修復中の旧長谷川家住宅
修復中の旧長谷川家住宅

file-164 重要文化財「旧長谷川家住宅」を修復し次代につなぐ(後編)

 長岡市塚野山にある国指定の重要文化財「旧長谷川家住宅」(長谷川邸)は日本でも十指に入る大きさの茅葺屋根がある建物です。約900㎡もあるという主屋の茅葺屋根全面の葺き替え工事を令和3年(2021年)7月から3年計画で行っており、今年が最終年度となります。
 葺き替え工事を手掛けるのは、長岡市に拠点を置く「㈱大石組」のグループ会社の一つであり、茅葺屋根の修復を専門に行う「(株)越乃かやぶき」です。新潟県内のみならず関東方面の茅葺屋根も修復する職人集団です。「(株)越乃かやぶき」の古田島進さんにお話を伺いながら、現在修復中の旧長谷川家住宅の茅葺屋根を見ていきます。

茅の束の扱いが職人の腕の見せ所

使用される茅の束使用される茅の束

 葺き替え工事を始めるには、まず材料である茅を集める必要があります。そもそも「茅」とは、イネ科の植物であるチガヤやススキなどの総称です。茅葺屋根には主にススキが使われており、「(株)越乃かやぶき」では基本的に自生しているものを使っています。
 茅葺屋根は大量の茅材を使うため、元々は遠方から集めたわけではなく、近隣にある茅を刈って調達しており、そうした身近な材料を使用することが特徴です。ススキを含めた茅の質も、気候などの条件により微妙な違いがあり、茅葺はその土地の茅の質に合った仕様になっています。現在もこうした本来の茅葺の特徴をできるだけ生かすことが大切であることに加え、運搬などにかかるコストを抑えるためにも、建物に近い土地のススキを使うことが最良だとされます。旧長谷川家住宅の葺き替えでも、守門地域(魚沼市)や長岡市内、あるいは隣の長野県のススキを使用しています。
 地元(長岡市)の場合、雪が降るまでの期間が勝負なので、秋のうちに可能な限り刈り取って、冬期間はそのまま雪の下に寝かせておきます。春先に裏返して干し、乾いたら茅の束を縛って作っていきます。年々茅刈りの作業員の高齢化が進み、毎回茅を集める作業に苦労しているそうです。
 茅を集めたら、次は茅葺きに移ります。茅葺きの作業は、職人が茅の束を屋根に積み、縛って(屋根の一番下まで縄を通して縛っていく)、叩いて、という作業の繰り返しです。叩くことによって他の部分と馴染ませて余分な厚みが出ないようにします。茅の束を締める際には、職人の体重をかけて締めていきます。これは気密性や耐久性を高めるために必要な作業ですが、あまり締め付けすぎても良くないそうです。江戸時代の家には換気扇などはないため、屋内で火を炊いた際には煙を逃がす必要があります。茅を必要以上に締めすぎてしまうと茅の密度が高くなりすぎて煙の逃げ場がなくなってしまうのです。こういった塩梅は経験と感覚がものをいう、まさに職人技です。良い茅葺屋根は、屋内で火を炊いた時に屋根の隙間から均等に煙が出ていくそうです。
 旧長谷川家住宅のような大きな屋根になると使われる茅の量は約1万4,000束にも及びます。1束が約6kgあるので、総重量はなんと84トンほどにもなります。
これを茅の束の数だけ繰り返すので3年もの施工期間がかかるのです。さらに屋根の上に雪が積もるので、一昨年に作業を終えた茅部分は既に雪の影響で茅の色が変わってきています。
 何度も冬を越した茅は周期的に葺き替えられますが、古くなった茅は田畑の肥料などにされていたといい、サステナブルな建材だったことが分かります。古田島さんも、茅葺屋根の魅力として「自然素材でできているエコ住宅」であることを挙げています。

葺き替えにおいても建築当時の意匠を踏襲

茅葺屋根を軒下から見上げる茅葺屋根を軒下から見上げる

 文化財の保護の意義として、当時の意匠の保存も挙げられます。旧長谷川家住宅の茅葺屋根は基本的に茅を使用して作られていますが、軒下の一番根本部分にだけは一部オガラ(麻の茎)が使用されています。通気性の向上に役立つなど意味があるのかもしれないものの、オガラを入れる理由ははっきりとはわかっておらず、昔から飾りのために入れるといわれているそうです。室内からは見えず、軒下を覗き込まないとわからないものですが、時代を感じさせる意匠となっています。軒先部分を下から見た時に茅が詰まっている様子は、屋根の迫力を感じさせる旧長谷川家住宅の魅力の一つでもあります。

