file-157 「泳ぐ芸術品」錦鯉発祥の地・小千谷へ(後編)
震災を乗り越え、手を携えて、伝統をつなぐ
新潟の養鯉業界に前代未聞の被害をもたらした震災も、地域一体となってチームワークで乗り越える。ライバルであり、仲間。そんな絆がある土地で切磋琢磨し合いながら日本一の錦鯉を育てる生産者の思いを聞きました。
日本一、世界一の鯉師を目指して
大日養鯉場株式会社社長で、一般社団法人全日本錦鯉振興会副理事長の間野さん。
養鯉の暦は春の産卵に始まり、夏の間は土のミネラルを摂取できる風通しのいい野池で稚魚を育て、秋にハウスのプールに入れるサイクル。写真は、大日養鯉場の一番人気の白地に赤い斑点が浮かぶ、その名も「紅白」。
「長男の私と三男の常務・茂が新潟で、次男の専務・弘が愛知県で店舗を構え、大日養鯉場は1969年に父の代で創業してから養鯉業を営んでいます。」と話してくれたのは、長男で2代目社長の間野太さん。24歳の時に父が急逝したことから、若くして継ぐことになった間野さんが錦鯉に携わるようになって約四半世紀。錦鯉は世界的な人気を誇りつつも、生産のほとんどは国内で行われています。日本一=世界一に匹敵すると言っても過言ではない中、間野さんは全国総合錦鯉品評会で最高賞にあたる作出者奨励賞を今までに、数多く獲得しています。
「血統と環境、餌、技術、この四つが揃わないと、いい錦鯉はできないと思います」と間野さんが言うように、育て方は総合力が問われます。錦鯉の品評会や市場への出荷のタイミングは、錦鯉の特徴や目的によって異なり、稚魚を求める業者もいれば、成長過程のもの、成熟したものなどニーズは多彩。さらに品評会は12cmを皮切りに15cmからは5cm刻みで最大1mを超えるまでのサイズと約20品種でカテゴリー分けされており(品評会によって異なる)、それぞれのクラスで美しさを競い合います。生産者は品評会に合わせて親鯉の組み合わせや餌のやり方など緻密な試行錯誤を繰り返します。
錦鯉を取り巻く時代の変化
小さな錦鯉を選別する三男で常務の茂さん。瞬時に色彩や特徴を見極める経験と技術の高さが必要とされます。
より大きく、より鮮やかになるよう、バクテリアで濾過した水をプールに入れ、酸素も入れるなど環境づくりに力を入れています。
間野さんが家業を受け継いでから約25年、養鯉を取り巻く環境も大きく変わったといいます。まず一つ挙げられるのが、「外国からのニーズ」。当時から海外の人気はありましたが、最初はアメリカ、そしてイギリス、アジアは香港から市場は広がっていき、現在は50カ国以上にまで拡大しているようです。ヨーロッパではオランダ・ベルギー・ドイツ、アジアでは中国・タイ・インドネシア・フィリピン、近年ではベトナム・カンボジアなど、どんどん市場は拡大しているとのこと。
そしてもう一つ大きな変化が「錦鯉の大型化」。餌の内容や飼育管理技術の向上により、60年前の品評会では一位を獲る錦鯉というと55cm程度だったものが、現在では1mと約2倍のサイズになっています。
小千谷・山古志が錦鯉の重要エリアとして注目を集めている背景には、発祥の地であることはもちろん、この高い評価を受ける「生産技術」が地域の文化として磨かれてきたことも見逃せないポイントです。
「新潟の養鯉業界はライバルであると同時に仲が良く、先輩方から育て方を教えてもらう文化が根付いているんです。情報を交換しながらも、それぞれの業者の“こだわり”や“らしさ”があるので、たとえば同じ品種の錦鯉でも系統や育て方で違うので、顔付きや体系、同じ赤でも色合いに違いがあり、同じものはありません。」(間野さん)
震災からさらに強まった団結力
「地震の時はハウスに寝泊まりして、錦鯉の水槽をお風呂にしたこともありました」(間野さん)
