file-41 今だから知りたい新潟の奇談 ~新潟の風土の中で育まれた妖怪たち

  

新潟の風土の中で育まれた妖怪たち

妖怪が登場する奇談集

山男図『北越奇談』巻之四

山男図『北越奇談』巻之四
新潟県立歴史博物館蔵

山中異獣の図『北越奇談』二編四之巻

山中異獣の図『北越雪譜』二編四之巻
新潟県立歴史博物館蔵

悟りといふ獣の事『越之風車』巻之四

悟りといふ獣の事『越之風車』巻之四
新潟県立歴史博物館蔵

慈光寺の天狗『越之風車』巻之一

慈光寺の天狗『越之風車』巻之一
新潟県立歴史博物館蔵

 人間とは異なる異形(いぎょう)の姿をした妖怪。それは人びとに災いをもたらす存在としておそれられる一方で、ときには恵みをもたらす存在として崇(あが)められてきました。民話の宝庫とされる新潟には、妖怪にまつわる話が息づき、そうした話を書きとめた奇談集も伝わっています。

 文化9年(1812)に三条の橘崑崙(たちばなこんろん)が著した『北越奇談』は、塩沢の鈴木牧之が書いた『北越雪譜』とともに越後の二大奇書とされる書物です。挿絵は、富嶽三十六景で有名な浮世絵師・葛飾北斎が描いています。『北越雪譜』が雪を主な題材としたのに対し、本書では冒頭に「北越は水国なり」とあるように、水に苦しんだ蒲原の者の視点で越後の奇談を記しているのが特徴です。また、明和8年(1771)に長岡藩士の伴喜内(ばんきない)が著した『越之風車』も前篇五巻および後篇三巻にわたって興味深い越後の奇談が記されています。

 これらの書物では、山中に棲むとみられた人とも猿とも似つかぬ山男と出会った記事がそれぞれ紹介されています。『北越奇談』では、高田藩領の信越国境にあたる妙高山・黒姫山・焼山といった高山が連なる山中に出現した「山男」が記されています。身長は6尺(約180㎝)、赤い髪と灰色の肌のほかは人間と変わりない姿。牛のような声を出し、喋らないものの人間の言葉を理解できたそうです。

 『北越雪譜』に登場する「異獣(いじゅう)」も、魚沼郡堀之内から十日町へ越える山中で出現した山男です。縮の輸送人足が焼飯を与えたところ、恩義を感じ、荷物を運んだと記されています。また、『越之風車』では、魚沼郡三国あたりの深山を棲処(すみか)とする「悟り」と呼ばれる山男が紹介されています。山奥に小屋がけしていると現れ、猿に似て、人間の心を読み、人間が思っていることを話すと記されています。

 このほか山中に現れた天狗や、雪の晩にやってくる雪女、水辺に住む龍や河童の話など、新潟の風土のなかで育まれた、自然と人間との関わり示す多くの奇談が伝わっています。

吹雪の晩にやってくる弥三郎婆

伊夜日子妙多羅天の事『越之風車』巻之三

伊夜日子妙多羅天の事『越之風車』巻之三
新潟県立歴史博物館蔵

妙多羅天女像 個人蔵

妙多羅天女像 個人蔵

妙多羅天女像 宝光院蔵

妙多羅天女像 宝光院蔵

真綿 個人蔵

真綿 個人蔵

婆々杉

婆々杉 新潟県立歴史博物館提供

 新潟県に伝わる代表的な妖怪のひとつに弥三郎婆(やさぶろうばさ)があげられます。弥三郎婆は、吹雪の晩に風に乗ってやってきて、人をさらって食べてしまう妖怪です。弥三郎婆の伝承は県内各地に存在し、その広がりは隣県に及んでいます。とくに魚沼地方では、夜更かしをして言うことを聞かない子どもをさらって食べると語られ、子どもにとって大変恐ろしい存在でした。

 弥三郎婆の話は弥彦周辺との結び付きが強いことも特徴で、『北越奇談』では「伊夜日子(いやひこ)の鬼女(きじょ)」として紹介されています。また、弥三郎婆は彌彦神社の鍛冶(かじ)の棟梁(とうりょう)であった黒津家当主の母で、上棟式(じょうとうしき)での大工との争いに敗れ、その悔(くや)しさのあまり餓死(がし)して鬼になったと伝えられています。鬼となって悪行を繰り広げた弥三郎婆でしたが、後に高僧(こうそう)との出会いによって改心(かいしん)し、妙多羅天女(みょうたらてんにょ)として祀られるようになったと伝えられています。黒津弥三郎の子孫にあたる黒津家では、妙多羅天女像を描いた掛軸を所蔵しています。その姿は穏やかな表情の尼僧像で、僧衣が光明真言の経文で書かれているのが特徴です。

