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file-89 想いを伝える自費出版

  

幕末の藩士・河井継之助への想い

「塵壺」に見る河井継之助像とは?

竹村保さん

継之助への想いを語っていただいた、「現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-」の著者・竹村保さん。


「現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-」

さまざまな資料を調べながら、長い年月をかけて完成した同作品。「伝えたい」という竹村さんの強い意志を感じさせる。


 「きっと河井継之助は草葉の陰で言っていると思いますよ。おまえこの訳し方違うぞ、何言ってんだって(笑)」。
 そう話すのは、「現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-」の著者である竹村保さん。実に500ページ超の力作を仕上げた人です。というのも、この作品は、継之助が西国へ遊学に出たときの覚え書きをまとめた「塵壺」をもとに、竹村さんが自らの見解を加えて現代語訳したもので、独自の解釈がふんだんに盛り込まれています。
 「継之助自身、これは他人に見せる目的ではなく、この遊学のために五十両ものお金を出してくれた両親に旅先のことを説明するために書き置いたもの。つまり、自分さえ分かればOKというメモなんです。そのまま訳してもほとんど意味は通じないため、当時のことを想像しながら情景を書き加えて文章にしていきました」と竹村さん。訳しながら、そのつど出てくる場所や時代背景を調べていくやり方をとったため、やればやるほど楽しくて気づけばどっぷりハマっていたそうです。

 江戸から、目的地であった備中松山へ。さらにそこから長崎へと足を伸ばす西国遊歴。その中で継之助は、雄大な富士山に魅せられ、登頂できなかったことを幾度となく悔やんだり、市井の人たちとも気さくに交流したりと、人間味あふれる一面をのぞかせます。
 「負けず嫌いで、ちょっぴり茶目っ気がありユーモアの分かる人。単なる堅物ではなく柔らかいところも併せ持つ人だったように思います。時折、町の人たちの口説き話に耳を傾けていたのも、今の政治はどう評価されているのか、それを知るのが政治を任される者の役目だと判断してのことだったのでしょう」と竹村さんは推測します。また、それは継之助の思想に通じる大切な部分でもある、と。
 「継之助を語るにあたってのキーワードは経世済民。政治とは、あくまで民の幸せのためにやるべきであるという考え方です。士農工商という身分制度がきっちりと定められていた時代にあって、その思想を掲げ、さらに行動に移していったのが継之助の最も素晴らしいところではないでしょうか」。

 さて、本来の目的であった備中松山にたどり着いた継之助は、山田方谷(やまだほうこく)のもとでさまざまな学びを得ます。さらに、そこから足を伸ばした長崎で見聞きしたものも、継之助の藩政改革に大きな影響を及ぼしたと竹村さんは考えます。
 「山田方谷が松山で行った藩政改革を、継之助はほぼそのまま長岡で行いました。また長崎での見聞も、その後の藩政を考える大きなヒントとなっているように思います。例えば、人や物が自由に行き来するのを見て物流について考え、改めて貨幣の価値を等しく定めることの必要性を感じたでしょう。また継之助は開国論者でしたから、長崎の人たちと外国人が共存する様子を見て、これからはもっと外国から良いものを取り入れながら発展するべきだという自らの考えに確信を抱いたのではないでしょうか」。

 独自の解釈が加わって物語としての面白みが生まれたこの作品の中で、継之助はイキイキと躍動し、各地を自由に闊歩しています。これを書き上げたことにより、竹村さんの中で実を結んだ河井継之助の人物像とは?
 「改めてすごい人だと思いましたね。自分の理想を現実にするためには何を学ぶべきなのか、それがきっちり定まっていてちょっとやそっとのことではブレない。また政治を行うにあたり、常に自分の心そのものを純粋に保つ努力を怠らなかった人であることも改めて実感しました。その根底に貫かれているのは武士の心。侍の義をもって民のために政治に取り組み、長岡の町を発展させ、それをモデルケースとして日本全体に発信しようとした継之助の大きなビジョンを感じます」。
 この作品を通じて、読み手に感じ取ってほしいのもそこだと竹村さんは話します。
 「継之助はこの旅の中で、日本という国の行方を考えるためのヒントをつかもうとしています。藩政改革を通じて、この国をどんな方向に持っていくべきなのか。そんな一大テーマが全体に流れていることを意識しながら読むと、より楽しんでいただけるのではないかと思います」。

