この資料館はもともと武徳殿(ぶとくでん)として、昭和10年にできた建物です。武徳殿とは武道鍛錬の場として戦時中に日本各地で建設されたものです。市民の要望もあり、市制施行(昭和9年)を機に建設計画が持ち上がりました。鈴木荘六(すずき・そうろく 当時の陸軍大将・日本武徳会会長)を顧問とし、三条出身の今井雄七(いまい・ゆうしち 当時、北海道の丸井デパート社長)からの3万5千円の寄付をはじめとして、市内外の寄付を募り、総工費4万5千円で、昭和10年に竣工しました。今井雄七は本来ならば三条に公会堂をつくりたい、という意図があったようです。
武徳殿として使われていた頃は、前の庭に鈴木荘六の胸像が建てられていました。竣工当時は、正面入り口から中に入ると、正面に武甕槌命(たけみかづちのみこと)を主神とする鹿島神宮(古くから武神として崇拝された)を祭り、左に剣道場(現・特別展示室)、右に柔道場(現・三条の産業展示コーナー)、右の廊下を奥に行くと弓道場(現・遺跡発掘調査事務所)がありました。武道場の管理は、大日本武徳会三条支所があたり、床は塵一つなく磨かれるなど、神聖な道場としての風格を保っていました。貴賓室は現在、名誉市民・岩田正巳(いわた・まさみ)画伯記念室として使われています。
武徳殿は戦後一時連合軍に接収され、昭和22年からは、公会堂として利用されました。昭和24年からは三条市公民館(現・中央公民館)になり、奇しくも当初今井雄七が意図した通りに長く公会堂としての役割を果たすこととなりました。中央公民館は、昭和56年に旧市役所跡地の新館に移転し、武徳殿は青少年育成センターとして使われることになりました。昭和58年の市立図書館の新館建築中には、一部が図書館として使われたこともありました。昭和初期の近代建築であり、保存して後世に残したいという市民の要望もあったため、平成元年、今度は青少年育成センターの新館移転に伴い、現在の歴史民俗産業資料館として開館しました。
産業展示はもちろん、古墳時代の三王山古墳群出土品や、貴重な文化財や芸術品の数々、名誉市民の岩田正巳画伯、写真家渡邊義雄氏の作品などが常設展示されています。
出典:
『三条市歴史民俗産業資料館ホームページ』
提供元:三条市歴史民俗産業資料館