 また、弥彦村の宝光院には3体の妙多羅天女像が安置されています。明治時代の神仏分離以前は、彌彦神社神宮寺の大明神本地堂内にあったと伝えられるものです。その形相は恐ろしく、三途の川のほとりで死者の衣類を剥ぎ取った奪衣婆(だつえば)を思わせる姿です。3体の妙多羅天女像のうち1体は、毎年10月15日に御開帳があります。御開帳される妙多羅天女像は、頭上に真綿(まわた)が被せられています。この真綿を子どもの首に巻くと、百日咳(ひゃくにちぜき)が治るといわれ広く信仰をあつめてきました。

 妙多羅天女像を安置する宝光院の裏山には、樹齢1千年とされる、高さ約40m、幹周約10mの杉の大木が立っています。妙多羅天女にまつわる伝説から婆々杉(ばばすぎ)と呼ばれています。妙多羅天女は、悪人が死ぬと、死体や衣類を奪って大杉にかけ、世間の人の見せしめにしたと伝えられています。

file-41 今だから知りたい新潟の奇談 ~河童の手と秘伝の妙薬

河童の手と秘伝の妙薬

手を切られた河童

青島の妙薬伝来の事『越之風車』巻之三

青島の妙薬伝来の事『越之風車』巻之三
明和8年(1771)
新潟県立歴史博物館蔵

河童図 個人蔵

河童図 個人蔵

河童の手 個人蔵

河童の手 個人蔵

川太郎碑 小千谷市三仏生

川太郎碑 小千谷市三仏生
新潟県立歴史博物館提供

河童まつり 新潟市西蒲区針ヶ曽根

河童まつり 新潟市西蒲区針ヶ曽根
本井晴信氏提供

藁苞に入れるキュウリ漬け

藁苞に入れるキュウリ漬け
新潟市西蒲区針ヶ曽根 本井晴信氏提供

 背中に甲羅を背負い、頭に皿がある河童は、日本人にとって最も親しみのある妖怪ではないでしょうか。新潟県では河童を「カッパ」「コッパ」「スイジン」「カワウソ」などと呼んでいます。河童は川や沼を住処(すみか)とし、いたずら好きで、ときには人間の命を奪ってしまう妖怪として信じられていました。河童は人間だけでなく馬にも執着する妖怪とされ、河童が馬を水中に引き込む「河童駒引(かっぱこまびき)」の話は日本各地に伝わっています。河童は、肛門にあると想像された尻子玉(しりこだま)を好み、それを引き抜くため人間や馬を襲ったものと伝えられています。

 悪さをする河童のなかには、人間に捕まってしまった河童もいたようです。新潟市南区の中ノ口川沿いに位置する佐藤家の先祖は、キュウリ畑を荒らしている河童を生け捕りにし、松の木に縛ったと伝えられています。当家ではその様子を描いた河童図を所蔵しており、河童に嘆願されて逃してやると、それ以降、畑が荒らされなくなり、川で溺れる人もいなくなったと伝えられています。

 このような河童が人間に捕らわれた話は日本各地に伝わっており、捕まった際に人間に手を切られた河童の伝承も広くみられます。そうした由来とともなって「河童の手」と伝えられる奇妙な手も各地にあります。掲載写真の河童の手は、江戸時代後期に筑後国から越後の某所にもたらされたと伝わるものです。河童の手を借りて妊婦の枕元に置くと、お産が軽くなると伝えられ、不思議な呪力(じゅりょく)をもつものとされていました。

 県内には河童を信仰の対象とする地域もあり、小千谷市三仏生の白山神社境内には、「川太郎」と刻んで河童を祀(まつ)った碑があります。河童が馬小屋に侵入して尻子を抜いたため、二度と悪さをしないよう鎮めるため建立したと伝えられ、毎年7月24日に神職を招き供養しています。このほか、中ノ口川沿いに位置する新潟市西蒲区針ヶ曽根では、河童を捕まえた日の7月1日を「河童まつり」と呼び、赤飯とキュウリ漬を藁苞(わらづと)に入れて川に流す行事があります。

河童から伝授された妙薬「あいす」

河童から桑原家に伝授された薬 個人蔵

河童から桑原家に伝授された薬 個人蔵

良寛書「水神相伝」 個人蔵

良寛書「水神相伝」 個人蔵

猫山あいす 猫山宮尾病院蔵

猫山あいす 猫山宮尾病院蔵

 悪さをして人間に捕われた河童は手を切られ、その手を返してもらう見返りに、骨継ぎや打ち身、ねんざ、止血などに効能のある秘伝薬の製法を人間に伝授することもあったと伝えられています。