2004年にこの地域一帯を襲ったマグニチュード6.8の大地震・新潟県中越地震で、甚大な被害があった養鯉業界。実際、この地震をきっかけに廃業した業者も少なくありませんでした。
そんな状況下で力になったのは、メディアを通じて窮地を知った国内外の流通業者や顧客から届いた救援物資や応援の声だったと間野さんは振り返ります。
「本当に助かりました。国や行政、ボランティアの皆さんのサポートも大きかったですね。そこから結束が生まれて、知恵を出しながら、なんとか生き残らなくちゃダメだって思うようになって。いつも同業者で言っていますが、うち一軒だけだったら絶対心が折れていました。弱音を吐いても『お前、そんなこと言わないで、ほら、やるぞ』とお互い声をかけて引っ張り上げあったから頑張れた。声をかけて助け合うのは、この地域の文化ですし、そのおかげで錦鯉の生産技術も発展してきたのだと思います。」(間野さん)
試行錯誤を重ね、磨き、次の世代へ
バッグや靴下、ビーチサンダルなどの日常使いできるアイテムから、味にこだわった錦鯉をモチーフにしたクッキーなどを制作・販売し、錦鯉の裾野を広げる取組にも挑戦中。
錦鯉というと「泳ぐ宝石」「泳ぐ芸術品」とも呼ばれているように、高級で手に入れるのも育てるのも敷居の高さを感じる人も少なくないかもしれません。しかし、手頃なものだと実は数百円から数千円で購入することができます。近年ではプロではなくても、気軽に水槽で飼育に挑戦し、色の出し方や成長のさせ方に夢中になる若者も増えているそうで、まさにペットとしての魅力を錦鯉に感じる人も多いとのこと。
そんな若者の中には、魅力を感じ、小千谷の錦鯉業界に参入してくる人も少なくないようです。やりがいは大きい反面、一人前になるには最低でも5年から6年、表現したい鯉の管理方法を追求するには10年はかかるとのこと。「地道な作業の繰り返しだし、野池でも育てるから、その年の天候によっても出来は変わります。農業と一緒で、土地によって土も水も気候も違う。だから何十年かけてやっていても『これでいい』はないし、試行錯誤を繰り返すんです。そうやって育てた錦鯉を流通業者や飼ってくれた人が魅力を感じて評価・発信してくれる。そんな背景があるからこそ、発祥以来100年、200年と錦鯉は続き、これからも、いい鯉を作り続けることが使命です。」(間野さん)
海外ではKoi=錦鯉という認識が浸透しており、Carpはマゴイなど食用の鯉を指します。
錦鯉を通して、小千谷・新潟の魅力も
「業界の人や行政にも応援してもらっているので、次にしないといけないことは、県外や海外の人に小千谷や新潟の魅力を知ってもらうこと。錦鯉を買うこともですが、宿泊して、地元のおいしいものを食べてもらって、楽しんで帰ってもらう。錦鯉の文化や良さを知りながら、地域のファンになってもらってまた来てもらえたらと、最近は業界でそんな話が出るようになっています。そうやっていい錦鯉を作り続けて、次の世代にこの文化をつないでいきたいですね。」(間野さん)
今年は11月6日に朱鷺メッセで「世界錦鯉サミット」の開催が予定されています。200年かけて築き上げてきた錦鯉の文化を各国の駐日大使にアピールできる場として、そして一般の人も気軽に錦鯉に親しめる機会として様々なプログラムが用意されています。同時開催しているクールジャパンエキスポも和食、日本酒、洋食器、アニメ、そして花火など、新潟ならではの文化を総合的に紹介する内容になっており、新潟の魅力を広く発信していくことが期待されています。
掲載日:2022/11/7
■ 取材協力
一般社団法人全日本錦鯉振興会 副理事長・大日養鯉場株式会社 代表取締役/間野 太さん
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