file-76 越後と親鸞

  

親鸞という人

誕生から配流まで

 平安時代も終わろうという1173(承安3)年、京都・日野にて日野有範(ひのありのり)の長子として誕生。4歳で父と、8歳で母と死別した後、1181(養和元)年、9歳で出家・得度(とくど)します。以後、29歳までの20年間、堂僧として修学の日々を比叡山で過ごすことになります。
 1201(建仁元)年、親鸞29歳のとき、これまでに悟りの道を見いだすことができなかったことから比叡山を下り、京都東山で教えを説いていた浄土宗の開祖・法然(ほうねん)聖人を訪ね、弟子入りします。当時、法然聖人の教えは広く民衆に受け入れられて信者も多かったのでしょう、信心を恐れた旧仏教教団は朝廷を動かして激しく非難しました。1207(承元元)年、法然の専修念仏(せんじゅねんぶつ)は説くことを禁止され、ついに流罪となります。師の法然は四国へ、35歳になった親鸞は越後へと配流が決まったのです。

越後に住んでいた親鸞

親鸞が上陸した居多ケ浜

親鸞が上陸した居多ケ浜。高台の見晴らし台から見下ろすことができる。

竹之内草庵

上陸後、最初に住まいしたといわれる五智国分寺本堂脇の竹之内草庵。

 京都を追放となった親鸞は、北陸道を下り、現在の糸魚川市(旧能生町)から船で上越市直江津の居多ケ浜(こたがはま)に上陸。約1年を五智国分寺の竹之内草庵で過ごし、次に移り住んだのが現在の国府別院の地である竹ケ前(たけがはな)草庵です。
 僧籍を取り上げられ、俗人の藤井善信(ふじいよしざね)として追放された親鸞ですが、実は親鸞という名は、この配流を機に、越後時代から愚禿親鸞(ぐとくしんらん)と名乗ることになったのだそうです。
 1211(建暦元)年11月、越後に住まいして5年後のこと。法然とともに赦免となった親鸞は、師との再会を願いつつも時期的に豪雪地帯の越後から京都に戻ることができなかったそうです。その2年後に師であった法然が亡くなり、もはや再会はかなわないと知ってそのまま越後に留まります。
 1214(建保2)年、親鸞42歳。関東での布教活動のため恵信尼(えしんに)をはじめ、家族や門弟たちとともに越後を離れます。行先は信濃善光寺などを経て常陸の国へ。

そしてその後

 
親鸞展・ビジュアル

国宝・重要文化財11点を含む約200点のゆかりの品々が展示されています。中でも、熊皮御影(くまがわのみえい)の名で知られる奈良国立博物館所蔵「親鸞聖人像」(国重文)や、親鸞の頂骨を納めた舎利塔=六角宝塔(上越市浄興寺所蔵)は必見です。

新潟県立歴史博物館・前嶋 敏さん

新潟県立歴史博物館・前嶋 敏さん
新潟県立博歴史物館に勤務して14年。主に日本中世史を担当しています。最近では戦国時代に関する研究を中心に活動しています。今回の親鸞展は、親鸞の時代から近現代までの新潟の浄土真宗の歴史をたどろうとしているので、往時からどのようにしてつながるのか、全体的な流れを感じていただければと思っています。

 越後から信濃善光寺を経て常陸に入った親鸞は、以後20年間を精力的に布教に努め、主著となる『教行信証』を書き始めます。
 やがて60歳を過ぎたころ、妻子を伴い京都に帰ります。帰京してからは書き進めていた『教行信証』を完成させ、ほか数々の書物もこの時代に著しています。
 1262(弘長2)年の11月28日、多くの人々が見守る中で親鸞は90歳の生涯を閉じます。
 ところで、親鸞と結婚し、越後から常陸、京都へと同行したといわれる恵信尼ですが、親鸞も恵信尼も果たして実在したのかどうか、とまで言われたこともあったようです。驚いたことに、何世紀も経た1921(大正10)年に真実が明るみに出ることになるのです。
 恵信尼は、親鸞が亡くなる数年前に末娘の覚信尼(かくしんに)に親鸞の世話を任せ、郷里の越後・板倉に帰っています。その当時に、京都にいる覚信尼に宛てた文書『恵信尼消息』10通が、時を超えて西本願寺の宝物庫から発見されたのです。その書状の内容が親鸞の歴史を裏付けていることから、実在したことが証明されたそうです。