 江戸時代に「河童医者」と呼ばれた長岡市島崎の桑原家は、河童から授かったとされる妙薬を所蔵しています。この薬は止血に効能があったといわれています。袋を開けてはならないと言い伝えられており、内部の詳細は不明です。

 宝暦6年(1756)の『越後名寄(えちごなよせ)』の記事には、その薬を懐中にいれて席につくだけで、たちまち患者の血が止まったと記されています。薬の原料や成分は不明ですが、双六石に似たかたちで、長さが7、8分(約2㎝)であったと記されています。

 また、桑原家の近くには良寛終焉(しゅうえん)の地とされる木村家があり、良寛が河童の話とその妙薬について記した『水神相伝』の書が桑原家に所蔵されています。この書では桑原家に伝わる河童の妙薬の名前を「阿伊寿(あいす)」と記しています。

 河童から伝授された妙薬を「あいす」と呼ぶ例は、桑原家に限らず新潟県内に少なくありません。その主な原料は、酸化鉄を含有する赤土である無名異(むみょうい)、キハダの樹皮である黄檗(おうばく)、ヤマモモの樹皮である揚梅皮(ようばいひ)などで、これに酢と水を調合して使用します。新潟市中央区にある猫山宮尾病院では、近年まで河童から伝授された「猫山あいす」の湿布薬が処方されていました。「猫山あいす」は深緑色の粉末で、これを水や酢で溶き、耳たぶぐらいの硬さになるまで練った後、和紙にのばして患部に張りました。

 それにしても、なぜ河童の薬が「あいす」と呼ばれていたのでしょうか。湿布薬として患部を冷やすための「ice=あいす」では無論なく、薬を「酢と和える」ため「和え酢(あえす)=あいす」とする説もありますが、その語源はわかっていません。

 

file-41 今だから知りたい新潟の奇談 県立図書館おすすめ関連書籍

  

県立図書館おすすめ関連書籍

「もっと詳しく知りたい!」、「じっくり読みたい!」という方、こちらの関連書籍はいかがでしょうか。以下で紹介しました書籍は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。ぜひ、県立図書館へ足をお運び下さい。

▷『妖怪玄談』

(井上円了/著 竹村牧男/監修 大東出版社 2011年発行 請求記号:郷土N147/I55)
 東洋大学の創始者でもある井上円了(新潟県出身)は「お化け博士」と呼ばれ、「コックリさん」の研究も真面目にしていた研究者です。「コックリさん」は今も昔も小学生の話題にのぼっている学校の不思議の一つではないでしょうか。内容は難しいですが、その分読み応えがある本です。

▷『新潟の妖怪』

(高橋郁丸/著 考古堂 2010年発行 請求記号:郷土N388/Ta33)
 著者である高橋郁丸さんは、これまで新潟県民俗学会で祭りや習俗、伝承などの研究をされてきましたが、このたび「新潟妖怪研究所」を結成し、妖怪研究で新潟文化を普及させようと活動を始めたそうです。漫画家でもある高橋さんはこの本で、新潟県内の妖怪や伝説をイラストと共に紹介しています。まずは入門書として、気軽に読めるオススメの本です。

▷『幽霊の正体(別冊太陽)』

(平凡社 1997年発行 請求記号:387/Y99)
 日本の幽霊といえば、うらめしそうであったり、もの悲しそうだったりと西洋のそれとは趣きを異にしていますが、背筋がゾッとする怖さという点では世界でも類を見ないのではないでしょうか。この本では、現存している日本画や浮世絵などがカラー写真で紹介されています。怖いもの見たさから、読んでみたいというあなたにおすすめです。
 ただしご注意ください。今晩一人では眠れないかもしれません・・・
 

 

▷『屁のような人生 水木しげる生誕八十八年記念出版』

(水木しげる/著 角川書店 2009年発行 請求記号:726/Mi95)
 おまたせしました。妖怪を語るのにこの方なくては始まりません。一昨年のテレビ小説でも高視聴率を記録したという「ゲゲゲの女房」でもおなじみの水木しげるさんです。子どもの頃からどこかフツウではなかったという水木さん、漫画家となるまでの様々なエピソードや絵本や童画を描いていた頃の資料など、ファン垂涎のお宝資料満載の一冊です。「墓場の鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」などの漫画も収録されており、一冊で何度もおいしいオススメ本です。

ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

 

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