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file-95 大河と大蛇と寺社の伝説(後編)

  

「伝説」は庶民の暮らしを伝える生活史

霊峰白山から海へと向かった大蛇

 新潟市の白山神社に伝わる蛇の姫の伝説を追った前編。引き続き、寺社に伝わる大河と大蛇の関係に注目していきます。
慈光寺参道の杉

慈光寺参道の杉は県の天然記念物に指定されている。


 五泉市の南端、加茂市との境にある霊峰白山。その麓に座す慈光寺(じこうじ)は、南北朝時代に後醍醐天皇を支えた楠木正成の孫、傑堂能勝(けつどうのうしょう)禅師によって、応永10年(1403)に開かれたと伝えられています。江戸時代には越後を代表する曹洞宗寺院、越後四大道場の一つとして多くの僧を輩出した、歴史ある寺です。
 樹齢300年から500年余といわれる杉並木が続く参道には、大蛇や天狗の伝説が残ることもうなずける、ひそやかで厳かな雰囲気が漂っています。

慈光寺

室町時代初期に開山した慈光寺。坐禅や写経、精進料理などの体験ができ、地域の人々に親しまれている。


慈光寺の52世住職・佐藤信雄さん

「寺に伝わる行事や伝承を、今に伝えていくのが私の役割だと思います」と、曹洞宗明白山 慈光寺の52世住職・佐藤信雄さん。

 慈光寺52世住職、佐藤信雄さんに大蛇の伝説について伺いました。
 「昔、白山の山奥に住む夫婦の大蛇が、度々大雨や洪水を引き起こして村人たちに被害を与えていたのだそうです。そこで傑堂能勝禅師は、大蛇が改心するように七日七晩説法をしました。すると大蛇は改心し、暴れることをやめました。山を下りた大蛇の一匹は海へと向かい、通った跡は滝谷川(たきやがわ)、能代川(のうだいがわ)、小阿賀野川、信濃川となり、白山神社で息絶えました。もう一匹は、蓬平(長岡市)に行きついて、高龍神社(こうりゅうじんじゃ)の御神体になったと言われています」。

 新潟県民俗学会理事・高橋郁丸さんは、「この伝説は別名、九十九曲(くじゅうくまがり)川ともいわれた、能代川独特の地形にも関係があると思います」と、指摘します。「大蛇がのたうった跡だから『のたうち川』と呼ばれ、後に『のうだいがわ』に転じたのかもしれませんね」。


 また、傑堂能勝禅師は大蛇が川筋の人々に迷惑をかけないように、中野橋・橋田・石倉・土深(いずれも五泉市)などにお地蔵様を建てたので、大蛇は川から上がれず、どんどん力がなくなり、小さな白蛇に変化していったのだそうです。

蛇枕石

本堂の前に今も残る「蛇枕石」。


 慈光寺の境内に今も残る「蛇枕石(じゃまくらいし)」は、その大蛇が説法を聞いていた場所とされています。
 さらに、大蛇伝説には後日談があります。この寺で1年に一度、7月1日に行われる大布薩(だいふさつ 自己の過ちを反省し懺悔する儀式)に、夫婦の大蛇は人間の姿を借りて訪れ、神妙に説話を聞いていたというのです。
 「大布薩が終わった後に、蛇枕石がしっとりと濡れていた、いや蛇の抜け殻が落ちていた、これは蛇が来ていたからだ、などといわれています。7月は梅雨の時期ですから、雨でぬれたんじゃないかと私は思いますがね」と、佐藤住職は笑います。

 大蛇を悪者としてだけでなく、人間のように改心や反省する心あるものと考えた、昔の人々の温かさ、おおらかさが感じられるエピソードです。

大蛇伝説に込められた意図

 大蛇伝説には、さらに深い意味が込められていると、高橋さんは言います。  「歴史は実権を握った者について伝えるものですが、伝説は庶民や敗者にも寄り添うもの。また、政治や決まりごとをわかりやすく庶民に伝える手段でもあったんですよ。」
 そうした観点から、大蛇伝説をもう一度捉え直してみます。

 白山はかつて薬師嶽(やくしだけ)と呼ばれ、山岳信仰の拠点の一つでした。大雨、洪水を免れたいと願うだけでなく、畑を潤す恵みの水を求めて、長い間、人々は水源の白山に宿る神に祈ってきました。
 こうした古来の信仰が存在する中で、室町時代初期に、一帯を治めていた神戸太郎最重(かんどたろういとしげ)が越後四大道場のひとつ、耕雲寺(村上市)から傑堂能勝禅師を招来し、慈光寺を開山したのです。新しい寺の新しい僧侶が、住民を苦しめていた大蛇を退治した。つまり、新しい宗教・曹洞宗に古来の山岳信仰を織り交ぜることで、ふたつの信仰は「敵対するのではなく共存するもの」だと人々に説明する意図が、大蛇伝説から読み取ることができます。

白山妙理大権現

菩薩様に黄金の龍がからまり、水との関連をうかがわせる白山妙理大権現。(普段は祭壇の奥に鎮座しているため、見ることはできない)

 実際に、今も慈光寺には水の神・竜神と仏教の菩薩様が一体になった「白山妙理大権現」(はくさんみょうりだいごんげん)が脇侍(きょうじ 本尊の左右に控える仏)として祀られています。
 「別に祠(ほこら)をお造りするのがいいのでしょうが、良い具合の場所がないもので、ずっとご本尊と一緒に安置しています」と、佐藤住職。この仏像は、白山信仰と曹洞宗の関連性を示しています。

 霊峰白山の豊かな水源と、その水がもたらす災いの象徴だった大蛇が、山を下り川を作りながらだんだん小さくなり、白蛇に姿を変え、白山神社で神様に。ここには、治水事業が進むことで、大蛇になぞらえられた暴れ川が人間にコントロールされていく変化もうかがえます。
 河川や湖沼の氾らんを大蛇にたとえることで、自然への畏れや警戒、または治水による克服の歴史を、話の中に息づかせることが伝説の役割だとすれば、大蛇伝説は荒唐無稽なフィクションではなく、庶民が積み重ねてきた「生活史」と言えるのかもしれません。
 



■ 取材協力
曹洞宗明白山 慈光寺 52世・佐藤信雄さん
新潟県民俗学会理事・高橋郁丸さん

■ 資料
「新潟の妖怪」高橋郁丸 考古堂 2010年

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