file-87 ヒスイと世界ジオパーク~奴奈川姫伝説と地球の営み~
奴奈川姫伝説と地球の営み
糸魚川に伝わる、奴奈川姫の伝説
糸魚川市大町の「海望公園」にある奴奈川姫と建御名方命の母子像。
自然崇拝の色合いも濃い「奴奈川姫の産所」。ジオパークには奴奈川姫関連の伝承地も数多く残っている。
旧青海町の鍾乳洞「福来口」は、奴奈川姫のすみかだったという伝承が残る。
新潟県の最西端に位置する糸魚川市は、ヒスイの産地、奴奈川姫の伝説、世界ジオパーク認定の地として知られています。
近年、市内の遺跡発見などにともない、県内外で徐々に注目が集まっている「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」の伝説。神話の時代、ヒスイを用いて祭祀(さいし)を行い、高志(越)の国の一部、現在の新潟県南西部(旧西頸城郡)を治めたとされる女王で、古事記では出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)と結ばれ、一説には建御名方命(たけみなかたのみこと)を産んだ母神とも伝わっています。高志の国の実像、出雲や大和の国とどのような関係であったのかを含めて、仮説の域を出ないのが現状です。
糸魚川の人々にとって、奴奈川姫は特別な存在です。市内には「奴奈川姫の産所」など奴奈川姫にまつわる伝承地も数多く、式内社(しきないしゃ)である「奴奈川神社」にも、奴奈川姫と八千矛命(やちほこのみこと=大国主命)がともに祀られています。市内各地には奴奈川姫にちなんだ地名とともに、下記のような逸話も数多く伝わっています。
逸話その1
・奴奈川姫の遺跡/青海町黒姫山の東麓に「福来口(ふくがくち)」という大鍾乳洞がある。ここに大昔、奴奈川姫が住んでおり、機(はた)を織っては、洞穴から流れ出る川でその布をさらした。それでこの川を「布川(ぬのかわ)」という。
逸話その2
・宮地/能生谷村大字柵口(ませぐち)の権現(ごんげん)岳は、奴奈川姫の旧跡で、今の宮地は、大国主命の住まれた所だという。
(糸魚川市HP・文化振興課「奴奈川姫の伝説」より一部を抜粋)
このように奴奈川姫の伝承は、糸魚川に深く根付いています。
特集の前半では、『ヒスイと奴奈川姫はどのように関係するのか』、『奴奈川
姫は実在したのか』をテーマに、考察してみます。
奴奈川姫とヒスイの関係
今も原石が見つかる「ヒスイ海岸」。古代の人々もここで原石を得ていた。
糸魚川市教育委員会 文化振興課の木島勉さん。
糸魚川で発見された数々の遺跡発掘に関わる。縁あって糸魚川の地に腰を落ち着けたのは「奴奈川姫に呼ばれたのでしょう」と笑顔で話す。
糸魚川でしか採れないヒスイの硬玉。村単位で組織的に加工を行っていた。
(長者ケ原考古館)
ヒスイの大珠(上)に開けられた滑らかな穴。当時の加工技術の高さをうかがわせる。(長者ケ原考古館)
奴奈川姫とヒスイの関係は伝説を語る上で重要です。糸魚川は古くからヒスイの産地として知られています。ヒスイの加工は約5,000年前から始まったとされ、硬玉を使った加工では世界最古の歴史を誇ります。ヒスイの玉は祭祀に用いられたり、権力者への贈り物として使われたり、諸国との交易にも利用されていました。遠く縄文時代から続いた糸魚川のヒスイ加工の歴史は、一度は歴史から姿を消すことになりますが、近年までその理由は謎に包まれていました。
糸魚川市教育委員会・文化振興課の木島さんに、ヒスイ文化と奴奈川姫伝説について伺いました。
「奴奈川姫がいたという確実な証拠はありません。ただ、奴奈川姫をはじめとする古事記の内容は、大昔にあった出来事を神話になぞらえて伝えているのではないかというのが、研究者のおおかたの見方になってきています。以前、糸魚川市と旧青海町が共同で開催した『翡翠と日本文化を考えるシンポジウム』では、出雲の国と高志の国の政治的な関係がうかがえ、高志に与えた影響は定かでないが、間違いなく越中(富山県)まで出雲の文化は来ていたというのが、専門家の総括でした」とのこと。
