県内には多くの美術館や博物館があります。それぞれにどんな収蔵品があるのかは、あまり知られていませんが、実は「意外なお宝」があります。前回のfile-177に続き、今回も各館の方々に「収蔵品の中でも特別なお宝」について伺いました。
1.「雪梁舎美術館」のお宝は?

雪梁舎美術館の加藤千恵子さん
Q.雪梁舎美術館の収蔵品で「これぞお宝」は?
A.ドイツの名窯「マイセン」の《色絵貼花(いろえてんか)宮殿図蓋付ポプリ壺》(原型制作1760年頃)です。
Q.それはどんな作品ですか?
A.成型は日本が江戸時代だった1760年頃、マイセン磁器製作所専任彫像家J.J.ケンドラーによって創案され、プロイセンのフリードリッヒ大王の注文で原型が製作されました。
壺の両面には立派な建物がそれぞれ描かれ、また壺を覆っている様々な花の成型が見事で、色彩や線の自在さなど、視覚的効果を求める当時のロココ様式の特徴を顕著にあらわしています。マイセンのなかでもトップクラスの作品です。
Q.その作品にまつわる逸話があるそうですね。
A.このポプリ壺は1850年代に作られたもので、代々医業に携わるポーランド系ドイツ人のシュワルフ家の家宝でした。第二次世界大戦前、ナチスの迫害を逃れて、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに疎開されていたものです。
そのような境遇におかれた作品が時代を経て、めぐりめぐって日本の雪梁舎美術館に展示されていることはとても貴重でまれなことであるように思います。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.常設展示室「マイセンの部屋」でご覧いただけます。
○雪梁舎美術館
新潟県新潟市西区山田451 TEL.025-377-1888
https://www.komeri.bit.or.jp/setsuryosha/
2.「新潟県立図書館」のお宝は?
Q.県立図書館の収蔵品で「これぞお宝」は?
A.《学塾三餘堂関係資料附印章類》で、「がくじゅくさんよどう かんけいしりょう つけたり いんしょうるい」と読みます。
Q.それは、どんなものですか?
A.これは、江戸期の儒学者、教育者、漢詩人であった藍澤南城(あいざわなんじょう)が、故郷の柏崎南条で開いた私塾「学塾三餘堂」に関係する資料群です。
新潟県立図書館が所蔵する南城の自筆稿本類200冊、塾経営に関する古文書4冊、版木58枚、印章類125顆(か)と柏崎市立図書館が所蔵する書籍1,672冊で構成されており、近世越後における農民教育や地方出版文化の実態を示す貴重なコレクションです。
Q.学塾三餘堂とはどんな塾だったんですか?
A.塾の名前にある三餘とは、「冬は歳の余、夜は日の余、陰雨(いんう)は時の余」のことで、「忙しくても農作業のない余暇を利用して学ぶことはできる」という意味です。初代塾主であった南城の質実な学風や厳格な教えは人々に大変慕われ、各地から多くの門人(もんじん)が集まったそうです。
塾の閉鎖後、資料は藍澤家が管理していましたが、明治38年(1905)に塾で教科書として使用されていた書籍が私立柏崎図書館(現柏崎市立図書館)に寄贈され、次いで昭和49年(1974)には自筆稿本や版木等が新潟県立図書館に寄贈されました。
そして、平成9年(1997)には両図書館所蔵の関連資料が《学塾三餘堂関係資料》として県指定文化財(歴史資料)に一括指定されることになります。さらに2年後の平成11年(1999)に藍澤家の所有する印章類125顆(か)が追加指定を受けたことで、現在の名称になりました。その後、平成23年(2011)に藍澤家が所有していた印章類が新潟県立図書館に寄贈され、現在に至ります。
Q.その「お宝」を見る方法は?
通常非公開ですが、毎年「にいがた秋の文化財一斉公開」にあわせて10月下旬から2週間程の間、版木や印章等の一部をエントランスのギャラリーで展示しています。実物を見ることができるのはこの期間だけですので、是非、お越しいただければと思います。
また、南城の自筆稿本や塾関連の古文書は、新潟県立図書館がインターネット上で提供しているデータベース「越後佐渡デジタルライブラリー」でご覧いただけます。
○新潟県立図書館
新潟県新潟市中央区女池南3丁目1−2 TEL. 025-284-6001
https://www.pref-lib.niigata.niigata.jp
3.「燕市産業史料館」のお宝は?

