file-15「再びトキの舞う空をめざして」~佐渡とトキの来た道

~佐渡とトキの来た道

佐渡トキ保護センターに置かれているキンの剥製

県の佐渡トキ保護センターに置かれているキンの剥製。宇治金太郎に素手で捕獲されるほど慣れ、佐渡の人々に愛されていました。2003年に死亡。日本最後のトキでした。

 江戸時代には日本全土にいたトキ。幕末に長崎県の出島で開業していたオランダ人医師シーボルトが本国に持ち帰った標本から、ニッポニア・ニッポンと名付けられました。しかし、明治に入ってからは生息数を減らし、明治の末から大正の始めごろには絶滅したとされていました。江戸時代に厳格に守られていた禁猟区が崩れたことが原因の一つとみられています。

 ところが1927年、「佐渡にいる」という住民の話をきっかけに、発見情報に懸賞金をかけるなど騒然とします。その後島内各地と能登半島でも生息が確認されたことにより、1934年天然記念物に指定されます。

 しかし、この時からトキの保護が始まったわけではありませんでした。当時の日本は満州を占領して大陸で交戦状態にあり、太平洋戦争終結までのいわゆる「15年戦争」のさなかでした。希少な野生生物を保護しようという意識も、またその余裕もなかったのです。

 トキの保護に意識が向けられるのは戦後になってからのことでした。トキは生息数をさらに減らしており、そのことがトキ保護の道のりを険しくしました。外見では雌雄の区別がつきにくい鳥で当時は判別方法もなく、ほとんど生態が分かっていませんでした。特別天然記念物に指定された翌年の1953年に、けがをしたトキが佐渡で保護され、両津高校で一時飼育された後に上野動物園に送られますが、一年ほどで死亡してしまいます。佐渡島内では、トキが生息していた新穂、両津地区などで住民が自発的に保護活動を始めます。しかし、目に見える成果を上げることはなく、トキは生息数を減らしていきます。

 全鳥捕獲で人工繁殖か、自然に任せるか。国、県、地元、そして山階鳥類研究所を筆頭とした専門家を交えた論争が幾度か繰り返され、ようやく決したのは1981年。全鳥が捕獲された時には、すでに5羽を残すのみとなっていました。

 一方、中国ではこの年、絶滅したとみられていたトキが陝西省(せんせいしょう)で発見されます。その後人工増殖で成果を上げ、1999年に1つがいが日本に贈呈されました。佐渡で全鳥捕獲された5羽の中での人工増殖はなりませんでしたが、贈呈された2羽から同年「優優」が生まれます。これが佐渡トキ保護センターでの最初の繁殖例となりました。その後さらに中国からペアリングに1羽のトキが贈られ、国内でも着実に繁殖を成功させられるようになりました。優優は今も健在で、佐渡島内には100羽を超えるトキが元気に暮らしています。

 つがいが来た当時ははっきりしていませんでしたが、現在では中国のトキと日本のトキが遺伝子レベルで同じ鳥であることが確認されています。

トキはどんな鳥か

佐渡の田んぼづくり

佐渡市ではトキの餌場となるビオトープの整備とともに、無農薬や減農薬栽培で冬場も水を絶やさない田んぼづくりを進めています。

環境省野生復帰ステーションの順化ケージ

環境省野生復帰ステーションの順化ケージ。面積は4000平方メートル、一番高い場所は15メートルの巨大な施設です。この中で17羽のトキが自然環境で暮らすための訓練をしています。

 「トキは人を寄せ付けないような自然の中にある鳥ではなくて、稲作地帯に順応した、人と不可分の鳥だったんだと思います」と話すのは、環境省佐渡自然保護官事務所の岩浅有記さん。野生絶滅直前の佐渡で観察されたトキは、警戒心が強く人を寄せ付けないといわれていましたが、中国のトキ生息地域を視察した人が一様に指摘するのは、人がいても平気で餌をついばむおおらかなトキの姿です。そして中国のトキの生息域を「昔の佐渡とよく似た景色だった」と言います。

 佐渡でトキが最後まで生息していた小佐渡東部は、低い山並みが連なり棚田が広がっていた地域です。標高1000メートルを超える金北山と人の住まない原生林を持つ大佐渡ではありませんでした。トキの餌は昔の田んぼにありふれていたドジョウやタニシやカエル、そして昆虫などです。身体の大きな鳥で、飛びながら餌を獲るようなことはなく、地面に降りて長いくちばしで餌をついばみます。従って餌を探せるのは降りる余地のない密林ではなく、人里近い田んぼや原っぱなのです。

 明治時代にトキが数を減らしたのも、田んぼと関係しています。トキが田んぼで餌を探すと、その大きな身体で稲を倒してしまうため害鳥として駆除されていました。各地に残る鳥追い唄(田んぼの害虫を払うための唄)にも、トキの古い呼び名「ドウ」が含まれています。白くて身体が大きく、舞い降りて餌を食べるトキは、鉄砲でならたやすく捕まえることができました。

 トキの肉は薬として用いられることはありましたが、一般的には食用ではなかったとされています。しかし、「トキ色」とも呼ばれる美しい色をした羽は、商品として流通していました。伊勢神宮の式年遷宮にトキの羽が2枚、太刀の装飾として用いられています。これは平安時代から続いていることが分かっています。明治の中ごろまでは、羽が装飾品として輸出されてもいました。

