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file-92 北国街道と岩室宿の発展

  

謙信も信仰した彌彦神社

 「伊夜比古 おのれ神さび 青雲の 棚引く日すら 小雨そぼ降る」と、8世紀に成立した『万葉集』に詠まれ、10世紀に編纂された『延喜式神明帳』には「越後の名神大社」と記されている伊夜比古神社(いやひこじんじゃ)。現在では地名にそろえて、「やひこ」と呼ばれています。正確な創建時期はわかりませんが、古くから越後の人々の信仰の対象になっていました。かの上杉謙信も篤く信心していたといいます。

岡崎昭さん

岩室の歴史、地理、自然のすべてに通じる岡崎昭さん。観光協会、ほたるの会、登山道整備ボランティアなどで幅広く、熱意を込めて活動する。

越後一ノ宮・彌彦神社の大鳥居

古くから「おやひこさま」と慕われ、今も昔も多くの参詣者を集める、越後一ノ宮・彌彦神社の大鳥居。


 「弥彦は、神社はもちろん門前町も、厳かな雰囲気の信仰の町。そこで、参拝者は岩室で精進落とし(参拝後に遊興すること。元の意味は忌明けに肉食・飲酒をすること)として、お湯や踊り、歌を楽しんだようです」と、岩室温泉観光協会会長の岡崎昭さんは岩室温泉の歴史をひもときます。

 江戸時代の庶民のレジャーと言えば寺社の参詣でした。交通網の発達で旅が容易になり、社会の成熟から寺社参詣の目的が救済から観光に変わって、町民や農民の間に広まっていきました。特に、全国規模で流行を繰り返した、お伊勢参りは有名です。同じように、越後では、彌彦神社に人々が集まりました。
 「お彌彦さまと岩室がセットになっているんですよ。始めは近郊の人達が訪れ、その評判が街道を通る人々によって広まり、北陸や江戸からも参拝者が集まるようになりました。北国街道・三国街道が通っていることも、大きな利点でしたね」

「霊雁(れいがん)の湯」伝説

岩室の旅館街

街道に沿って旅館や土産物店、飲食店が並ぶ岩室の旅館街のエリアは、江戸時代のルートをそのまま今に伝えている。

 正徳3年(1713)、岩室村の庄屋・高島庄右衛門が夢の中で、「村はずれの老松の下に霊泉があり、これに浴すれば諸病和らぐ」と、白髪の老人に告げられたといいます。訪ねてみると、傷ついた雁が温泉に身を浸していて、源泉の発見につながったといいます。
 「これは伝説ですよ。実はその100年前の検地帳に『湯のこし』という地名があって、すでに湯が湧出していたと考えられます。1713年は、代官の許可を得て岩室が温泉所になった年。宣伝効果を考えての創作でしょうな」と、岡崎さんは笑います。

 この宣伝は当たりました。開湯時から37軒の湯屋は繁盛し、江戸時代後期には、岩室はさらににぎわいを見せ、文政3年(1820)の温泉本『後越薬泉』には「旅籠30軒、妓家12軒、人家80 余軒、…人馬の往来は昼夜絶えることはない」と紹介されています。

 こうした参詣と観光を組み合わせた旅行は、庶民に楽しさや癒しだけでなく、新しいことを知る喜びを与えました。旅行に出かけて、知識や技術、流行を知って見聞を広げ、それらを故郷に持ち帰り伝えていくのです。最新の織物の柄、薬、農具や農業の技術の他、料理、音楽・芸能が広まった形跡が各地に残っています。岩室で芸妓に受けたもてなしや、見事な踊りや唄は、やがて新潟に伝わり、色街が生まれていったとの説もあります。このように街道は人とともに情報を運んでいきました。

 「岩室は新潟県の芸妓発祥の地なんです。今でも、夕暮れになると、お座敷に向かう芸妓たちを見かけますが、これは江戸時代から変わらない光景なのでしょうね」と、岡崎さんは江戸時代に思いを馳せます。

 

北国街道は変化し続ける

でたでた祭

開湯300年と新湯供給スタートを祝った「でたでた祭」。温泉を樽に詰めて各宿屋へ運んだ様子を再現した。

岩室村宣伝のパンフレット

昭和10年代に岩室村宣伝のために制作したパンフレット。岩室の風景を俳句で紹介している。

種月寺

文永3年(1446年)開山の種月寺。門前から少し下ると、北国街道との分岐点が残り、当時をしのばせる。

 2013年、岩室温泉は開湯300年を迎えました。霊雁泉(れいがんせん)は改修され、現在では散策にぴったりの小公園になっています。1966年、1995年に続いて、新しい温泉が掘削され、2015年3月から供給が始まりました。これまでの源泉よりも温度が高く、含有成分が濃かったため、供給のための調整に少し時間がかかったそうです。
 「300年を記念して大がかりな祭を3年続けて開催しました。中でも、開湯時と同じように、源泉を樽に詰めて、大八車に乗せて各旅館に運んだのですが、珍しいと好評でした」と岡崎さん。「昔と言っても、昭和20年代くらいまではこうして配っていたんですよ。かすかに記憶がありますから」
 同祭では、岩室の観光資源である蛍にちなんで、蛍を詠んだ句碑を建立したり、新潟出身のシェフを招いて地元食材を使ったイタリアンを提供したりと、新しい取り組みを実施しました。
 「伝統を守るだけでなく、積極的に新しいことに挑戦するのは、岩室の気質かもしれませんね。開湯のときのいわれの創作、大正時代に芸妓を連れて県外を回った宣伝キャラバンと発想は同じ。港も城も海もないところですから、情報や人材を発信して、多くの人を呼びよせたい。街道を通ってきていただきたい。それが願いです」

 今、北国街道の面影は、彌彦神社参道の杉並木、種月寺(現・新潟市西蒲区)前の分岐点、布目地区や稲島地区などに見ることができ、点在する石の道標や地蔵、祠(ほこら)にも昔の名残を感じられます。
 一方、明治11年(1878)の明治天皇巡幸を機に、寺泊・渡部(現・燕市)・国上山・弥彦を通る新道が開かれ、猿ケ馬場(現・弥彦村)越えの道は使われなくなりました。また、越後七浦シーサイドラインと国道403号が結ばれ、海岸線沿いに直線的に伸びる道路も生まれました。北国街道の変化はまだまだ続いているのです。
 新しい街道、これから生まれる街道は、地域にどんな物語をもたらすか、そんな視点で見つめてみてはいかがでしょうか。

 

■ 取材協力・資料提供
岩室温泉観光協会 会長 岡崎昭さん
岩室十宝山の会
新潟県立図書館


■ 参考資料
新潟県教育委員会(1991年)「新潟県歴史の道調査報告書 第二集 北国街道Ⅰ」
新潟県教育委員会(1996年)「新潟県歴史の道調査報告書 第九集 北国街道Ⅲ・三国海道Ⅱ」
岩室村文化財保護審議委員会(2004年)「岩室村の北国街道と周辺の名所旧跡」
池亨・原直史 (2005年) 『越後平野・佐渡と北国浜街道』 吉川弘文館
岡崎昭「多宝山の標高 周辺の自然と歴史・文化」
萩原恭男校注「おくのほそ道」 岩波文庫
麻生磯次校注「東海道中膝栗毛」 岩波文庫


 

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