大日如来座像

本像は、普泉寺の大日堂に安置されています。頭上に宝冠をいただき、両手で定印(じょういん:手をへその下で重ねる形)を結ぶ、胎蔵界大日如来です。「清里村史」によると、もと東山寺の山寺三千坊の一つ、天台宗仏性寺のものであったといい、嘉応年間(1169年~1171年)に仏性寺が焼失したため、末寺である普泉寺に移されたと伝えられています。 像高147.6センチメートルで、頭上の宝冠から体部までをヒノキの一木から彫り出しています。肘張が86.4センチメートルなので、直径1メートル近い一木を彫り出したことになります。背後から見ると、背中から木心部をくりぬいたこともうかがえ、堂々とした平安時代前期の特徴と技法を継承する一木造りと評価されています。 表面は漆箔(しっぱく:金箔を漆で接着させる技法)仕上げであったとされますが、今は素地(もともとの木肌)となり、風雨に直接さらされたことがうかがえます。伏した眼、ふっくらとした頬、締まった口元の穏やかな表情、豊かな体躯、衣文の浅い彫りが特徴で、平安時代後期への過渡的な作品とみられ、11世紀の制作と判断されます。全体的に虫喰いや朽損がみられますが、のど元にあらわれる樹木の節には、内側からみなぎるような自然のエネルギーを感じることができます。 普泉寺は、天正年間の御館の乱(1578年~1579年)において上杉景虎方に味方したため、上杉景勝方の焼き討ちにあい堂は廃絶しますが、その際、本像は土中に隠されたと伝えられています。上杉景勝が会津移封となった慶長3年(1598年)に大日堂が再興され、天和2年(1682年)に曹洞宗普泉寺となり、この大日如来坐像が本尊としてまつられるようになったとされています。

出典:
『上越観光ネット』
提供元:上越市観光企画課

画像提供元:
上越市観光企画課

所在地

上越市清里区馬屋772

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投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年4月5日 21:33

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