大国主命が治める出雲の国は、日本海側の多くの国と交流があり、いずれも交通の要衝でした。島根県(当時の出雲)には『古志』という地名もあり、高志の国から来た人々が治水を行ったという話も伝わっています。出雲と高志の国に密接な交流があったとすると、弥生時代末期から古墳時代中期まで、両者の関係とはまさに『玉つくり』の関係といえます。出雲から発見される
ヒスイ玉の大半は、その頃糸魚川だけで採れた硬玉なのです。
古代の人々、出雲の国にとって力を示す祭祀に欠かせなかった玉、高志のヒスイの玉つくり。玉の中でも、ヒスイの玉は特に貴重で重要視されていました。当時大きな勢力を誇った出雲の国が、ヒスイを求めて高志の国まで手を伸ばしたのは想像に難くありません。
「玉と剣と鏡は権力の象徴です。ヒスイの玉を地方(高志の国)で造られては困ると、出雲から権力を奪った大和の国が奈良(曽我)で玉つくりを始めたのが5 世紀末頃。ここで糸魚川でのヒスイ加工の歴史は一旦途切れることとなるのです」(木島さん)。このことから、近代まで糸魚川のヒスイが歴史の表舞台から消えた理由もうなずけます。
糸魚川がヒスイの産地であるという再発見は、昭和13 年(1938)のこと。文人・相馬御風(そうまぎょふう)の奴奈川姫に関する発想が発端となり、発見につながったとされて
います。奈良時代以降、実に1,000 年以上の時を経ていました。
伝説の美女・奴奈川姫は実在したのか
糸魚川駅前にある玉を持った奴奈川姫像。願い事をし
ながら握手するとかなうといわれている。
郷土史家の土田孝雄さん。高校教諭として糸魚川に赴
任してから、遺跡発掘調査に参加。塩の道やヒスイ文化、奴奈川姫関連の著書が多数ある。「古事記にある通り、奴奈川姫は大国主命を魅了した美しい方だったのでしょう」と話す。
奴奈川姫の神像が伝わる天津神社・奴奈川神社(手前は天津神社の拝殿で、左奥が奴奈川神社)。
それでは、市内各所で像にもなっている奴奈川姫のイメージや伝説はどこからきたのでしょう。
「いつの頃からかは分かりませんが、古墳時代の女性の装束に、糸魚川を象徴するヒスイの首飾りを着けた姿が、自然と奴奈川姫のイメージとなったのでしょう」(木島さん)。北陸新幹線の工事の際に多くの遺跡が見つかり、考古学的な調査が行われました。弥生から平安時代にまたがる16 の遺跡が発見され、工房をはじめとする玉つくりの遺物も数多く出土したことから、集団で組織的に玉つくりを行っていたのは確かです。
奴奈川姫研究の第一人者として知られる、郷土史家の土田孝雄さんは、ヒスイ加工を行う『奴奈川族』の存在を確信しており、「『奴奈川族』というヒスイの玉つくりを行う一族が糸魚川を舞台に活躍したなら、その族の長(おさ)、王や女王が存在するのは当然で、それが奴奈川姫なのでしょう」と語ります。
天津(あまつ)神社・奴奈川神社には奴奈川姫神像があり、県の文化財に指定されています。平安後期の作品ですが、この時代の女神像はきわめて珍しく、奴奈川姫への信仰が古くから続いている事をうかがわせます。
古代の人々の玉に関する考え方や『祟り』が古事記に色濃く反映され、それが奴奈川姫の存在を裏付けることにつながると、土田さんは考えます。
「大和が全国を支配する中で、出雲の国は一番手強い、祭祀王国だったわけです。ただ単に制圧してしまうと祟られるかもしれないと考えたのでしょう。武力で征服するだけでなく、『玉』を征服することが重要だったと思います」とのこと。
古代の日本人の精神の中で、特に重要な要素である「祟り」。大和は出雲を支配下に置きましたが、祟りを恐れて慎重になったのではないのでしょうか。玉=魂であり、玉つくりの技術やその一族を征服するというのは、民族や国の精神的な支柱を奪うこと、完全な征服にもつながります。
古事記において大国主命の神話が多く語られ、奴奈川姫と大国主命の歌(神
語歌・かみがたりうた)が数ある歌の中でも最長であることからも、大和の
国が出雲や高志の国をいかに重要視していたかを表していると土田さんは考
えます。
「大和の国が残した古事記では、奴奈川姫に『賢し目(さかしめ)』、『麗し女(くわしめ)』と最高の賛辞を与えています。賢く美しい奴奈川姫の霊力、シャーマン的な力を古事記に記すことで、大和が高志の国を支配した意味、玉を支配した意味を強調していると思います」とのこと。
