木喰上人(1718-1810)は甲斐国(現山梨県)に生まれ、22歳で出家し、45歳のとき木喰戒を受け、56歳で廻国修行の旅に出て、仏像千体彫刻を発願しました。宝生寺木喰仏は、文化元年(1804)夏、この地を訪れた上人が境内の銀杏の巨木を伐り倒して彫り上げました。
像は深い笑みをたたえた微笑仏で、大衆供養を本願とし、廻国と造像に専心しながら87歳を迎えた上人晩年の秀作で、保存状態も極めて良好です。
<参考>
小国町の真福寺で仁王の巨像を彫り上げた木喰上人は、文化元年の5月下旬宝生寺を訪れ、境内の銀杏を切り倒して7月13日までの間に西国33観音を造立しました。これら諸仏は、平均像高が90センチメートル近くもあり実に堂々とした像容で、澄んだ微笑みの表情もよく、木喰微笑仏中傑出した作例です。 また、保存状態も極めて良好です。
現存する30体以上の群像は、他に小栗山観音堂の33観音・上前島金毘羅堂の秩父34所観音・南鯖石安住寺の悲母33観音の3例しかなく、その意味でも貴重な存在です。木喰上人は文化7年(1810)93歳で生涯を閉じました。
出典:
『長岡市ホームページ』
提供元:長岡市大手通分室観光課
画像提供元:
長岡市大手通分室観光課