越後の風土にもたらした親鸞の影響

 長岡市にある新潟県立歴史博物館では、現在「親鸞となむの大地」と題した特別企画展(4月26日~6月8日)が開催されています。
 この特別展でお披露目になったのが、親鸞や恵信尼が実在する証明になったという「恵信尼の書状」です。この恵信尼直筆の手紙(西本願寺所蔵・国重文)が、実に750年ぶりに里帰りを果たしています。
 関わりといえば、配流された親鸞は越後にどんな影響を残したのでしょうか。この特別展に携わった歴史博物館の前嶋敏さんに伺うと、
「この時代に書かれたものが残されているわけでもないので、ゆかりの書や伝説などから推測して語ることしかできませんが、親鸞は越後で一つの転換を迎えたのではないでしょうか。親鸞の信心が強く固まっていったのが越後での7年間だったといわれています。
新潟県内の宗派においては、浄土真宗が実に4割も占めているそうです。江戸時代、真宗門徒が開発のために越後入りしていますから、そこからどんどん広がっていったのでしょう。
親鸞は越後で転換を迎え、その親鸞によって、開拓や開発に必要な粘り強さ・勤勉さという今の県民性に通じる精神が培われていった――そのような考え方もできるのではないでしょうか」
 確かに、そう推測しながら親鸞展に臨めば、宗教色を超えて、私たちが住む農業王国・新潟の形成に深く影響した歴史上の人物として、親鸞をもっと身近に感じることができるようです。

新潟県立歴史博物館


新潟県立歴史博物館
新潟県の歴史・民俗の紹介と、縄文文化を研究・紹介する博物館。常設展示室、企画展示室、レストラン、体験コーナー、ショップなどを備えた一大ミュージアム。

長岡市関原町1丁目字権現堂2247番2
℡0258-47-6130

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親鸞を訪ねてみよう

親鸞ゆかりの地

  

 越後に配流になった親鸞。上陸した当時の国府である上越市を中心に、実に多くの旧跡や伝説が残されています。現在開催中の親鸞展で、江戸時代中期ころに庶民の間でも、親鸞の旧跡巡りや直弟子の開創寺院で遺物を見て回ることが盛んになり、驚くことに道中案内記も刊行されるようになったと紹介されています。親鸞が越後に関わりがあるというのであれば、わが県民も江戸の庶民に遅れじ。さっそく旧跡が数多く残るという上越市を訪ねてみましょう。往時の面影を見つけながらゆかりの地を巡るのは、歴史のロマンを垣間見るようでとても楽しいものです。
  

  
  

 
親鸞聖人銅像

 

上陸の地を見下ろす高台の公園に建立された親鸞聖人の銅像
 

 

