県内には多くの美術館や博物館があります。それぞれどんな収蔵品があるのかは、あまり知られていませんが、実は「意外なお宝」があります。今回は、各館の方々に「収蔵品の中でも特別なお宝」について伺いました。
1.新潟県立文書館(お話を伺った人:西川昌宏さん)
「新潟県立文書館」のお宝は?

新潟県立文書館の西川昌宏さん
Q.収蔵品で「これぞ、うちのお宝です」というものをひとつ教えてください。
A.前島密(まえじまひそか)の《まいにちひらかなしんぶんし》です。
これは、「国民の間に学問を広めるためには難しい漢字を廃止し、ひらがなを国字とすべきである」と主張した前島密が、一般の民衆にも新聞を読んでもらおうと、明治6年
(1873)に全文ひらがな表記で発行した新聞です。
Q.そのお宝にまつわる逸話や入手の苦労などを教えてください。
A.前島密は、越後国頸城郡下池部村(現上越市下池部)出身で、「郵便制度の父」、「1円切手の肖像」として有名な人物です。12歳で江戸へ出て、医学や蘭学、英語など様々な学問を学び、明治維新後は新政府の役人となって日本の近代的郵便制度の基礎を確立しました。
そんな前島密は、実は熱心な漢字廃止論者でもあり、江戸幕府15代将軍徳川慶喜に漢字廃止之議を提出するなど、国民の間に学問を広めるために難しい漢字を廃止し、ひらがなを国字とすべきであると主張しました。そして、明治6年(1873)には、一般の民衆にも新聞を読んでもらおうと、全文ひらがなで表記された《まいにちひらかなしんぶんし》を発行し、自らの主張を体現したんですね。
しかし、当時は一般の民衆にはまだ新聞を読む習慣がなく、逆に新聞を購読しているような人にとっては読みにくいものとなり、全く売れませんでした。
こうして、わずか1年間で新聞の発行は終わってしまいましたが、前島密の主張を現在に伝える貴重な資料といえます。
新潟県立文書館では、《まいにちひらかなしんぶんし》の一部(原紙または複製)を所蔵し、公開しています。
Q.そのお宝を見る方法は?
A.新潟県立文書館閲覧室で、「閲覧請求票・特定歴史公文書簡易閲覧申込書」に必要事項を記入し、受付の職員にお出しいただくことで、閲覧することができます。

《まいにちひらかなしんぶんし》の閲覧に必要な請求記号は「E9124」です。
○新潟県立文書館
新潟市中央区女池南3-1-2
https://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/1b8446f94c08f7ae67441d7d895601a6
2.新潟県埋蔵文化財センター(お話を伺った人:佐藤友子さん)
「新潟県埋蔵文化財センター」のお宝は?
Q.収蔵品で「これぞ、うちのお宝です」というものをひとつ教えてください。
A.《木崎山出土地鎮具》です。これは、鎌倉時代(13世紀)の古瀬戸四耳壺(こせとしじこ)と密教法具11点(花瓶(けびょう)、五鈷鈴(ごこれい)、小鋺4点、台皿5点)です。
五鈷鈴は四耳壺の近くから、他は壺の中に収められていました。

木崎山出土地鎮具(12点)奥左:花瓶、奥中:五鈷鈴、奥右:古瀬戸四耳壺/高さ30cm 、中左:六器(小椀)、中右から3点:飯食器、前5点:六器(台皿)
Q.そのお宝にまつわる逸話や入手の苦労などを教えてください。
A.昭和54年(1979)〜昭和55年(1980)に、北陸自動車道の柿崎インターチェンジ建設時の発掘調査で、土坑の中から出土しました。五鈷鈴以外は壺の中から出土しましたが、口より大きな物があり、壺の頸(くび)を折って花瓶などを納めた後、再び漆で継いでいます。鎌倉時代の有力武士の信仰の様子を示す、とても貴重な資料です。
昭和59年(1984)、新潟県の有形文化財に指定されました。
Q.そのお宝を見る方法は?
A.常設展で展示しているので、いつでも見ることができますよ。
○新潟県埋蔵文化財センター
新潟市秋葉区金津93番地1
3.新潟市新津美術館(お話を伺った人:山岸亜友美さん)
「新潟市新津美術館」のお宝は?
Q.収蔵品で「これぞ、うちのお宝です」というものをひとつ教えてください。

笹岡了一《放蕩息子の帰宅》1963年 油彩、キャンバス
A.新津美術館周辺の旧金津村出身の洋画家・笹岡了一の作品約160 点です。
当館は、平成4年(1992)に洋画家・笹岡了一(1907-1987)の絵画163 点が旧新津市(現新潟市秋葉区)へ寄贈されたことがきっかけとなり、平成9年(1997)に現在の地、笹岡が生まれ育った金津地区に「新津市美術館」として開館しました。これらの笹岡の作品群は、当館のコレクションの中核をなしています。

笹岡了一《夏の日(マカオ)》1977年 油彩、キャンバス
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.コレクション展、あるいは所蔵品展などで展示することがあります。
詳しくはお問い合わせいただくか、当館ウェブサイトの所蔵品紹介ぺージの作品リストをご覧ください。
○新潟市新津美術館
新潟市秋葉区蒲ヶ沢109-1
https://www.city.niigata.lg.jp/nam/
※改修工事のため、令和7年(2025)6月9日(月)から令和8年(2026)3月(予定)まで休館
4.新潟市美術館(お話を伺った人:塚野卓郎さん)
「新潟市美術館」のお宝は?

