笹川流れ(村上市)
笹川流れ(村上市)

file-162 新潟の海岸線と海水浴場~変化に富んだ多様な海岸線を眺める~(前編)

 国内でも有数の海水浴場数を誇る新潟県。夏の行楽の定番ですが、実は新潟県の海岸線は、様々な特徴を持っていることをご存じでしょうか。現在の姿になるまでにどのように新潟の海が作られたのか、その歴史を探っていきます。

新潟の海岸線をつくった新潟砂丘

新潟平野の微地形図 画像提供/株式会社クボタ

越後平野の微地形図 画像提供/株式会社クボタ

 新潟砂丘とは越後平野の海岸沿いに列状に形成された、日本最大級の海岸砂丘です。砂丘は新潟市西蒲区の角田山の麓から村上市の瀬波地域までの約70㎞に及び、全部で10列あります。この砂丘は信濃川や阿賀野川などの川が運んだ土砂が、沿岸流や季節風の影響を受けて堆積し、陸側から海側に向かって順次形成され、約7,000年前、北側は今の岩船地域から南側は亀田地域、さらに角田山にかけて、海底に細長い砂の高まりが作られたことで、最初の砂丘の原型が形成されました。その頃、今の越後平野の海岸寄りの部分は、まだ海の底にありました。砂丘の形成により、その内側には内湾(古白根潟)が形成されました。そこはやがて土砂によって埋められ、湿原や潟が広がる低地となりました。砂丘の発達とともに海岸線は海側に移動し、現在の新潟県の海岸線が形成されました。
 千数百年前以降、一番新しい砂丘が大きく成長し、日本海への出口を塞がれた信濃川と阿賀野川の河口がともに西側に移動し、現在の信濃川の河口近くで合流して海へ注ぐようになりました。その後、江戸時代の享保15年(1730)に新発田藩が阿賀野川に松ヶ崎掘割(放水路)建設しましたが、翌年春に決壊して掘割が本流化したため、信濃川から分かれることになりました。

特殊な地形や眺望が魅力的な海岸線

 何千年もの年月を経て形成された新潟の海。日本海に面する南北約330㎞に及ぶ海岸線には多くの海水浴場が存在し、夏の本格シーズンが到来すると、県内外から多くの海水浴客が美しい海を求めて訪れます。ここでは、たくさんの魅力がある新潟の海について、海水浴以外の楽しみ方を紹介します。

荒波に浸蝕された奇岩が立ち並ぶ「笹川流れ」

 新潟県北部、村上市浜新保の沿岸から寒川にかけて広がる笹川流れは、道路沿いに奇岩や孤島などが点在する全長約11㎞の海岸線で、昭和2年(1927)に「笹川流」の名前で国の名勝及び天然記念物に指定されました。一説には沖合の岩や島の間に潮が流れ込むことから、区間の中央にある笹川集落にちなんでこの名前が付いたとされています。
 笹川流れの独特の景観は、大昔に海沿いの花崗岩の山地が隆起し、岩礁が荒波の浸食により削られて形成されたもので、車で国道345号を北上すると圧倒的なスケールに驚かされます。昔から交通の難所としても知られ、源義経が京都から奥州へ落ち延びた時、船で笹川流れを通過したという伝説があります。沖合には、美しい景色を見た家来が義経を呼び戻して見せたと伝わる「君戻し岩」や、穴の空いた「眼鏡岩」などの奇岩が残されています。

戻し岩

君戻し岩(村上市)

眼鏡岩

眼鏡岩(村上市)

最大3メートルの岩が積み重なった間瀬海岸の「枕状溶岩」

 弥彦山と角田山の間に位置する新潟市西蒲区の間瀬海岸は海水浴場としても有名ですが、地形という観点から注目したいのは、海底火山の活動によって形成された、大きな岩が米俵のように積み重なった枕状溶岩です。大昔の海底噴火で流れ出した溶岩が急冷と流出を繰り返して固まったもので、昭和36年(1961)に「間瀬枕状溶岩」として県の天然記念物に指定されました。枕状溶岩は県外の海岸線でも確認できますが、特に間瀬の枕状溶岩は一つの岩が大きいのが特徴です。最大約3mの巨大な岩塊を含む光景は、全国的にも非常に珍しいものです。

【画像】間瀬海岸の枕状溶岩(撮影:1990年頃) 写真提供/鴨井幸彦さん
写真上半部の米俵や枕を積み重ねたように見える部分が「枕状溶岩」です。
なお、現在は防護ネットや草木に覆われており、一部分を確認できる程度です。

北アルプスが日本海に落ち込む豪快な断崖「親不知・子不知」

 新潟の海ならではの眺望を望めるのが、新潟県の最西端、糸魚川市の西側で高い崖が連なる親不知・子不知海岸です。北アルプスが日本海に落ち込んだ地形がおよそ10㎞続く海岸線は、昭和37年(1962)に「親不知子不知」として県の名勝に指定されており、さらに平成26年(2014)には一部が国の名勝「おくのほそ道の風景地 親しらず」に指定されました。その昔、北陸道屈指の交通の難所として知られ、明治時代に断崖を人力で削って新しい道が整備されるまでは、断崖の波打ち際の道を歩いていました。断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから「親不知・子不知」と呼ばれるようになったと言われています。
 また、松尾芭蕉や伊能忠敬など、多くの人々が往来した海岸線は、参勤交代で加賀藩の大名行列が通過する際、近くに住む百姓や漁師が波よけ人足として集められ、長い行列を作って断崖を通り過ぎたといわれています。
 さらに、夕日の絶景スポットとしても知られており、北アルプスの絶壁が落ち込む日本海に夕日が沈む眺望は、地形の雄大さと青い海のコントラストが美しい新潟ならではの景観です。

親不知

親不知(糸魚川市)

後編では新潟県の海水浴場の魅力を紹介します。

 

掲載日:2023/8/15

 

【取材協力】
新潟市文化スポーツ部歴史文化課
糸魚川市商工観光課ジオパーク推進室
フォッサマグナミュージアム
村上市山北支所産業建設課産業観光室

【参考文献】
『越後平野の地盤と防災』(一般社団法人北陸地域づくり協会)

【取材協力者】
株式会社村尾技建 技術審査室技師長 鴨井幸彦さん

【参考】
file-23 川がつくった新潟 その1
file-26 川がつくった新潟 その2
file-28 川がつくった新潟 その3

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