 上越市の直江津地区には親鸞の足跡が1kmほど以内にまとまっているので、訪ね歩くには格好のコース。県道468号の国分寺入口交差点を軸に、海側に上陸の地の居多ケ浜とその高台に居多ケ浜記念堂、県道の反対側に五智国分寺、居多神社があります。
 最初に訪れたいのは、やはり上陸の地。能生から船で居多ケ浜に着いたとされる地に「親鸞聖人御上陸の地 居多ケ浜」の石碑があり、そこから高台に足を伸ばすと居多ケ浜記念堂です。きっと見学者も多いのでしょう、敷地内には親鸞の坐像を安置した見真堂(けんしんどう)や歌碑・銅像などが案内板とともに整備され、上陸の地を見下ろせる見晴らし台も設置されています。
 県道に戻り東に200mほどのところに、上陸した後、1年ほど過ごしたといわれる五智国分寺があります。現在の国分寺は上杉謙信公が再興したもので、親鸞が配所された時代の国分寺はこの場所だったかどうか、いまだに不明なのだそうですが、本堂の右手側に、住まいしたという竹之内草庵(親鸞堂)がひそやかにたたずんでいます。
 国分寺の裏手にある鏡ケ池は、親鸞が自分の姿を映して像を刻んだことからその名がついたそうです。この時に作られたという「伝親鸞聖人座像」が本堂脇の竹之内草庵に安置されています。
 境内を抜けた住宅地の少し先に養爺清水(ようやしみず)がありますが、親鸞が竹之内草庵で暮らしていたころ、飲み水や書道の水として汲んだといわれる清水です。日照り続きの夏でも枯れないといわれる名水で、現在もこんこんと湧き続けています。
 さて、次に向かったのは居多神社。親鸞が居多ケ浜に上陸して最初に訪れたという神社で、越後一宮とも呼ばれる延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。ここで参拝し歌を詠んだといわれる親鸞聖人の銅像が神社のすぐ脇に建立されています。また、この神社周辺に自生する葦は、越後の七不思議の一つに数えられる「片葉の葦」で知られています。
 居多神社から次の目的地・本願寺国府別院へは蓮池を見ながら600mほど先に進みます。ここは五智国分寺から移り住んだ竹ケ前草庵(たけがはなそうあん)があった場所。板倉の恵信尼とこの草庵で一緒に暮らしたといわれています。境内に、親鸞が袈裟をかけたといわれる「袈裟掛けの松」があったのですが、残念なことに虫害のために伐採してしまったそうです。
 国府別院を後に、五智国分寺方面へ向かうと光源寺があります。親鸞が関東に旅立った時に、弟子の最信がこの地に残り開山したといわれるお寺です。罪を許されたときに親鸞が自ら書いたとされる自画像「御満悦の御影」が本尊として本堂に安置されているほか、「旅立ちの立像」などゆかりの宝物が数多く残されています。
 上越市で親鸞を訪ね歩く最後の訪問地が高田の寺町通りにある浄興寺です。親鸞ゆかりの名刹で、もともとは常陸の国にあったものを信濃の国を経て上杉謙信公の招きによりこの地へ移転してきたお寺です。本堂は国の重要文化財に指定され、右手に位置する本廟には、親鸞聖人の頂骨が納められている舎利塔の六角宝塔があることから、今なお全国からの参拝客が訪れています。ちなみに六角宝塔は、現在開催中の親鸞展で、初めて寺外で公開されています。

六角宝塔

六角宝塔と呼ばれる親鸞の頂骨を納めた舎利塔が所蔵されている本廟。今も参拝客が多く訪れています。
 

越後の七不思議

 越後に7年間在住した親鸞は、その間、積極的に布教に出かけて行ったのでしょう。県内の随所で親鸞にまつわる「越後の七不思議」といわれる伝説が残されています。この伝説は、すでに江戸中期のころの文人などにより『東奥紀行』『東遊記』『北越志』などの書籍で紹介されていて、この時代も諸国から越後に多くの旅人がゆかりの地や七不思議を訪ねて回っていたことがよくわかります。そこで、参詣の記念として、七不思議にまつわる品々を入手し、一つずつ和紙に包み、大切に保管されていたケースも見受けられます。そうした親鸞の残した伝説は今でも語り継がれています。

◆保田の三度栗/やすだのさんどくり(阿賀野市・孝順寺)
親鸞が保田の地を訪れたとき、信徒が捧げた焼き栗を蒔いて教えを説いたところ、見る間に栗は芽を出し、1年に3度花をつけるようになったといわれています。

◆山田の焼鮒/やまだのやきふな(新潟市・田代家)
旅立つ親鸞を送る宴席で、料理として出された鮒の焼き物を親鸞が池に放すと、たちまち生き返り、泳ぎ出したという伝説があります。

数珠掛け桜

 

数珠のように咲く桜は世界的にも珍しく、国の天然記念物に指定されて現在も毎年4月末から5月中旬にかけて花を咲かせています。
 

◆数珠掛け桜/じゅずかけざくら(阿賀野市・梅護寺)
ここを訪れていた親鸞が出立の折、手に持っていた数珠を桜の枝にかけて仏法を説くと、桜の花は数珠のようにつながって、垂れ下がって咲くようになったのだそうです。