古代の糸魚川を治めた奴奈川族とその長である奴奈川姫。そう考えれば奴奈川姫の存在は現実味を帯びます。奴奈川姫と大国主命との結婚が出雲と高志の国の関係を表し、出雲と高志の国を、政治・精神の両面で支配した大和の国。この大筋を神話として残したのが古事記というのが、研究者の間で一般的な考え方となってきています。糸魚川の各地に伝わる伝承も、古事記をもとにさまざまに広がったものと考えられるでしょう。
file-87 ヒスイと世界ジオパーク~奴奈川姫伝説と地球の営み~
ヒスイ文化を生み出した糸魚川のジオパーク
地球と人の営みを体感する世界ジオパーク
糸魚川市交流観光課 ジオパーク推進室の鳥越寛子さん。滋賀県出身ながら、「糸魚川の自然や文化に魅せられて」完全移住。登山やスキーを本格的に楽しむアウトドア派だ。
糸魚川に豊かなヒスイをもたらした「小滝川ヒスイ峡」。ヒスイの大岩が流域に点在する。
「糸魚川- 静岡構造線」に重なるようにして続く「塩の道」。かつて塩を信州へと運んだ歴史の道だ。
日本列島の東西の分かれ目・フォッサマグナの西端にあたる「糸魚川- 静岡構造線」。
名産のアンコウ。糸魚川周辺の海域の地形が、アンコウやゲンギョ、タチウオなどの深海魚をもたらす
市内の飲食店で味わえる「ジオ丼」。豊かな地物を生かし、各店がオリジナルメニューを提供。
世界ジオパーク・糸魚川。主要な地溝帯であるフォッサマグナに代表される地質や雄大な景観、特有の生物、育まれた歴史など、地域の風土が評価され、2009 年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の支援により発足した「世界ジオパークネットワーク」の審査を通り、日本で最初の「世界ジオパーク」のひとつに認定されました。
特集の後半では、糸魚川ジオパークの特徴と文化に与えた影響、その見どころをご紹介します。
糸魚川のジオパークは24 のジオサイトから構成されています。そのポイントを糸魚川市産業部交流観光課・ジオパーク推進室の鳥越さんにお聞きしました。
「24 のジオサイトはそれぞれ特徴的ですが、地質学的、文化的におすすめなのは、ヒスイ関連のスポットとフォッサマグナ地層関連のスポットです」とのこと。糸魚川の文化にも深く関係しているヒスイは、小滝川のヒスイ峡などから生み出されています。地殻の深い場所で生成されるヒスイなどの鉱物はプレートの動きや火山活動によって運ばれ、隆起した山やその渓谷から姿を見せます。長い年月をかけた地球の営みがヒスイを生み、高志の国のヒスイ文化を育んだと考えると、大地と人との密接な関係が分かります。
「ヒスイとその加工の歴史を学ぶなら、リニューアルされた『フォッサマグナミュージアム』や、大規模な遺跡を有する『長者ケ原遺跡』や『考古館』を訪れてみてはいかがでしょう。また、プレートの境界を直接観察できる糸魚川-静岡構造線や、海底火山の痕跡である枕状溶岩の見学(フォッサマグナパーク)も面白いと思います」(鳥越さん)。
浜徳合の地層(能生地区)では、しましま模様の地層からクジラや貝の化石などが見つかることから、ここがかつて海底にあったことを感じさせてくれます。雄大な景色を望む『高浪の池』もみどころです。巨大魚(浪太郎)が目撃されている湖から望む明星山は、約1 億年かけて熱帯付近の海から運ばれたサンゴ礁でできた山。明星山には左巻きのカタツムリなど、固有種も生息しているそうです。
特徴的な地形が人々の文化に与えた影響が分かるスポットが他にもあるのでしょうか。
「上杉謙信が武田信玄と争った戦国時代の有名な古事『敵に塩を送る』際に使われた『塩の道』は、実は糸魚川- 静岡構造線にほぼ重なるようにしてあります」(鳥越さん)。
深い山に囲まれた糸魚川は、周辺諸国へと向かう道が限られていました。構造線上は窪地になりやすいことから、塩を運ぶ人が道として利用したのではないかと考えられています。信州(現在の長野県)の人々に貴重な塩を届ける道も、地球の営みの一部と考えると、なんともロマンがあります。
また、断崖絶壁の親不知が海辺に続き、日本の屋根ともいわれる険しい山々が連なる糸魚川は、通れる道が少ないことからも交通の要衝として古くから栄えました。鳥越さんは、「地形的にみて人や物の交流点であり、古くから東西文化が集中しやすかったのでしょう」と話します。深い山々の間にある多くの谷も、古い文化が残りやすい要因です。以前の特集(file-86「受け継がれる伝統芸能(後編)」)でご紹介した能生・白山神社の舞楽(大阪四天王寺の舞楽がルーツ)など、祭りにもその影響は見られます。
