古代から現代まで、新潟の地形を形成し、暮らしを翻弄(ほんろう)し、豊かな恵みをもたらしてきた日本一の大河・信濃川。新潟市の歴史は水とのたたかいと共生の歴史であり、北前船(きたまえぶね)の寄港地や開港5港にも選ばれたみなとまちとして栄えてきた歴史でもあります。そんな先人たちが築いてきたドラマチックな軌跡は、現代でも実は身近なところで体感することができます。みなとまち新潟の今と昔を、楽しく「学び」「体感」させてくれる人や、その魅力を「編集・発信」する人たちに会いに行ってきました。

水との共生とたたかいの歴史を知る「学び」のワンダーランド『新潟市歴史博物館みなとぴあ』

信濃川河口のほとりに壮麗(そうれい)な佇(たたず)まいが際立つ、新潟市歴史博物館みなとぴあ。ここはみなとまち新潟の歴史と文化を学ぶことができる施設で、「郷土の水と人々の歩み」をテーマとした常設展を行っています。

新潟市歴史博物館みなとぴあ

「1万年以上前、新潟は内陸に入江が広がるような湿地帯でした。そこに信濃川と阿賀野川が大量の土砂を運んできて埋め立て、砂丘が海岸線に沿っていくつもできて人々の活動の場になっていったんです」

信濃川と阿賀野川の全ての流域を捉えた地形模型を前に、案内をしてくださったのは副館長の小林隆幸(こばやし たかゆき)さん。平成16年(2004)のみなとぴあ誕生時から勤めているエキスパートです。

みなとぴあ副館長の小林さん

日本最大規模といわれている砂丘が形成され、砂丘に集落と畑を、低地に田んぼを作り、残った水面が潟(かた)になった新潟。館内では古代から現代までの新潟の風土や風俗の変遷(へんせん)を、豊富なパネルや貴重な当時の資料、復元模型などの展示物を用いて、分かりやすくかつ詳細に紹介しています。

常設展で最初に出迎えてくれる、光の演出で信濃川・阿賀野川流域の変遷を学べるジオラマ

越後平野は、江戸時代の中頃まで阿賀野川と信濃川が合流して河口が一つだったこともあり、川の水が集中し、大雨が降るたびに平野に洪水が起こる大きな課題がありました。同時に日本海を使った海運と河川交通を使った舟運(しゅううん)に非常に適した立地でもあり、「水の恩恵を受けながら湊(みなと)として発展してきた歴史と、水とたたかいながら水田開発をしてきたという、2つの歴史があることになります」と小林さん。

「水の恩恵」を語る上で欠かせないのが、湊の繁栄。その象徴となる展示が、新潟湊から年貢米を江戸と大坂(現在の大阪)に運んでいる様子を描いた「白山神社大船絵馬(はくさんじんじゃおおふなえま)」(複製)です。その新潟湊には、江戸時代中期から明治時代にかけて北海道と大坂を日本海まわりで結んでいた数多くの北前船が寄港していました。

「大船絵馬」手前が新潟、左奥が大坂、右奥が江戸。「みなと」は主に、江戸時代までが「湊」、明治以降「港」と表記されるようです。

現存する湊稲荷神社(みなといなりじんじゃ)や新潟湊の目印となっていた松も描かれています。

北前船として活躍した弁才船(べざいせん)の模型(10分の1サイズ)

江戸時代の絵図をもとに空から見下ろしたように描かれた鳥瞰図(ちょうかんず)からは、街並み全体が信濃川の流れに並行して弓形に湾曲して作られていることが一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。

「通りから同じ距離で川にアクセスできるようになっています。まちの骨格は江戸時代のまま、今も変わっていません」(小林さん)

現在では埋められてしまった堀や川の一部も、その跡に敷かれた道路は同じ形であり、現在もまちなかに江戸時代の面影を見ることができます。

幕末期に外国船を受け入れる開港5港のうちの1つに選ばれた新潟は、近代的な港を作るために沼垂町(ぬったりまち)と合併し、船が停泊し荷降ろしをするための埠頭(ふとう)を沼垂側に建設。さらに昭和6年(1931)には上越線が全線開通したことで港と鉄道が接続し、交通網が発達していきました。