燕市産業史料館の桑原美花さん
Q.燕市産業史料館の収蔵品で「これぞお宝」は?
A.玉川宣夫(たまがわのりお)さんの《木目金(もくめがね)花瓶》です。

燕市産業史料館のお宝である《木目金花瓶》
作者の宣夫さんは平成22年(2010)に鍛金分野で人間国宝に認定されました。宣夫さんが得意とする技法に「木目金」というものがあり、ここで紹介する作品は、その技法によってつくられた花瓶です。木目金とは、異なる数種類の金属板を何十枚も層状になるように重ねて熔着させ、金属塊にしたものを板状に延ばし、表面を削って模様を出してさらに打ち延ばし…と繰り返すことで、表面にまだら模様を生み出す技法です。この模様が木目のように見えることから「木目金」と呼ばれています。
Q.玉川宣夫さんは、どんな人ですか?

人間国宝・玉川宣夫さん
A.宣夫さんは昭和34年(1959)に燕市の鎚起銅器(ついきどうき)工房の玉川堂(ぎょくせんどう)に入社し、鎚起銅器職人として修業を始めました。その後、上京して関谷四郎氏の内弟子として学ぶなど、作品制作における新たな技法を修得していきました。そして職人としてだけではなく、作家としても活躍の幅を広げていきました。そのような中、全国的な展覧会に出展していると、燕の技術だけでは入選が難しいという壁にぶつかります。新たな突破口を求めている中、兄で玉川堂6代目である玉川政男(たまがわまさお)さんから、昭和45年(1970)刊行の文献に木目金の研究論文が掲載されていたことを紹介され、その出会いから、宣夫さんは木目金の研究を開始し、自身の制作活動に活かしていくことになりました。
木目金の技法は、江戸時代初期に秋田の正阿弥伝兵衛(しょうあみでんべえ)が刀装具(とうそうぐ)の装飾技法として用いたのがはじまりです。しかし、明治時代に廃刀令によって一般人の帯刀(たいとう)が禁じられると、木目金の技法も衰退してしまいました。
宣夫さんは主に刀装具に用いられるのみだった失われた技法を研究し、復活させた木目金研究の第一人者です。現在、木目金は弟子にも受け継がれ、伝統工芸分野だけでなく、ジュエリーなどにも用いられています。

こちらも玉川宣夫さんの《木目金花瓶》
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.本館の2階に常設展示しています。この《木目金花瓶》のほかに、宣夫さんが燕の職人をはじめとする作り手から学んだ技術を紹介している作品もありますので、人間国宝になるまでに歩んできた軌跡を辿ることができます。例えば、正倉院宝物の《銀薫炉(ぎんくんろ)》の復元にたずさわったことを物語る作品など、さまざまな金工技術による作品が展示されています。
○燕市産業史料館
新潟県燕市大曲4330-1 TEL.0256-63-7666
https://tim.securesite.jp/index.html
4.「池田記念美術館」のお宝は?
Q.池田記念美術館の収蔵品で「これぞお宝」は?
A.ラグーザ・玉(たま)作の《乳しぼり》です。