新潟市美術館の塚野卓郎さん
Q.収蔵品で「これぞ、うちのお宝です」というものをひとつ教えてください。
A.私のイチオシは、新潟生まれの建築家、前川國男による「新潟市美術館」の建物そのものです。

美術館内観(エントランス) 設計:前川國男(1905-1986)/名称:新潟市美術館 撮影:今井智己
当館は昭和60年(1985)10月13日に開館しました。令和7年(2025)で、開館から40年を迎えます。館内外の壁面は、前川の建築の特徴であるタイルが重厚な表情をつくり出しています。光沢のあるタイルはオリーブグリーンを基調としながら、一枚一枚の色味が異なっています。そのため、光によって変化する複雑な表情が魅力的です。また、インテリアも見どころです。天童木工によって製作されたスツールやテーブルをはじめ、前川こだわりの時計やランプが館内を彩っています。

館内には前川が選んだ天童木工のスツールがあります。撮影:今井智己
実は、道路を挟んだ西大畑公園も前川による設計です。新潟市美術館の指名設計競技(コンペティション)では、美術館と公園を一体的に設計することが要件のひとつでした。二つの敷地には、舗装が共通の色やパターンで構成されている部分があり、一体感を高めています。また、エントランスの窓を通して、公園の桜や新緑、紅葉など四季折々の景色が楽しめます。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.令和7年(2025)3月現在、大規模改修工事のため休館しており、ご覧いただけません。令和7年8月下旬の再開館後にぜひご来館ください。

撮影:今井智己
○新潟市美術館
新潟市中央区西大畑町5191-9
https://www.ncam.jp/
※改修工事のため、令和6年(2024)10月から令和7年(2025)8月下旬まで休館
5.新潟市會津八一記念館(お話を伺った人:湯淺健次郎さん)
「新潟市會津八一記念館」のお宝は?
Q.収蔵品で「これぞ、うちのお宝です」というものをひとつ教えてください。
A.會津八一の《学規》です。

揮毫(きごう)されているのは「ふかくこの生を愛すべし」「かへりみて己を知るべし」「学藝を以て性を養ふべし」「日々新面目あるべし」秋艸堂(しゅうそうどう)主人
《学規》は、會津八一が定めた生活の指針四カ条です。内容は、かけがえのない生命を大切にすること、自分自身をありのまま見つめること、学問、芸術に精進すること、日々新しい自分を作り出していくことを説いています。
會津八一は新潟市出身の歌人、書家、東洋美術史学者など様々な分野で活躍した近代を代表する偉人。《学規》は八一の生き方を示す重要な言葉です。
通常の人生訓は説教臭く、漢文調の読みにくい表記になりがちですが、現代人にも比較的理解しやすい漢字かな交じりの書で、のびのびと素直に書き表しています。
本作品は、八一と交流があった関係者旧蔵で、現在は新潟市會津八一記念館が所蔵しています。本作品以外にも、八一は《学規》を書き残しており、門下生や特に親しい関係者に手渡しました。
最後に書かれている「秋艸堂主人(しゅうそうどうしゅじん)」の「秋艸堂」とは八一の堂号※1で、秋艸道人(しゅうそうどうじん)は秋の草花を愛した八一が最もよく使っていた雅号※2です。
※1:書斎の名前(「艸」は「草」または「くさかんむり」を表す旧字です。)
※2:自分の作品につける本名以外の別名
大正3年(1914)8月、早稲田中学校で教師をしていた八一は、東京府東京市小石川区高田豊川町(現・文京区目白台)に住んでいました。住居には八畳の空き部屋があったため、郷里の新潟から来た受験生たちを住まわせていました。 八一は彼らの姿を見て、床の間の壁に「学規」を書き記して貼りましたが、彼等は誰一人として、そんな文言に目もくれなかったそうです。
その後、《学規》は八一自身の座右の銘となりました。
本作品は、ふるさと新潟に戻った晩年の書で、書家として円熟期を迎え、旺盛な活動をしていた頃の作品になります。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.新潟市會津八一記念館は、新潟日報メディアシップ5階で年4回ほど展示替えを行いながら様々な八一の姿を紹介しています。企画内容によって展示していない場合もあるため、事前に電話などで確認をしてみてください。
○新潟市會津八一記念館
新潟市中央区万代3-1-1 新潟日報メディアシップ5階
https://aizuyaichi.or.jp/