの?」と言い、小河さんは「(今は)糸屋1軒、染め屋1軒、晒し屋1軒」と話します。世界に認められた貴重な技術の伝承は、年々難しさを増しています。

file-32 越後上布ってどんな布? 夏着の最高級品

夏着の最高級品

縦糸セット

荒川さんが指導にあたる研修所。機にかける縦糸を揃える作業中。

縦糸チェック

先染めのため、縦糸はきちんと柄が揃っていなければならない。越後上布は柄によって掛かる手間が大きく変わり、熟練しなければ作り出せないものになる。

いざり機

いざり機で越後上布を織る研修生。時折ルーペを取り出すのは、横糸を数えるためだ。そうやって柄を描き出してゆく。

 室町時代(1336年~)、6、7月には武家の礼服は越後布(えちごふ)を用いることが定められていました。その後戦国時代に入り、上杉謙信はたびたび越後布を贈り物として用いたことが知られています。江戸時代には武士の裃(かみしも)などに使われていました。そして現代、越後上布、小千谷縮といえば夏の着物地の最高級品として知られています。

 かつて、ただ「ゑちご」と呼ばれた越後布は、なぜこれほど高い評価を得てきたのでしょう。

 木綿は戦国時代に日本に入ってきたといわれており、日本で古来から作られてきた布は麻と絹。中でも「布」といえば麻布を指す時代が長く続いていました。律令時代には税として物納が義務づけられており、麻織物は日本全国で作られてきたものです。正倉院では越後から納められた布に加え、他の地域から納められた布も一緒に見つかっています。

 鎌倉時代に入り、源頼朝が贈り物に越後布を用いた記録が残っています。麻布自体は全国で何ら珍しいものではありませんから、これを贈り物にするというのは当時越後産の布の評価が高まっていた証拠とみられています。

 越後布は、しなやかさと丈夫さ、そして白さで知られていました。漂白剤のない時代において、白さは純白に近いほど希少な価値があります。白さそのものが価値であると同時に、染めた時の色が美しく出ることも重要な価値となりました。後に産地を形成することになる小千谷、十日町、魚沼市、南魚沼市など中越の中山間地一帯は、新潟県有数の豪雪地帯で冬場は半年近く雪に覆われます。乾燥に弱い糸を扱うのに適した環境、いつから始まったかは定かではありませんが、雪晒しという漂白を行うようになったことなどが越後布の評価を高めます。

 綿織物の生産が国内で始まると需要が減少しましたが、江戸時代に小千谷縮が開発されると、縮独特の風合で、より高付加価値の布として知られるようになりました。11代将軍徳川家斉の息女のために作られたお召しの越後縮見本帳が東京国立博物館に所蔵されています。越後上布・小千谷縮は、機を織る女たちや職人たちが決して見ることのない世界で流通する織物でした。

file-32 越後上布ってどんな布? ~1000年の歴史文化

1000年の歴史文化

越後上布完成品

夏着の最高級品といわれる越後上布の、これが完成品。障子が透けて見える繊細さ。青苧が多くの人の手を経て、こうなります。

 雪国の風物を描いて江戸時代にベストセラーとなった「北越雪譜」は、越後縮、機織りなどに多くの紙数を費やしています。作者の鈴木牧之は、父親の代から縮の買い付けを商いとし、自身も買い付けで魚沼の各地を回っていました。都で珍重された越後布は、その流通を通じて魚沼地域の町を活気づかせ、地域の文化を育んできたのです。

 越後が統一された上杉謙信の時代では、すでに魚沼地域は布と、原料となるカラムシ、そしてカラムシを加工した糸の原料である青苧の産地になっていました。上杉謙信は青苧を交易品として奈良で販売し、加工されて奈良晒(ならさらし)となりました。魚沼地域では信濃川水系を利用して小千谷に集積され、そこから陸路で柏崎、または直江津に運ばれて海へ。日本海を下って一旦陸揚げし、琵琶湖を経由して奈良に運ばれるのが主なルートでした。この交易路は15世紀初頭には既に確立されていたとみられており、その後、上杉謙信も積極的に栽培と交易を振興しました。

 江戸時代になるとこの地域は、糸の原料の産地ではなく、織物の産地に変わります。非常に高価な品物なので、海難を避けるため江戸へは陸路で運ばれました。この当時、布の市場が開かれたのは十日町、小千谷、堀之内、塩沢の4か所です。藩の大事な収入源として運上金(うんじょうきん)(税)が課せられていたため、市場は大事に保護されていました。市場へは春になると三井家(三越)、大丸、松坂屋など大手の呉服商、諸国の御用商人らが買い付けにやって来ました。市を通じて、魚沼地域には富と江戸の文化が流れ込みます。そうした素地の上に、「北越雪譜」は存在しているのです。

 一方で、布を織り上げるのは農家の嫁の仕事でした。布の価値は高くても、糸づくりや染めなどで膨大な工程を経ているため、その手間と比べて満足な収入にはならなかったといわれています。この地域は平野が少なく、寒冷地に適した米もない江戸時代では厳しい生活を強いられていました。雪に閉ざされる間は他に収入源もなく、それゆえに産地になり得たのです。織りの技術によって布の値段が変わるため、娘たちは幼い頃から技術を学びます。良い布の織れなかった娘の悲劇の物語は、この地域に多く語り継がれています。

