天領だった佐渡は、その昔、「島内で全てのものが作れる」といわれたほど、工芸や手仕事の宝庫です。中でも無名異焼(むみょういやき)は、佐渡を代表する工芸のひとつ。美術工芸品として名高い一方で、昔から佐渡の人たちの暮らしの中で愛されてきました。そんな昔の無名異焼を愛する佐渡の人たちに会いに行ってきました。

これも昔の無名異焼? モダンで美しい焼きものたち

 最初に訪れたのは、佐渡市小木にある「ござや」。昭和の面影をそのままに残す店内には、佐渡の土人形や、日常使いの急須や湯呑みと共に、ガラスの棚の中に小さな急須や水注(みずさし)、香合(こうごう)などが、まるで宝石箱のように並んでいます。「これは全て、亡くなった母が集めた無名異焼です。おいでになるお客さんから、ここは骨董屋さんですか?とよく聞かれるんですよ。」と笑う店主の中川ヨシ子さん。

 無名異焼と聞くと、赤い肌の急須や湯呑みを思い浮かべますが、「無名異焼と一言でいっても、窯や作る人によってみんな違って、釉薬にしても焼く温度にしても、自分で研究し、本当にいいものを造っていたんです。」と中川さん。どれも昔のものとは思えないほど、どこかモダンで美しいものが多くあります。

中川さんの母が好きだったという、「島窯」の無名異焼の水注(左)と急須(右)。イタリアを思わせるようなデザイン

 「ござや」はもともとがお茶屋さん。「祖父が骨董好きで、祖父はよく小さな母を連れて骨董を見に行っていたそうですし、家がお茶屋ということもあって、母も焼きものに興味があったんでしょう。今から60年ほど前に、お茶屋だけでは生活がなかなか大変だと思ったらしくて、焼きものも好きだから、それを売りたいと、無名異焼を扱いはじめたんです。」

「ござや」の中川ヨシ子さん。三人姉妹の長女で、亡き母のあとを継いでお店を守っています

 当時は佐渡に沢山の窯元があった時代。「母は窯元さんに直接お願いに行ったそうです。最初に行ったのが相川の小平窯(こへいがま)さん。一度は断られたのですが、どうしてもとお願いして卸してもらえるようになったといっていました。他に初代長浜数右エ門(ながはまかずえもん)さんや島窯さんなどにお願いに行き、特に気に入ったものは非売品にして売らずに大切に持っていましたから、よっぽど好きだったんでしょうね。」

 そのひとつが、初代長浜数右エ門の「辰砂釉(しんしゃゆう)花瓶」。「この赤い色がきれいでしょう。釉裏紅(ゆうりこう)といって、数右エ門さんの特徴なんです。」

非売品にして大切にしていたという長浜数右エ門の「辰砂釉花瓶」

 「釉裏紅」とは中国の呼称で、日本では「辰砂(しんしゃ)」ともいいます。初代長浜数右エ門は、磁器造りの盛んな朝鮮半島でも発色が難しく、根付かなかったといわれる釉裏紅を独学で徹底的に追求し、優れた作品を世に送り出した人。「初代数右エ門さんの作品は独特で、母はとても好きでしたね。」

手前が初代長浜数右エ門の「青花釉裏紅香合(せいかゆうりこうこうごう)」。後ろは初代数右エ門さんに師事したという島窯の水差し

鶴が描かれた美しい常山窯の酒器

 明治時代に無名異の焼きものを改良し、現在の無名異焼を確立した三浦常山(じょうざん)。ござやには、その初代常山が開いた常山窯の美しい酒器もありました。

 「常山窯はみんな短命で、窯は4代で終わってしまいましたが、代々それぞれに非常に才能があったそうです。二世常山は釉薬や窯の研究を極め、無名異焼を芸術の域に高めた人。三世常山の息子さんが小平窯の初代三浦小平さんで、人間国宝だった三浦小平二さんは三世常山の孫にあたるんです」。

石川さんの母が非売品にして大切にしていたという三浦小平の湯呑み

 ござやにある無名異焼の作り手や窯元は、今はほとんどなくなったといいます。「小平さんや小平二さん、初代数右エ門さん、田村吾川(ごせん)さんも亡くなって、島窯も佐渡を出て長野に移ったと聞いています。どの方も作品だけでなく、人柄も本当にいい方ばかりだったようです。」
 最近、お店に東京の人が来て、「無名異焼ってどんなものですか」と聞かれたという中川さん。「話を聞くと、その人は、東京藝大を出たという60代の海外の方とたまたま話したそうなんですね。その海外の方は、「焼きものをやりたくて、藝大に入ったら、佐渡出身の先生がいてすごく親切に指導してもらった。本当の恩師で、だから自分は佐渡の無名異焼が大好きなんだ」と言っていたそうなんです。
 それはきっと藝大で教えていた三浦小平二さんで、うちには小平二さんのお父さんがつくった蘭の湯呑みがあるよと見せたら、じっと見て、欲しいと言うんです。僕がまた、その海外の方にまた会えるかは分からないけれど、これを買ったので、僕はこれから一生懸命働きますって。ご縁って本当に不思議だなと思いました。」