 害鳥として駆除され、羽が商品価値を持つため捕獲された一方、トキが生息する環境の変化も野生絶滅に追い込んだ原因と考えられています。かつてはたくさんあった山里の田んぼが耕作放棄され、餌場を失ったのです。戦後は農薬の使用で田んぼの生き物も減りました。本州最後のトキだった「ノリ」(能登半島で捕獲、佐渡に送られた後1970年に死亡)の体内からは、多量の有機水銀が見つかっています。人と自然とのつきあい方が変わったことで生きる場所を失った生き物、それがトキなのです。

目標は2015年までに60羽の定着

岩浅自然保護官

「まだトキは飛んでもいないのに、皆さんこんなに汗を流している。佐渡は自然も豊かで最高にいいところです。このプロジェクトを通じて、自分たちの地域をどう作っていくかを考え結びつけてほしい」と話す岩浅自然保護官。

清水平のビオトープは、かつて佐渡トキ保護センターがあった場所。当時もビオトープになっていた場所では整備が進み生き物が増えている。「これから手を付けるのは数十年放棄された田んぼ。新潟大学の整備したキセン城は40年放棄されていて、ほとんど開拓と同じ苦労をされていた。私たちもこれから取りかかります」とトキどき応援団のスタッフ。

 環境省はトキの野生復帰に向けて、7年後に60羽を佐渡に定着させる目標を掲げて計画を進めています。今年9月25日に予定されている10羽程度の放鳥はその最初で、自然環境のもとでトキがどんな生態をみせるか、これまで整備されてきた環境に適合できるかなどを調べるための「試験」放鳥と位置づけられています。

 佐渡ではこれまで、国、県、市と住民を挙げてトキが野生に戻るための環境整備を進めてきました。小佐渡東部のキセン城(新潟大学トキ野生復帰プロジェクト)、かつてトキ保護センターのあった清水平(NPOトキどき応援団)、かつて高野高治さんが家族とともに給餌して野生トキの最後の楽園となっていた生椿(高野毅さん)の三か所を主要な餌場としてビオトープを整備。この周辺には地域や学校ぐるみで整備しているビオトープや、無農薬栽培で冬場も水を絶やさない田んぼ、トキが羽を休めるための間伐した林が集中しています。佐渡市トキ共生・環境課の近藤健一郎課長補佐によれば、ビオトープも、トキが冬場に餌をついばめるよう冬も水を絶やさない田んぼも、住民の協力によって佐渡市の目標以上に増えているといいます。現在は、減農薬で冬期も水を絶やさない田んぼで作るコシヒカリをブランド化するための取り組み、トキとの共生を地域活性化に結びつける取り組みを始めています。野鳥の会の会員である近藤さんは「トキに限らず、佐渡全体が野鳥の楽園になってほしい。一つの島の中に多様な自然が見られる場所であってほしい。順化ケージで繁殖もあったし、幸先が良いと感じています」と話しています。

 清水平のビオトープを整備しているNPO法人トキどき応援団事務局長の仲川純子さんは「これまでの佐渡はトキを見せるだけでしたが、これからは『さすがはトキを野生に戻した人たちの島だ』と感じてもらえる佐渡にしたい。先はまだまだ長いので、活動を息長く続けられる組織作りが必要です」と話します。現状だけではなく、60羽の定着の目標とされる2015年以降を見据えた活動のあり方を模索しています。

 岩浅自然保護官は「自然相手で予測不可能の要素が多く、飛んでからが本当のスタート」と言います。これまで整備してきたビオトープと田んぼが本当に餌場になるのか、餌は足りるのか。またトキのねぐらになる枝は足りるか、天敵のテンやカラス、トビなどは心配ないかなど、不安要素は少なくはないのですが、過剰な保護は将来の定着の妨げにもなります。「住民はこれまでどおり暮らす」を大原則によりよい共生の方法を探るためには、放鳥してトキの行動を観察してみなければ分からないことが多いのです。

 今回の放鳥では10羽程度のうちおよそ半分に発信器を取り付けて行動を観察することになりますが、トキが何をしているかを観察するには人が追いかけるしかありません。どういった場所で休み、餌をついばみ、どんな群れを作るのかなどのデータを集めるための観察体制のありかたも、新潟大学や住民の協力のもとで準備が進められています。島外からトキを見に訪れる人をどう受け入れ、どう制限するのかも大きな課題の一つです。特にトキが神経質になる繁殖期に、どの程度の距離を保つか。これは自然下での行動を観察しデータを集めるという今回の放鳥の目的を果たすためにも重要です。

 岩浅自然保護官はトキの放鳥によって「佐渡の人と自然と文化がこれまで以上に輝く」ことが目標だと言います。「一度失ったものを取り戻せると思うのは傲慢だという考え方があるのは分かります。今必要なことは、自然の再生に加えて、自然の再生力を促進する知恵と技術の開発です。現在、地球上では過去の隕石の衝突後に引き起こされた大量絶滅と同じくらいの規模で種の絶滅が進んでおり、このままいけば、我々人間の生存も危うい状況となります。また、我々の世代は将来の世代に対する責任を負っているわけでもあり、対策が急がれます」と話します。

 トキの放鳥は、ただトキを野生に戻すだけのプロジェクトではないのです。佐渡の人と自然とのあり方を問い直し、よりより関係を創造するとても大きく、そして息の長い挑戦なのです。

【リンク】

▶ 佐渡市ホームページ

▶ トキファンクラブ

▶ 新潟大学トキ野生復帰プロジェクト

▶ 環境省朱鷺関連ニュース

▶ 新潟県トキ情報

▶ NPO法人トキどき応援団

 

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