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file-69 泳ぐ宝石 ニシキゴイ

  

歴史と雪国の生活文化

泳ぐ宝石 ニシキゴイ ~誕生と歴史~

代表的な錦鯉

錦鯉といえば、白色に紅色の斑紋のある「更紗」が有名。

 色物、模様鯉、花鯉、色鯉…さまざまな名称で呼ばれてきた錦鯉。その起こりは「新潟県の変わり鯉」といわれるとおり、二十村郷(にじゅうむらごう)※注(1)といわれた新潟県中越地域にある山間地が発祥である。これらの地域では、その地形を生かして、古くから田んぼの用水を確保するために、大小さまざまな形のため池が作られ、元和年間(1615年~1623年)頃には、この棚田に作られたため池に、鯉を飼育するようになったとされている。厳しい自然条件の中、鯉に対する人々の情熱と努力の甲斐もあって、この山あいの地域は、世界的にも有名な錦鯉の産地として知られるようになった。
 今日のような、さまざまな模様で彩られている錦鯉は、昔から存在していたわけではない。食用に飼育されていた黒っぽい色の真鯉(まごい)から、突然変異で現れた赤い色の緋鯉(ひごい)を進化させ、白鯉と交配させていき、紅白の錦鯉を生み出していったのである。天保年間(1830年~1843年)には、前頭部分が赤い「頭巾被り(ずきんかぶり)」や、白色の背部に紅色斑紋のある「更紗(さらさ)」など、美しい紋様の入った鯉が誕生した。当時の長岡牧野藩がこれを諸地方に出荷したと伝えられている。
 明治7、8年ごろには、「更紗」をはじめとした優秀品を産出し、投機的に飼育されることが多くなったために、県から一時的に養殖を禁止されたこともあった。しかし、まもなく禁止令はとかれ、明治30年頃には、小栗山(現小千谷市)出身の広井一が大隈重信に錦鯉を寄贈したことで東京の名士に広まることとなり、明治39年にはドイツ鯉との交配により品種改良もさらに進んでいった。大正3年の大正博覧会では、東山村(現小千谷市)と竹沢村(現長岡市山古志)の連合養鯉(ようり)組合が出品して好評となり、皇太子殿下に錦鯉を献上したという記録が残っている。若き日の皇太子殿下が錦鯉に心を奪われ、お付の人が前進を促しても動こうとしないという、後に生物学者となる殿下の、若き日のほほえましいエピソードも残っている。昭和に入ると、さらに改良に改良を重ねて品種が増えていく。産地としての名も広まるようになり、当時の新聞には「日本一の山古志郷」だけでなく、「世界の錦鯉の山古志郷」と述べるものが出てくるほどで、その販路が世界に拡大していったことがうかがえる。戦時中は、再び養鯉業は禁止となったが、戦後の高度経済成長期にはいわゆる「錦鯉ブーム」が沸き起こった。昭和44年には、山古志村の錦鯉の生産額が農業生産を上回り、村の重要な基幹産業となった。昭和48年のオイルショック以降は下降線をたどることとなるが、今日においても、一層の優良品の改良と市場拡大を図り、国内外のファンから根強い支持を受けている。

※注(1)=現在の長岡市太田、山古志、川口北部、小千谷市東山からなる一帯は、かつて「二十村郷」と総称されていた。二十余りの村があったから、また、一度なくなった村を再び起こしたから二重村というなど、いくつか伝承があるが定かではない。  
 

なぜ錦鯉誕生が二十村郷だったのか

山あいのため池

山あいの棚田には大小のさまざまな形のため池があり、鯉が放たれている。

 錦鯉発祥の地である二十村郷と呼ばれていた地域は、長岡の市街地から20-30kmほど距離のある農村地帯で、この地域のほとんどが起伏の多い山間部であり、集落は各地に点在していて、傾斜地に作られた棚田は、山の頂上まで続いている。
 冬ともなれば、5メートル以上の積雪に見舞われる全国有数の豪雪地帯である。山間地ということもあり現金収入の方法はそう多くない。しかし、だからこそ棚田が点在するこの地域において、独自の文化が育まれてきたとも言える。代表的なのは、やはり牛の角突きと錦鯉であろう。地形の複雑な棚田での農作業には、足腰の丈夫な牛の労働力が必要であった。その牛が角突きの神事のルーツになったという。またその地形の悪さから、四季を通じて人間も激しい肉体労働を要求され、それゆえ人々はタンパク質の栄養源を欲した。海から遠いこの地において、鮮魚は手に入りにくく、高価で簡単には買うことができなかった。そうした条件から、棚田のあちこちに見かけられる灌漑(かんがい)用のため池に、食用の真鯉を飼いはじめたのが今日の錦鯉のルーツとなったとされている。
 年の半分は銀雪に埋もれるこの地域で、牛の角突きと鯉を飼うことは多くの人の楽しみでもあった。真鯉からの突然変異をきっかけにし、自然の良さと厳しさの下で闘ってきた人々の忍耐強い努力と愛情によって、美しい錦鯉は誕生したのである。すぐれた「系統親鯉(けいとうおやごい)」を伝統的に所有していることと、選別する技術を有していることで、今でも新潟県は日本一の産地の地位を維持し続けている。



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