 ちなみに、この地域ではそばのつなぎに布海苔(ふのり)と呼ばれる海草を使います。つるりとした喉ごしで人気を博していますが、布海苔は糸の滑りをよくするための糊の材料でした。

file-32 越後上布ってどんな布? ~上布のできるまで

上布のできるまで

 越後上布の工程は30あります。柄によってはそれ以上といわれていますが、ここでは大まかに流れを追っていきます。

◆ 糸をつくる

 カラムシから作った糸の原料である青苧を水に浸してから細く裂き、撚(よ)りながら繊維を繋いで糸にします。縦糸に使うものと横糸に使うものとでは撚り方が違います。縮の場合は特に横糸に強い撚りかけをします。この作業を苧績と呼びます。繊維が短く、乾燥に弱いため、単純ながら根気を要する作業で、1反分の糸を作るのに二か月もかかるそうです。この後さらに撚りを強くかけ、巻き取ります。できあがった糸は灰汁(あく)で煮てから漂白します。
 
 

 

◆ 染める(絣糸(かすりいと)を作る)*絣糸とは柄になるための糸
 

 あらかじめ作っておいた図案に沿って染め抜く位置を定めます。染めない場所は糸でぐるぐる巻きにして染料が染みこまないようにします。最後に柄がきれいに出るようにするために、糸の太さを揃えるのも大事な作業です。また、糸のがさつきを抑えるため、染めの作業に入る前に糸を糊付けします。
 
 

 

◆ 織る
 

 図案に沿って染められた糸は、一反分の長さと幅できちんと揃えて並べます。これをチキリと呼ぶ道具に巻き、機にかけて織り進みます。機はいざりと呼ばれるものを使い、柄がきちんと揃うように、また切れそうな糸や切れた糸を繋ぎ合わせながらの作業となり、一反を織り上げるのに2か月もかかることがあります。
 
 

 

◆ 仕上げ
 

 織り上がった布を洗い、雪晒しを行います。縮の場合はお湯の中で揉んだりしごいたりして「しぼ」と呼ばれる独特のしわを出します。仕上がったら検査を受けた後、重要無形文化財として出荷されます。
 

file-32 越後上布ってどんな布? 県立図書館おすすめ関連書籍

県立図書館おすすめ関連書籍

「もっと詳しく知りたい!」、「じっくり読みたい!」という方、こちらの関連書籍はいかがでしょうか。以下で紹介しました書籍は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。ぜひ、県立図書館へ足をお運び下さい。

▷『工芸技術・染織10』

(週刊朝日百科・週刊人間国宝46号 朝日新聞社 2007 N753-Sh99)
 日本を代表する麻織物の歴史や技術工程が、簡略かつわかりやすく解説されています。豊富なカラー写真も魅力。小千谷縮・越後上布のほかに、結城紬と久留米絣も掲載されており、3つの制作工程を見比べてみるのも一興です。
 

▷『女職人になる』

(鈴木裕子/著 アスペクト 2005 くらし750-Su96)
 江戸切子や結城紬など、日本の伝統的な技の世界を歩む女性職人10人に焦点をあてた作品。「職人の世界」はやはり厳しい。それでも自らの仕事に情熱をもって真摯にとりくむ彼女たちの姿は「美しい」の一言です。

▷『縮と上布 心で織る素朴な布(日本の染織7)』

(泰流社 1976 N586-C43)
 30年以上前に刊行された本ですが、「越後上布」といえば、取り上げないわけにはいかないのが本書。麻織物の社会史といった内容ですが、表現が平易でわかりやすく、入門書としてもおすすめです。

▷『衣風土記3』

(松岡未紗/著 法政大学出版局 2006 753-Ma86-3)
 きもの研究家で収集家でもあるエッセイスト松岡氏が、染織の技と心をたずね日本各地をめぐった旅の記録(全4巻)。第3巻が新潟をはじめとした中部・北陸編です。読み物として楽しめる一冊です。

▷『越後縮の生産をめぐる生活誌(十日町市郷土資料双書8)』

(十日町市史編さん委員会/編 十日町市博物館 1997 N384-To28)
 より深く専門的に越後の織物を知りたい方におすすめです。当初『十日町市史』の通史編に収録される予定だったものを、越後縮の生産工程とそれに携わった人びとのくらしを体系的にまとめるため、単行書として刊行したのが本書。古老からの聞き取りを元にまとめられているため、用語のほとんどをカタカナで表記しているのが特徴です。

▷『紬の里』

(『立原正秋全集』13巻所収 角川書店 1983 918.6-Ta13-13)
 この作品のヒロインは紬織りの名手・志保子。彼女は、雪に埋もれた塩沢の地で、ひっそりと越後上布を織る一途な女性。清冽な白銀の世界を背景にしながらも男のエゴと女の情念が絡み合うような、読み応えのある文学作品です。


ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

 

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