長谷川家は武士の出自と伝えられ、東谷の五十嵐家を頼り土着し、近世初期以降になってこの地に居を構えて、土地開発や治水事業など村の開発に貢献し、山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきた旧家である。
幕末から明治にかけては、近郊四ヶ村の耕地や山林の七割を独占し、百八十町歩余りの田から四千俵の小作料をあげた豪農である。
敷地は街道に面した間口約七十メートル、奥行百二十メートルと広大なもので、周囲に堀をめぐらせている。主屋は宝永三年(一七〇六)の大火で類焼し、享保元年(一七一六)に再建されたと伝えられている。
出典:
『長谷川邸』パンフレット
提供元:長岡市越路支所産業課
画像提供元:
長岡市越路支所産業課