竹村さんによる自費出版のススメ

 竹村さんを自費出版へと駆り立てたのは、司馬遼太郎の名作「峠」との出会いでした。
 「そこに描かれていたのは、郷土の武士、河井継之助。一瞬で虜になりました。司馬さんはこの本を書くにあたり、河井に関する資料という資料を神田の本屋街で買いあさったと聞きます。当然、本人の著した『塵壺』もご覧になっていたことでしょう。読み進むと、度々『ちりつぼ』という言葉が出てくるんです」。
 それは一体どんなものなんだろうと思っていたところ、原文を読み下した「塵壺:河井継之助日記」(安藤英男著)という本を見つけます。「これをもっと分かりやすくできないものか」と現代語訳を試みた竹村さん。「3~4行やってみたら、これなら私にもできそうだと思いました。それがこの作品を書いたきっかけです」と振り返ります。

 塵壺の現代語訳に挑戦したのは、実に竹村さんが初めて。そのことも「書籍にしたい」という気持ちを後押ししました。また、出版業に携わる高校時代の友人も心強い味方に。「右も左も分からないので、いい本にしてほしいという要望だけ伝えて一任したんです。その結果、立派な装丁の本に仕上がりました。最も悩んだのは値段です。1,000円台では難しい、2,000円台でも買ってもらえるだろうかと、さまざまに議論して最終決定したのを覚えています」と竹村さん。こうして思いのこもった作品がデビュー。「思いがけなかったので素直にうれしかった」という名誉ある賞(新潟出版文化賞 選考委員特別賞)まで受けました。

 本を書いて出版してみたい。そう考えている人には「自分が絶えず思っていることと、ぴたりとリンクするような人物や現象と出会ったら、なんでもいいからまず書いてみることをお勧めします」と竹村さん。そして、うまい表現が見つからない、こんな書き方ではダメなんじゃないか、と迷ったときは多くの小説や読み物からヒントを得ることも大切だと言います。
 「作家の宮尾登美子さんは、語彙集を何冊も持っていたと聞きます。一つの現象を美しく表現している言葉に出会うと、それを抜き出して書き溜めていたのだとか。それはすぐにでも真似できる、いい文章を書くためのコツだと思います。常に美しい表現を心がけること、それが最も大切だと私は考えます」。
 最初は思いつきの走り書きでいい、と竹村さん。「書きたいテーマと出会ったら、書いては消してを繰り返しながら、少しずつ形にしていく。苦しいときもありますが、それがいつしか日々の楽しみになっていくはずですよ」。
 そんな毎日の積み重ねが、できあがった本を手にしたときのえも言われぬ感動につながるのでしょう。そしてその先には、かけがえのない一冊をさまざまな人に読んでもらえるという喜びも。心を尽くしたからこそ愛おしいその作品が、どこかの誰かの宝物になるかもしれない。自費出版には、そんな醍醐味も潜んでいるのかもしれません。
 

「塵壺」を展示する河井継之助記念館へ

「河井継之助記念館」

長岡市「河井継之助記念館」。継之助の足跡や資料をさまざまに紹介している。


「塵壺」の複製品

河井継之助記念館にある、精巧に再現された「塵壺」の複製品(オリジナルは非公開)。持ち歩いたため、意外と小さなものだ。


 長岡市制100周年を記念して、2006年、継之助の生家跡に設立された「越後長岡 河井継之助記念館」。継之助のブロンズ像が出迎える館内には、その来歴に沿ってさまざまな展示がなされています。じっくりと鑑賞すれば、河井継之助の人となりが、さらなるリアリティーをもって迫り来ることでしょう。
 また注目したいのは、「塵壺」の原本を細部に至るまで精巧に再現した複製品です。西国遊歴で持ち歩いたため、やや小ぶりな体裁で、巡った土地でのさまざまな事柄が記されています。ほかにも、継之助が佐賀県神埼市を訪れた際に購入した蓑、父である河井代右衛門(だいえもん)に宛てた遊学願いの書状など、「塵壺」につながる興味深い展示も数多く見られます。そんなテーマをもとに館内を巡ってみるのも、また楽しいかもしれません。
 

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