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file-131 長岡・摂田屋の時空を超えるワンダーランド(前編)

  

商才も美意識も規格外、一代で富を築いた男


 JR長岡駅から信越本線で1駅の宮内駅から歩いて約10分。摂田屋(せったや)は古くから日本酒や味噌、しょうゆの蔵元が集まる醸造の町として有名です。漆喰(しっくい)を塗り重ね、立体的な模様を描いた鏝絵(こてえ)の蔵を持つ「機那(きな)サフラン酒本舗」もその一つ。創業者は明治27年(1894)、摂田屋に居を構え、独創的な建物を次々と作りました。

すべては機那サフラン酒から始まった

型破りの宣伝で大ヒット

サフラン酒

機那サフラン酒(昭和30年代の物)。発売当時は漢方薬配合の薬用酒。現在は、香辛料を組み合わせて同じ味わいを追求し、リキュールとして販売。

 サフランとは、南仏料理のブイヤベースやスペイン料理のパエリアに欠かせないスパイスです。1グラムを得るのに150本以上の花が必要な上、収穫から仕上げまで手作業で行われるため、最も高価なスパイスといわれています。日本には、江戸時代に薬として伝わりました。鎮静や鎮痛効果のあるサフランを主として、様々な漢方薬を配した薬用酒、それが「機那サフラン酒」です。明治17年(1884)に古志郡(現・長岡市)で吉澤仁太郎(よしざわにたろう)が考案し、販売を始めました。仁太郎は当時21歳。17歳から働いていた薬種屋(薬の調剤と販売業)で得た知識を活かし、オリジナルの薬用酒を作ったのです。

 

仁太郎

「仁太郎はもともと農家の生まれ。建物や庭はぜいたくでも、生活は質素で倹約家だったそうです」/吉澤さん

吉澤さん

「機那サフラン酒はリキュールとして今も本舗で販売しているので、公開時期は販売責任者として通っています」/吉澤さん

 大ヒットの理由を、現在リキュールとして機那サフラン酒を販売している酒蔵、新潟銘醸の吉澤義孝さんに伺いました。吉澤さんは、三代目仁太郎の三男にあたります。「第一に西洋風なものが好まれる時代のニーズ。第二に日本人の味覚に合う甘い味にしたこと、そして、第三は仁太郎ならではの型破りな宣伝方法でしょうか」
 有名な逸話が残っています。行商に出かけた仁太郎は、行った先で薬屋に商品を持ち込んだ後、近くの宿に投宿。と、夜間に突然の腹痛に苦しみだし、宿の人に「薬屋で機那サフラン酒を買ってきて」とお願い。クィっと飲むと、あら不思議、たちどころに回復――という自作自演の宣伝がきっかけとなり、機那サフラン酒の人気に火が付いたというのです。「それ以外にも、飛行機からビラをまいたり、屋根の上から本物の小判をまいたり、とにかく豪快」
 さらに、機那サフラン酒というネーミングにもヒットの要因があるかもしれないと、吉澤さんは考えています。「機那は、マラリアの特効薬の原料になるキナという木の当て字。キナはサフラン同様、明治時代にはたいへん高価な薬種でした。漢方の薬酒に舶来のサフランとキナを組み合わせることで、新しさとありがたさを強調し、注目度を上げようとしたのでは。資料が残っていないので推測です」

 

主屋

手前の部分は店舗兼住居として明治27年(1894)に建築され、後に入母屋造(いりもやづくり)の重厚な屋根の建物を増築。

鏝絵蔵

蔵なのに、窓が多く、すべてに鏝絵を施した見せるための蔵。扉を閉じたのは第二次世界大戦の長岡空襲の時だけ。

 仁太郎は摂田屋に移転すると、機那サフラン酒以外にもワインやウイスキーなどを手掛けます。そして、明治38年(1905)に発売した「銃印葡萄酒」が空前の大ヒット。仁太郎に巨万の富をもたらしました。そのお金をつぎ込み、独自の美学にのっとって、2700坪の広大な敷地に製造所、貯蔵所、母屋に始まり、鏝絵の蔵、離れ座敷を造らせ、また自身の手で作庭を行うほど建築に打ち込みました。時は、明治から大正を経て昭和へ。材料、工法、デザイン、規模のすべてに創意工夫やこだわりが込められ、見る者をあっと言わせるワンダーランドが完成しました。