「新潟湊之真景(にいがたみなとのしんけい)」新潟が開港5港の1つに選ばれた翌年、安政6年(1859)に描かれたもの。初めて新潟に来港した外国船の様子です。

「第二次世界大戦中は、新潟は大陸への玄関口として重要でした。特に満州方面へ東京から最短で行けたのは新潟。豪華客船も就航していました」(小林さん)

新潟湊から新潟港へ。時代の変遷とともにその役割を移していったみなとまち新潟。その歴史を色濃く残す街並みを体感するべく、実際にまちを歩いてみましょう。

『シティガイド』と歩いて「体感」、北前船と開港の足跡を辿るみなとまち新潟

「信濃川は江戸時代と比べて川幅が狭くなっています。それは流れてきた土砂が堆積してきたせいで、あの船が土砂を取り除いてくれている浚渫船(しゅんせつせん)『白山(はくさん)』です。そのままにすると砂で河口が埋まってしまうんです」と、みなとぴあを望むように信濃川に停泊している船を紹介してくれたのは、小野塚昭美(おのづか あきみ)さん。みなとまち新潟の魅力をまち歩きをしながら紹介する団体「新潟シティガイド」の代表です。

小野塚さんはガイド歴15年のベテラン。新潟シティガイドは、スポットの特徴を押さえつつもガイドごとに異なる個性あふれる案内が魅力。「まち歩きガイドはライブです。私は歴史だけではなく、その時々の時事ネタも織り交ぜながらご紹介しています」

信濃川河口に溜まった土砂を取り除く大型浚渫船「白山」。

小野塚さんがまず案内してくれたのが、みなとぴあの敷地内にある石段。これは地中に埋もれてしまっていた江戸時代の荷揚げ場を復元したもので、当時の信濃川の河岸がこの位置にあったこと、そして土砂の蓄積で川幅が狭まったことを物語っています。

その奥に佇む洋風の建築は、旧新潟税関庁舎。開港5港のうち現存する唯一の税関庁舎で国指定重要文化財になっています。

荷揚げ場を復元した石段と旧新潟税関庁舎。「国指定重要文化財はみなとまち新潟に3つあります。他の2つはなんでしょう?」と小野塚さんから突然のクイズ。正解は萬代橋(ばんだいばし)と県政記念館です。

小野塚さんの軽快なトークに導かれながらみなとぴあを後にして、いよいよみなとまちとして栄えた新潟島側の信濃川河口流域・下町(しもまち)エリアへ出発です。

かつて新潟島に縦横に張り巡らされていた新潟の堀。現在は復元した早川堀(はやかわぼり)と風に揺れる柳が当時の風情を今に伝えます。

路地をスイスイと抜けながら小野塚さんが案内してくれたスポットは、みなとまちならではのエピソードを持つ神社やお寺の数々。知るほどに、新潟の水と暮らしの密接さが肌で感じられます。

【湊稲荷神社】
回る狛犬(こまいぬ)で知られる神社。「芸妓(げいぎ)や遊女がよく訪れていた神社です。新潟の人たちは決まって西の方向に狛犬を向けて、しけでお客さんが新潟に留まることをお祈りしていたそうです」

【金刀比羅(ことひら)神社】
江戸時代、船で荷物を運ぶ廻船業(かいせんぎょう)を営んでいた鈴木弥五左ェ門(すずきやござえもん)所有の船が出雲(いずも)の国で難破した際に、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)が海を鎮めて新潟に戻れたことから建てた神社。当時のエピソードを彫刻で伝える絵馬が飾られています。

【願隨寺(がんずいじ)】
開港5港で新潟港が開かれた時に、接待所として外国人をもてなした場所。初代新潟奉行の川村修就(かわむらながたか)が防砂林(ぼうさりん)として26,000本の松の苗木を植えた様子「新潟海浜松苗木植付場所図(にいがたかいひんまつなえぎうえつけばしょず)(新潟市歴史博物館みなとぴあ蔵)」にも願隨寺が描かれています。