 

八つ房の梅

 

花の見ごろは4月中旬ころ、実が成るのは5月末から6月上旬ころだそうです。
 

◆八つ房の梅/やつふさのうめ(阿賀野市・梅護寺)
梅干しの種を庭に蒔いて歌を詠んだところ、翌年、そこから芽が出て葉が茂り、やがて薄紅色の八重の花が咲くと、実が八つずつつくようになったといわれています。
      

      

      

◆鳥屋野の逆竹/とやののさかさだけ(新潟市・西方寺)
自分の教えが広まらないことを嘆いた親鸞は、持っていた竹の杖を地中に挿して教えを説いたところ、葉が逆さになってつく竹になり、よく根付いて繁茂したと伝えられています。

◆つなぎ榧/つなぎかや(南蒲原郡田上町・了玄寺)
親鸞が護摩堂山城主に招かれて仏法を説いたとき、城主は糸でつないだカヤの実を焼いて親鸞に献じました。その中の一つを庭に植えると芽が出て、ついた実の一粒ずつに糸を通せるような小さな穴が空いていたそうです。

◆片葉の葦/かたはのあし(上越市・居多神社)
この神社で一日も早い赦免と信心が盛んになるよう祈願したところ、神社の境内に生えていた葦が一夜にして片葉になったといわれています。

 90年の人生の中で越後滞在期間はわずか7年と短いですが、これだけ多くのゆかりの地や伝説を残した親鸞という人は、歴史的に見ても新潟県にとっても偉大なる人物といえるのではないでしょうか。

<参考ホームページ>

▷ ・上越偉人探訪・親鸞聖人

▷ ・宗祖親鸞聖人‐西本願寺

▷ ・越後七不思議・阿賀野市


■取材協力
前嶋 敏さん(新潟県立歴史博物館)

■写真提供
新潟県立歴史博物館
上越市観光振興課
京ヶ瀬商工会

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県立図書館おすすめ関連書籍

「もっと詳しく知りたい!」、「じっくり読みたい!」という方、こちらの関連書籍はいかがでしょうか。以下で紹介しました書籍は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。ぜひ、県立図書館へ足をお運び下さい。

▷『親鸞 親鸞聖人750回大遠忌記念(別冊太陽)』

(平凡社/2009年)請求記号:188/Sh69
 「本書は豊富な資料と写真をカラーで掲載しており、わかりやすく親鸞の生涯とその思想をたどることができます。「我が親鸞像」の項では、吉本隆明氏、養老孟司氏などが親鸞の言葉や人柄を考察しています。カラー写真で紹介された「西本願寺の至宝」も必見です。

▷『越後の親鸞 史跡と伝説の旅』

(大場厚順著/新潟日報事業社/2013年)請求記号:N/188/Sh69
 「上越」「中越・弥彦」「蒲原・新潟」の3つに分けて、県内の親鸞の史跡を紹介しています。豊富な写真とともに簡潔にまとめられていますので、史跡巡りのガイドブックとしても役立つ一冊です。
 「越後の親鸞と恵信尼」の章では、親鸞と恵信尼の生涯についても、越後で過ごした時代を中心に、わかりやすくまとめられています。越後の親鸞を知る最初の1冊としてもおすすめです。

▷『親鸞 越後の風景』

(内藤章著/考古堂書店/2011年)請求記号:N/188/Sh69
 本書は朝日新聞新潟版に2007年6月から2008年3月まで60回に渡り連載された、親鸞ゆかりの地を訪ねる「越後の親鸞 伝説を訪ねて」の記事をベースに大幅に加筆・修正をしてまとめられています。
 親鸞の越後時代について、県内各地に残る旧跡や伝説を取り上げ、地元の関係者への丹念な取材をもとにわかりやすく紹介しています。元新聞記者の著者により、親鸞の生涯が生き生きと描かれています。
     

     

ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

 

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