一般的な雪国の建物に比べ屋根の形状が複雑で雪溜まりができやすい一般的な雪国の建物に比べ屋根の形状が複雑で雪溜まりができやすい
(画像提供:長岡市立科学博物館)

 旧長谷川家住宅の屋根の特徴は厚みにも見ることができます。最も厚い軒先の部分で約80cm、薄い棟の部分で約40cm、平均で約60cmと、一般的な茅葺屋根ではあまり見られない厚みとなっています。この厚みの理由については資料には残っていませんが、夏や冬の断熱、さらに雪国なので雪の重みに耐えられる厚さにしたのではないかと考えられています。逆に雪の降らない地域の屋根では、一番厚い部分でも40cm程度のものもあるそうです。
 今回の葺き替えで苦労した点は、3年計画のため雪が積もる冬場は作業ができず、雪が積もると高所作業の資格を持っている人が命綱を付けて雪おろしをします。
 また、工事期間を3つに分けて施工したため、屋根の最も高い棟部分を一緒に施工できなかったそうです。棟の高さがそれぞれ違い、棟と棟の取り合い部(接合部)を納めるところが特に大変だったといいます。

3年計画で工事が行われている旧長谷川家住宅3年計画で工事が行われている旧長谷川家住宅

5~8年に1度行われる「差し茅」

 茅葺屋根の全面葺き替えは20~30年に1度ですが、5~8年に一度「差し茅(さしがや)」という表面の傷んだ所を部分的に取り替える作業を行っています。植物性の屋根は痛みやすいという弱点があるため、手で触ってみて傷んでいる部分のみを削って新しい茅に葺き替えるのが「差し茅」です。
 しかし、「差し茅」を繰り返してきたため、所どころ厚みが不揃いになったり、屋根が太って軒先が前に出て、屋根から落ちる雨だれの位置がずれてしまうなどの不具合が生じてきたそうです。そこで、今回は全面葺き替えが行われることになりました。

1人前の茅葺職人になるには約10年の経験が必要

 「(株)越乃かやぶき」には、見習いも含めて現在8名の茅葺職人がいます。現在は新潟県出身者6名、県外出身者2名が在籍しており、過去には、他県から来た若者が修行し、一人前になった後に巣立っていったケースもあるそうです。

㈱越乃かやぶき 古田島進さん(株)越乃かやぶき 古田島進さん

修復作業をする職人の方々修復作業をする職人の方々

 一つの現場を任せることができるようになるまでには10年ほどかかるとのことですが、東日本で複数の茅葺職人が社員として所属している会社は珍しいそうです。「(株)越乃かやぶき」は社会保険・公的年金といった社会保障があるという点でも、ノウハウを習得しやすいという点でも職人として成長するには絶好の環境です。
 古田島さんは職人の育成に関して「先輩の仕事を見て盗んで覚えろではなく、1つ1つその場所、その場面で、言葉と行動で教えていくスタイルでないと育っていかないし、長続きしません。どんな仕事でもそうですが、人と人との信頼関係が大切だと思います。」と語ります。また、「(株)越乃かやぶき」は、「全国社寺等屋根工事技術保存会」に所属しており、茅葺技術の研修に積極的に参加し、確かな技術・知識を身につけることに取り組んでいます。
 古田島さんは「古くから受け継がれてきた技術を守り、次世代へ伝えていくために、会社として体系立てて若手茅葺職人の育成をしていくことが自分のやるべき使命・任務である。」と語ります。近年、高齢化により引退する棟梁が増え、「(株)越乃かやぶき」のような会社の需要が高まっています。

 現代のように会社として職人の育成が確立していない時代は、茅葺きはどのように行っていたのでしょうか?
 長岡市立科学博物館の新田康則さんによると、以前は地域や各村に茅葺き作業ができる棟梁がおり、新たな屋敷を建てたり、既存の屋根の葺き替えの際は周辺地域の棟梁に声をかけあって茅葺き作業を行っていたそうです。

長岡市立科学博物館の新田康則さん長岡市立科学博物館の新田康則さん

多くの方の力で文化財は次の世代へと受け継がれる

 前編・後編にわたって旧長谷川家住宅と現在行われている修復作業について紹介しました。熟練の技術を持つ古田島さんをはじめとした「(株)越乃かやぶき」の職人さんや、前編で紹介した主任技術者である小嶋はるかさんのように文化財建造物に関する幅広い知識を持つ方、そして新田さんのように旧長谷川家住宅の歴史や文化を伝える方、多くの方の尽力により文化財は次の世代へ受け継がれていきます。

 

掲載日:2023/12/27

 

【取材協力】
・長岡市立科学博物館 新田康則様
・㈱越乃かやぶき 古田島進様

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