《乳しぼり》ラグーザ・玉(1861年-1939年)
Q.それは、どんな作品ですか?
A.この作品は、日本最初の女性洋画家の一人といわれているラグーザ・玉が描いた油絵です。
玉は、明治時代にイタリア人彫刻家ヴィンツェンツォ・ラグーザに伴われイタリアに渡り、油彩画を学び、画家として活躍しました。玉はラグーザと結婚し、死別後もイタリアのシチリア島で暮らし、晩年は日本語もほとんど忘れてしまっていました。
そんな玉を姪の初枝がたずね、望郷の念に駆られた玉は、昭和8年(1933)、73歳の時にようやく日本に帰ります。この絵の背景は、玉のシチリアの自宅から見た風景を描いたものとされ、当時のシチリアの雰囲気が感じられる作品です。
Q.どうして、この作品が池田記念美術館にあるのですか?
A.池田記念美術館は、株式会社ベースボール・マガジン社の創業者、池田恒雄のコレクションを収蔵しています。池田は「ラグーザお玉 自叙伝」(恒文社発行)を編集した木村毅(き)氏と親交があり、木村氏が所蔵していた作品を譲り受けたと聞いています。恒文社も、池田がつくった出版社です。それゆえ、当館では作品の他に、玉の写真なども収蔵していますよ。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.常設展示作品ですが、企画展によっては、展示されていない時期があります。ご覧になりたい場合は、池田記念美術館までお問合せください。
○池田記念美術館
新潟県南魚沼市浦佐5493-3 TEL.025-780-4080
http://www.ikedaart.jp
5.「上越市立歴史博物館」の「これぞお宝」は?
Q.上越市立歴史博物館のお宝は?
A.楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)の《流鏑馬之図》(やぶさめのず)です。
Q.作者の楊洲周延はどんな人なんですか?
A.周延は、明治時代に活躍した浮世絵師です。歌川国芳や豊原国周(くにちか)のもとで学び、江戸城大奥の様子や明治時代の女性の風俗などを描いたことで知られています。
本名は橋本直義といい、浮世絵師になる前は高田藩士として戊辰戦争などで戦った武士としての顔もありました。
Q.この作品の魅力は?
A.この《流鏑馬之図》は、狩装束(かりしょうぞく)の武士が、馬上で今まさに鏑矢(かぶらや)を射ようとする場面を描いた、屏風作品です。屏風には周延のことである「七十三翁楊洲(おきなようしゅう)」と書かれており、「直義之印(なおよしのいん)」(朱文方印)が押されているがあることから、周延が73歳のときの作品だと分かります。周延は大正元年(1912)9 月29日に75歳で亡くなっているため、最晩年に描かれた肉筆の屏風作品です。力強く、躍動感のある表現や丁寧な筆遣いから、晩年でも衰えることのなかった周延の画技をうかがうことができます。
本作以外にも、《千代田之御表(ちよだのおんおもて※)》シリーズのなかに流鏑馬や犬追物の題で騎馬武者が矢を射る構図のものがあります。浮世絵作品として手掛けたものと本作を比較しながら鑑賞するのも面白いです。
※千代田之御表は、江戸城で行われる年中行事や儀式、遊興を主題とする大判三枚続の揃物で全32図(目録1図)。版元は福田初次郎。大判三枚続の揃物とは三枚の『大判』という大きさの浮世絵版画を横に並べて一枚の絵として鑑賞・構成するようにした作品のこと。版元とは浮世絵や書籍の出版元。
Q.どうして上越市立歴史博物館にあるのですか?
A.周延が高田藩士だった縁でご遺族から寄贈を受けたものです。周延の浮世絵作品を所蔵している館は多いですが、肉筆画を所蔵しているところは少ないです。当館では《流鏑馬之図》のほかにも《地獄太夫図》、《文殊菩薩図》、《月に兎図》、《日の出に鶴図》、《鶯宿梅図(おうしゅくばいず)》、《鶏合図(とりあわせず)》、《徳川時代行軍図》、《倣京傳之図(ほうきょうでんのず)》と9点の肉筆画を所蔵しています。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.展示予定は未定ですが、企画展で展示する際に見ることができます。
最近では、令和2年(2020)に当館で開催された「楊洲周延肉筆画展」で展示されたほか、令和5年(2023)には、東京の町田市立国際版画美術館で開催された「楊洲周延 明治を描き尽くした浮世絵師」でも展示され、多くの方にご覧いただきました。
○上越市立歴史博物館
新潟県上越市本城町7-7 TEL.025-524-3120
https://www.city.joetsu.niigata.jp/site/museum/
6.「相川郷土博物館」のお宝は?

佐渡市教育委員会社会教育課・佐渡学センター文化学芸係主事の本間裕徳(ゆうとく)さん
Q.相川郷土博物館の「これぞお宝」は?
A.佐渡市指定有形文化財《佐渡金銀山絵巻》です。
新潟県立歴史博物館にも佐渡金銀山絵巻が所蔵されていますが、名前は同じでも、それとは違うものになります。

「佐渡金銀山絵巻」10点内「佐渡の国金堀ノ巻」より
Q.どんな作品なのでしょうか?
A.令和6年(2024)に世界遺産登録された相川金銀山での作業工程を主として、佐渡奉行所などで働く人たちや相川の町の様子などが描かれています。
佐渡金銀山絵巻は、佐渡奉行などが交代した際に、採鉱から製錬に至るまでの作業を説明するために製作されたといわれています。
この絵巻は江戸中期から江戸末期までの百数十年にわたって描き継がれ、その時々の様子が反映されているので、世界の鉱山文化における佐渡金銀山の位置づけを検討する上でも重要な資料です。
Q.本間さんがこの作品の「スゴイ」と思うところは?
A.鉱山絵巻が受け継がれているのは、佐渡金銀山のほかに、石見銀山や生野銀山など、10鉱山程度と言われています。石見銀山や生野銀山の絵巻はそれぞれ10点程度なのに対し、佐渡金銀山絵巻は、国内外で100点以上確認されています。そこからも、いかに佐渡金銀山が重要視されていたかが分かると思います。
またこの絵巻を見れば、採鉱から精錬、小判の製造まで全ての工程が分かり、全て手作業で行っていたことの裏付けにもなっています。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.残念ながら、資料保存のため実物の展示等はしておりませんが、佐渡市相川の「きらりうむ佐渡」「史跡佐渡奉行所跡(勝場)」においてレプリカ(部分)を展示しています。また、当博物館自体も見どころのひとつです。旧御料局佐渡支庁や鉱山本部事務所の建物を活用して、昭和31年(1956)7月に開館した国指定史跡で、館内では金銀山にまつわる様々な資料を展示しています。
○相川郷土博物館
新潟県佐渡市相川坂下町20番地 TEL.0259-67-7750
https://www.city.sado.niigata.jp/site/museum/60583.html
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