 

 

初代の夢を継ぐ人々

平沢さん

「鏝絵だけでなく、離れ座敷や主屋もプロの大工も驚くほど見どころがいっぱいです」/平沢さん

 昭和16年(1941)に初代仁太郎が亡くなります。二代目仁太郎は、酒造りのためのホーロータンク製造会社や酒蔵を設立、政界にも打って出るなど幅広く活躍。機那サフラン酒は事業の主軸ではなくなり、やがて初代が構築した豪華な建築物や庭園の存在は忘れられていきました。
 その夢の跡に再び人々の注目が集まったのは、皮肉にも多くの深刻な被害をもたらした中越地震でした。平成16年(2004)10月23日、北魚沼郡川口町(現・長岡市)を震源とするマグニチュード6.8の巨大地震は、機那サフラン酒本舗の建物や庭園にも大きなダメージを残しました。この時、幸いにも倒壊を免れた鏝絵の蔵を目にし、時代を経ても変わらない豪華さと迫力に「後世に残さなければ」という思いを抱いた人々がいました。その一人が平沢政明さんです。摂田屋の酒蔵に勤務し、それまでは本舗も含めた摂田屋の街並みを当たり前のものと考えていたそうです。
 「鏝絵を初めて近くで見て感動し、何とかしなければという使命感のようなものが芽生えました。地元の蔵元が中心となって設立した『NPO法人醸造の町 摂田屋町おこしの会』が中心となって、まず、鏝絵の蔵の有形文化財登録を目指しました。登録後に交付された復興基金を活用して、平成20年(2008)に蔵を修復しました。でもそれはほんの一部。本舗のほとんどは手付かずの状態でした」

 

大看板

明治44年(1911)に正面脇に設置された巨大な木製看板。おびただしい彫刻が施された美しいデザイン。

 そこで、平成21年(2009)から、地域の人や地元企業に働く人に呼びかけ、ボランティア50名ほどによる庭園の草取りなどの美化活動を開始。平成22年(2010)には、寄付を募り、助成金を得て、人手に渡っていた機那サフラン酒本舗の大看板を買い戻し修復しました。「高さ12メートル、精緻な飾りが施された木製の大看板は、本舗のシンボル的存在です。一度、長岡市の施設で展示されましたが、今は土蔵に保管しています。いつかは摂田屋の地に復活させたいですね」
 
 周囲の人たちに理解や協力を求める地道な働きかけを続け、保存活動は広まっていきました。平成25年(2013)には、「機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会」が発足、27年(2015)からは、降雪期以外の土日祝日の一般公開をかなえました。「初年度は、通算40日の公開日に1300人もの方が訪れました。半数が県外からです。『他で見たことがない、すごい』『感激した』という声に、改めて本舗の価値に気づかされ、また頑張って活動しようという気持ちになります。これまで知られていなかっただけで、私たちの町には一流品があったんです」
 日本が文明開化し、大きく変わっていく中で、事業を興し、自らの美意識を建築物で具現化していった初代仁太郎。「そのメッセージを継承し、さらに活用していきたい」と平沢さんは語ります。

 

 後編では、初代仁太郎が作らせた「鏝絵」に焦点を当て、鏝絵がもたらしたもの、今を生きる人々に与えた影響をたどります。

 

掲載日:2019/9/20

 

■ 取材協力
吉澤 義孝さん/新潟銘醸株式会社 取締役品質管理部長
平沢 政明さん/機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会 事務局長、NPO法人醸造の町 摂田屋町おこしの会 初代事務局長

■ info
機那サフラン酒本舗
公開日/GW~11月の土日休日、イベントでの公開日 
*鏝絵の蔵の外観はいつでも見学可

後編 → 長岡・摂田屋の時空を超えるワンダーランド(後編)
「極彩色の鳳凰や動物が躍動する、鏝絵の世界」

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