参考文献/
数右エ門作品集出版委員会/『陶工数エ門』(青丘文化社、1998年)
相川町商工会/無名異焼

昔の人はすごい技術を持っていた

 次に訪れたのは、佐渡市河原田にある「ギャラリーいとう」。最初に「これは本当にいいものだから」と見せていただいたのは、無名異焼の人間国宝・三浦小平二さんと五代伊藤赤水(現:伊藤赤儘(せきじん))さんの作品。店主の伊藤修さんは、芸術品といわれる作品から、一人の作り手の変遷が分かる時代ごとの作品や、普段使いの湯呑みまで、今までに2,000点以上の無名異焼を集めたといいます。

 「父親が焼きもの好きだった影響もあって、最初は九谷焼を集めていたんですが、やっぱり佐渡のものがいいと思ってね。集め始めてもう40年以上になります。全てとはいわないけれど、昔から今に至るまでの無名異焼の作り手のものはほぼ集めました。」

店主の伊藤修さんはオーディオメーカーの元・サービスエンジニア。小さな店の中は、ほぼ全て無名異焼で埋め尽くされています。

最初に見せていただいた、三浦小平二さんの青磁と、五代伊藤赤水さんの無名異窯変壺

 膨大な数の無名異焼を見てきた伊藤さんに、好きな作り手は?と聞くと、初代長浜数右エ門さん、田村吾川さんだといいます。「どちらも仲良くさせてもらったというのもありますが、やっぱり初代数右エ門は全く違って、作りが本当にうまいんです。田村吾川も私は好きですね。」

釉裏紅が特徴の数右エ門さんの水注

田村吾川さんの茶椀

「これは珍しいものだよ」という、金山で働く人たちを描いた数右エ門さんの大皿。非売品

 昔のものと今のものでは、やはり少し違うと伊藤さん。「手に持つと分かりますが、例えば同じ窯の同じ赤焼でも、昔のものは薄くて軽い。今のものは昔と比べると少し厚いんです。今の人は手が大きいからね。昔の人は体も手も小さかったこともありますが、ろくろ目にしても、急須や水滴の口の小ささや仕事の細かさを見ても、すごい技術を持っていて、みんな真面目にやっとったなあと思いますよ。」

 高齢化などにより、無名異焼も、作り手や窯がどんどん少なくなっているという伊藤さん。「このままでは無名異焼がなくなってしまうんじゃないかと心配になることもあります。でも、私は佐渡独自の焼きものである無名異焼を、大事にしていきたいなあと思っているんですよ。」と話してくれました。

無名異の赤色をそのままに焼いた赤焼きの水滴(すいてき)。「小さな口やろくろ目を見ても仕事の丁寧さが分かるでしょう」と伊藤さん

金銀山から生まれ、佐渡の文化が育てた無名異焼

 無名異焼が生まれたのは、金銀山で栄えた相川の町。その昔、4キロ四方ほどの狭い相川の町には4万人もの人が住み、京の西陣織をはじめとする多くの物資が陸揚げされ、その中に遠い西国から運ばれてきた唐津焼や伊万里焼などもあったといいます。京や大坂、堺、近江など多くの商人(あきんど)が訪れ、「京・大坂にもなきにぎわい」と「慶長見聞録」に記されています。
 無名異という名前は、中国の漢方薬の名前が由来といわれます。金銀山から出る酸化鉄を含むこの赤土を、最初に掘り出したのは、奈良の飛鳥に近い高取町(たかとりちょう)からきた古川平助(ふるかわへいすけ)という侍の子孫。最初は止血剤などに使われていたそうですが、やがて焼きものの原料となり、それに刺激された伊藤赤水の遠い先祖などが、南画風の絵付けの美しい楽焼きを作り始めたといわれます。
 明治時代に入ると、もともとは国産方世話係※などをしていた三浦常山たちが、将来の町づくりを考え、それまでの質のもろい無名異の焼きものを、中国・江蘇省宜興窯(ぎこうよう)で明の時代から造られてきた朱紫泥(しゅしでい)焼のような丈夫な焼物にしようと努力を重ね、高温で硬質に焼成する現在の無名異焼を完成させました。
 無名異という土をいかし、伝統的な技法をもとに、作り手たちが独自の創意や工夫を加えた、それぞれ個性あふれる美しい無名異焼は、三浦小平二氏、そして五代伊藤赤水氏と2人の人間国宝を輩出し、国の重要無形文化財に指定されています。

※国産方世話係(こくさんかたせわがかり):国産方とは江戸時代の領内特産物を扱う役所や役人のこと。

無名異焼が生まれた相川で人間国宝の作品を見る

◎伊藤赤水作品館
 相川の町を尖閣湾方面へ、車で5分ほど走らせた海沿いの高台に建つ伊藤赤水作品館。ここでは人間国宝である五代伊藤赤水、そして六代伊藤赤水の作品だけでなく、初代から四代までの作品を見ることができるギャラリーがあります。初代から代々それぞれに違う作品はとても見応えがあり、昔の無名異焼を学ぶきっかけにもなります。(入場無料)


○新潟県佐渡市下相川808-3  0259-74-0011
https://itousekisui.com

◎ 三浦小平二、小さな美術館

 相川の町の中にある小平窯。ここには人間国宝・三浦小平二の作品を展示したギャラリーがあります。本当に小さなギャラリーですが、作品に囲まれる空間には椅子や資料もあるため、ゆっくりと鑑賞することができます。(入場無料)

○新潟県佐渡市相川羽田町10 0259-74-2064

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