世界ジオパークにある奴奈川姫関連のスポットでは、『奴奈川姫の産所』・『天津神社』・『神堂山・石段』などがあります。歴史を感じながら巡ってみてはいかがでしょう。
また、糸魚川から富山県にかけて、陸から近いところに富山トラフという深い海底谷があることから、一般的な魚からゲンギョやアンコウなどの深海魚、ベニズワイガニなど、魚介類も豊富な糸魚川周辺。例えばゲンギョやタチウオを日常的に食べる文化は、お隣の富山県と同様です。市内の飲食店では、鮮魚などを生かした「ジオ丼」のほか、「カニ丼」・「アンコウ鍋(冬季)」などを味わえます。フォッサマグナ特有の地形が食文化にも生きています。
世界ジオパークに新たな観光スポットが登場
ミュージアムのエントランス脇にある「ジオパーク情報コーナー」は、誰でも無料で利用できる。
展示室へのエピローグは、館内に再現された「ヒスイ峡」。ヒスイの大岩と光の演出が神秘的だ。
含まれる鉱物によってさまざまな色になるヒスイ原石。大小の多彩な原石が並ぶ「第1展示室」。
そのビジュアルに圧倒される「第3展示室」。目と耳で地球の営みを体感できると好評だ。
フォッサマグナミュージアム 業務係の杉野尚さん。
「北陸新幹線開通やリニューアルされた展示、高校生以下が入館無料の相乗効果で、リニューアルオープンから来館者が倍になりました」と笑顔。
糸魚川ジオパークの見どころとして最後にご紹介するのが、平成27 年(2015)にリニューアルオープンした『フォッサマグナミュージアム』です。これまでの展示に加えて、『ジオパーク』や『フォッサマグナ』関連の展示などが大幅に追加されました。
「糸魚川にある各ジオサイトの情報をはじめ、フォッサマグナをはじめとする地質やヒスイなどの鉱物を楽しみながら知ることができます」と語るのは、同館の杉野さん。こちらでは、ヒスイ・石灰岩・フォッサマグナ・焼山など、約5 億年にもおよぶ糸魚川の大地の物語を紹介しています。
今回のリニューアルの大きな目玉は、大スクリーンで糸魚川のフォッサマグナを紹介する第3 展示室です。正面にあるスクリーンは200 インチ、床にも16 の大型モニターが配置されており、大音量の効果音とともに迫力あるヴィジュアルが展開されます。このほか、糸魚川の川や海で発見された美しいヒスイの原石が並ぶ第1 展示室『魅惑のヒスイ』、地震や火山を紹介する第4 展示室『変わりゆく大地』、国内や世界の鉱物が並ぶ第6展示室『魅惑の鉱物』など、見どころが多彩です。
「ジオパーク情報コーナーや第3 展示室などをご覧になってから、糸魚川- 静岡構造線などの現地を訪れる方も多いです。世界ジオパーク・糸魚川ならではの楽しみですね」(杉野さん)。リニューアルを機に、高校生以下は通年入場料が無料になったのもポイントです。ミュージアムの隣には『長者ケ原考古館』もあり、共通入場券も販売されています。
奴奈川姫の伝承が息づく風土、東西の文化が融合した深い歴史、世界ジオパークの興味深い地質や自然。さまざまな糸魚川の魅力を、ぜひ感じてみてください。
■ 関連サイト
糸魚川世界ジオパーク http://www.geo-itoigawa.com/
フォッサマグナミュージアム http://www.city.itoigawa.lg.jp/dd.aspx?menuid=4586/
長者ケ原考古館 http://www.city.itoigawa.lg.jp/dd.aspx?menuid=3808
天津神社 http://www.fsinet.or.jp/~amatsu/
■ 取材協力・資料提供
糸魚川市教育委員会 文化振興課 木島勉さん
ヒスイ文化研究所運営委員会・郷土史家 土田孝雄さん
糸魚川市産業部交流観光課 ジオパーク推進室 鳥越寛子さん
フォッサマグナミュージアム 杉野尚さん
■ 参考資料
土田孝雄(2008)『奴奈川姫 賛歌』(株)アド・クリーク
梅原猛(2012)『古事記 増補新版』学研M 文庫
宮澤豊穂(2014)『日本書紀 全訳』ほおずき書籍