
file-27 新潟のおいしいお米 「“怪物品種”コシヒカリの歩んで来た道」

コシヒカリは1979(昭和54)年、全国の品種別作付面積でトップになって以来、一度もその座を奪われないどころか年々その割合を増しています。一般的に品種の寿命は10年といわれるなかで、あきたこまち、ひとめぼれなど多くの子孫を生み出しながら、いまだ追い越される気配のないコシヒカリ。開発現場からは「コシヒカリを超える食味の米は想像がつかない」といわれるほどの怪物振りを発揮しています。しかし、コシヒカリが生まれたころは、これほど評価される品種になるとは誰ひとり想像していませんでした。
コシヒカリの元になった交配が行われたのは、太平洋戦争さなかの1944(昭和19)年。当時長岡市にあった新潟県農業試験場(国の機関)でのことでした。母親は農林22号、父親は当時作付面積の多かった農林1号です。食糧不足の戦時下ですから、目的は稲につく代表的な病気であるいもち病に強く安定した収量が確保できる米を作ることでした。ところがこの交配は、望むような成果が得られず評価を得ることはできませんでした。まだコシヒカリという名前のついていなかった農林22号×農林1号の雑種第2代(掛け合わされた子供でいろいろな形質をもつ2年間栽培されたもの)の20個体は、1947(昭和22)年には新設された福井県の農業試験場に引き渡されます。
福井県の試験場では、良い形質をもつものを選抜し、特徴を定着させるべく1948(昭和23)年から4年間育てられ「越南17号」と名付けられ、全国各地で栽培に適しているか検討するために種子が配布される中、再び新潟県にも戻ってきました。
「越南17号」は安定した収穫が得られ、食味も良いものでしたが、草丈が長く倒れやすい上にいもち病に弱い性質をもっていたため評価は高くありませんでした。このまま消えるかと思われましたが、当時の新潟県農業試験場の杉谷試験場長が「栽培でカバーできる欠点は致命的な欠点ではない」との決断で新潟県が奨励品種に採用し、「コシヒカリ」と名付けられます。この翌年には越栄(こしさかえ)が奨励品種として平野部で大々的に作付けされ、コシヒカリは低温に強い特性から山間地向けの品種と位置づけられていました。
主に魚沼地域の山間部で作付面積を伸ばしてきたコシヒカリは、その味の良さが次第に知られるようになったのが1960年代(昭和35年頃)から。当時新潟県で最も作付けが多かったのは越路早生で、コシヒカリの作付比率は10%程度。新潟県内の穀倉地帯である平野部の農家には歓迎されませんでした。当時は味の善し悪しやかけた手間に関わらず全量を同じ値段で国が買い上げていました。ですから農家はできるだけ低コストで収量が見込める品種を栽培しようとしました。
コシヒカリの交配から現在までの間では、稲作を巡る状況は大きく変わっています。米不足だった1950年代、一転して米余りとなり減反(昭和46年)、消費者は値段が高くてもおいしい米を求めるようになり、1969(昭和44)年に自主流通米制度がスタート。そして1995(平成7)年には食管法が廃止されます。味の善し悪しは好みにもよるため従来はあまり重視されてきませんでしたが、1971(昭和46)年からは日本穀物検定協会が食味ランキングを毎年発表するようになり、魚沼産コシヒカリは別立て上場が開始された1995(平成7)年以降最上級の評価である特Aから脱落したことはありません。
一方、農業を巡る状況も変わりました。倒伏しやすいために農家に嫌われたコシヒカリですが、その後倒伏しないような育て方が研究された一方、倒伏しても支障なく刈り取れる機械の登場によって広く受け入れられるようになりました。

米のおいしさについて、すべてが科学的に解明されている訳ではありませんが、最近多くのことが分かってきました。
米の主な成分はでんぷん、そしてタンパク質、脂質と微量のミネラルです。水分を含んでふっくらとするのはでんぷんのお陰で、でんぷんが唾液と混ざることによって糖分に変わります。ですからでんぷんの質と量が「甘み」と「ねばり」や「もちもち感」を左右します。一方、タンパク質は割合が多いと雑味があると知覚される傾向があります。米に含まれるデンプン中に、アミロースとアミロペクチンという2種類のデンプンがあり、アミロペクチンが多いと餅米のように粘りが出ます。米の粘り具合の好みは国や地域によって違うため、味の基準にはなり得ないのですが、日本で好まれるコシヒカリの場合は、アミロース含有量が12−17%程度であることが理想的とされています。
現在、新潟県では、JAを通じて出荷される米に関しては魚沼、佐渡、岩船、新潟産一般と4区分に分けられています。ブランド米として他県産コシヒカリの2倍近い値段がつけられる魚沼産コシヒカリは、稲が熟してゆく夏場の登熟期に昼夜の温度差が大きい気候であることが、他地域よりおいしい米になる条件の一つといわれています。魚沼産に次ぐブランドの岩船、佐渡も山間地で水源に近く水が冷たい、夏場でも夜間の気温が下がるという、魚沼と同じような気候で栽培されています。もちろん、味を決めるのは気候だけではありません。水の調節などをこまめに行ったり、肥料を変えるなど農業者ごとにさまざまな工夫を凝らしており、それがおいしさにつながっています。
もう一つ、忘れてならないのは窒素成分です。窒素は植物を大きく成長させるのに欠かせない要素ですが、コシヒカリが導入された当時は倒伏を避けるため小さく育てようと窒素成分を減らしました。この後に分かることですが、窒素を多く使用して栽培した米はタンパク質の含有量が多くなり、食味が悪くなる傾向があります。コシヒカリが倒れずに最後までちゃんと実るような栽培の工夫や農家の皆さんの努力によっておいしい米が栽培されるようになったのです。
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