file-144 「市章」三都物語~新発田・長岡・新潟~(後編)

  

湊町としての自負をカタチに

 北前船の時代に栄えた新潟湊。江戸時代末、開港五港の一つに選ばれましたが、そこからの道は決して順調ではありませんでした。市章では五港であることを高らかにアピール。その背景にあるものは? また目的は? 『しるし』が持つ力について掘り下げます。

市章に込めた開港五港としての誇り

「港」こそ新潟市のアイデンティティ

新潟市市章

錨×「五」×雪環を組み合わせた新潟市の市章。明治41年(1908)の制定以来、変わることなく使われ続けてきた。

伊東さん

「港湾都市・新潟として。新しい時代に入るのだという思いを込めて制定されたのだと思います」/伊東さん

新潟税関

開港後、関税業務をする役所として明治2年(1869)に整備された新潟税関。建物は国指定重要文化財、敷地は国指定史跡として現存する。/新潟市歴史博物館みなとぴあ蔵

 安政5年(1858)、開国を迫るアメリカと江戸幕府は日米修好通商条約を締結。函館・横浜・神戸・長崎、そして新潟が開港五港に選ばれました。その史実にちなみ、新潟市の市章には、港を表す「錨(いかり)」×開港五港の「五」×新潟(越後)を表す「雪環」がデザインされています。新潟市歴史博物館の伊東祐之(すけゆき)館長によれば、この市章には、当時の並々ならぬ『港への思い』が込められているのだそうです。
 期待を集めて開港した新潟港でしたが、湾や岬がない・水深が浅い・シベリアから強風が吹きつけるなど、港にはマイナスの条件が重なって、他の四港に遅れをとりました。「新潟の人々は港が整備されていないからだと考え、政府に信濃川の治水、港湾設備の近代化を働きかけました。しかし、実は、新潟の町には東京や大阪のような消費地としての力がない、魅力的な輸出品を持っていない、さらに、駅と港が離れているなど、港以外の様々な要因があったんです」

 

留袖

日米修好通商条約締結後の新潟湊を描いた「新潟湊之真景」。ロシア・オランダ船と思われる外国船が描かれている。/新潟市歴史博物館みなとぴあ蔵

 

初代万代橋

新潟市のシンボルの一つ「萬代橋」。初代萬代橋は市章制定の4日後に発生した新潟大火によって橋梁の西詰側から半分以上の260間(約472m)が焼け落ちた。/新潟市歴史博物館みなとぴあ蔵

 明治22年(1889)新潟市誕生。市章はここから19年後に制定されました。「市制と同時に市章を制定する地域もありますから、新潟は遅い方です。待ち続けた治水対策としての大河津分水の通水と近代港湾建設の見通しが立ったことを背景に、改めて『新潟は港町なのだ』とアイデンティティを確認したのではないでしょうか」と伊東さん。
 市議会の市章設定の議案書には「新潟市は五港の一つとして長く世に知られているので、それを表現する」と記されています。そして、「錨」と「雪輪」に、存在感ある「五」を組み合わせた新潟市章がデビュー。以来、113年間、新潟市で使われ続けています。

 

外への発信力と内の結束力

金先生

「複雑な形よりもシンプルな形の方がおすすめです。バッジにしたときに、しっかり形が確認できればOKです」/金先生

 平成の大合併をきっかけに、全国では平成15年(2003)から17年(2005)をピークに次々と新しい市章が生まれました。この頃は、プロのデザイナーに依頼したり、コンペティション形式で広く募集したりする方法が一般的になりました。デザインでは、多彩な色彩を用い、市の名前やイニシャルを丸みを帯びた形で表すことが増えました。長岡造形大学 准教授の金夆洙(キム・ボンス)先生によると、「かつては伝統を継承して作られたものが主流でしたが、平成になると自由な発想によるものが増えました」。デザインは時代の価値観を映しているようです。

 

大河津分水シンボルマーク

大河津分水通水時を記念して植樹された桜と空から見た水路の形をモチーフに、当時の人々の熱い思いや努力を赤で表現したロゴマーク。

上空から撮影した大河津分水

上空から撮影した大河津分水。堤防沿いの桜並木は、「日本さくら名所100選」にも選ばれている桜の名所。/信濃川河川事務所蔵

 そうした『しるし』を作るときに心がけるべきことについて、「大河津分水通水100周年記念ロゴ」の制作に関わった金先生に伺いました。
 「私がアートディレクターを務め、長岡造形大学の3年生7名とともに制作プロジェクトに参加しました。まず現地に赴き、地域の自然環境や文化を理解することから始め、その上で、大河津分水らしさを表現し、地域の方々に愛されるデザインを目指しました」。多くのアイデアをもとに作った10案を3案に絞り、Webと7町村9カ所の投票所での投票によって大河津分水通水100年のイメージを分かりやすく表現した作品が1位に選ばれました。その後、制作プロジェクトチームで作品を微調整して、制作スタートから約9カ月後の令和2年(2020)4月にプレスリリース。「大河津分水通水100周年を迎える令和4年(2022)に向けて、このロゴマークが多くの場面で活用されるのが楽しみです」と語る金先生。

 

学生と金先生 作業1

長岡造形大学視覚デザイン学科3年生7名と金先生でプロジェクトチームを組んで、制作にあたった。

学生と金先生 作業2

プロジェクト報告会の様子。「実践的なプロジェクトの経験を積んでもらうことはもちろん、デザインの力で地元に貢献することも目的の一つ」/金先生

 「シンボルマークに求められる役割は、外への発信力と内部の結束力。そのバランスをとるのは難しいのですが、楽しみでもあり、やりがいにもなります。もし皆さんが、自分でロゴマークを作ることがあれば、まずは団体、商品、イベントなどロゴマークの対象のキーワードをいくつか考えてみてください。そのキーワードを視覚化すればロゴマークになります。和風のロゴマークデザインが欲しい場合は、紋帳(家紋)を参考にしてください。紋帳には、たくさんの家紋が紹介されているので、イメージが広がりますし、シンメトリー(左右対称)を意識してデザインすると失敗する確率は少なくなります」と、教えてくださいました。

 

 市章とは、地域の自然や歴史、文化を表すことにとどまらず、心の拠り所や敬う対象を郷土愛と誇りを込めてデザインしたものでした。市章をガイドブック、想像力をエンジンとして、その地域の風土や歴史を読み取る新しい旅は、ニューノーマル時代にぴったりの楽しみかもしれません。

 

掲載日:2021/4/12

 


■ 取材協力
伊東祐之さん/新潟市歴史博物館 みなとぴあ 館長
金夆洙さん/長岡造形大学 視覚デザイン学科 准教授

 

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