【開運稲荷神社(かいうんいなりじんじゃ)】

開運稲荷神社の境内に鎮座しているのは、狛犬ならぬ狛狐(こまぎつね)。北前船で新潟から米を運んだ船が、帰りに積んできた出雲の石からできています。

【入舟地蔵尊(いりふねじぞうそん)】
佐渡から新潟に向かう船に乗ろうとしたみすぼらしい僧侶の乗船を拒否したところ、船が動かなくなりました。僧侶の乗船を許可すると船が動き、新潟に着いた時には彼が座っていた場所にお地蔵様がいたという伝説に由来する寺院です。

【吉祥院(きっしょういん)】 江戸末期から北洋漁業を展開して財をなし、新潟鮮魚問屋(現在の新潟中央水産市場)を設立した片桐家のお寺です。

吉祥院の魚籃観音(ぎょらんかんのん)は手に鮭が入っている手提げを持っています。

日和山展望台(ひよりやまてんぼうだい)。天気が良いと粟島(あわしま)や佐渡島(さどがしま)を一望できます。

さぁ、下町まち歩きもいよいよ終盤。北前船の廻船問屋として財を成した新潟を代表する商家の1つ、小澤家(おざわけ)の店舗兼住宅「旧小澤家住宅」へ向かいます。

「小澤家は近郷の農家が持ち込む米の売買の仲立ちから始まり、時代の変化とともに事業を展開。明治期には北前船による廻船業も行い、海運が石油を使う蒸気船に移るとタンクローリーで石油を運ぶ商売へと変わっていきました」(小野塚さん)

雨や雪をよけるため、屋根や2階部分を外側に大きく張り出したせがい造りや窓付き雨戸、店舗のすぐ奥の部屋が仏間になっているなど、新潟の町屋の典型的な造りを見ることができる旧小澤家住宅。偉人の書やレトロなタイル使い、美しい庭園、重厚な蔵など、隅々まで見応えがありました。

▼新潟の町屋の特徴は、別の特集記事でも紹介しているので、あわせてご覧ください。

file-110 歴史を感じながら、新潟の町屋巡り(前編)

 

そして今回のまち歩きのゴール、日和山へ到着。日和山とは江戸時代に船の出航の判断をするために天気の予測をしたり安全祈願を行った場所を指します。頂(いただき)に海の神様を祀(まつ)る住吉神社(すみよしじんじゃ)、そしてその途中にはカフェがあります。

カフェ「日和山五合目」とそのさらに登ったところに鎮座する住吉神社。「全国に日和山はありますが、日和山の条件になる『住吉神社』、方角を知るための目印である『方角石(ほうがくいし)』、『日和の松(ひよりのまつ)』が揃うところは現在全国でもあまりありません」(小野塚さん)

まちの建物は変わっても、この場所から昔の人たちも街並みや山や海を見晴らしていたのかと思うと、歴史が地続きに繋がっている実感が湧いてきます。

各スポットの紹介に加え、通りかかった公園にかつてあった、関税をかけるために回船が取引した商品を確認した場所・番所(ばんしょ)の話、下町出身の歌手・小林幸子さんのエピソードや下町のおすすめスイーツ…歴史だけに留まらない小野塚さんの多彩で軽妙なトークに、あっという間の1時間半のツアーでした。

新潟の身近な路地に息づく今昔に光を当て丁寧に「編集・発信」する

住吉神社で参拝をしたら、日和山の中腹にあるカフェ「日和山五合目」へ。ここで新潟のまち歩きのパイオニアである野内隆裕(のうち たかひろ)さんが出迎えてくれました。

野内さんは、まち歩きグループ「路地連新潟(ろじれんにいがた)」代表で新潟シティガイドの立ち上げ時にガイド養成にも携わった人物。この日和山五合目の館長でもあります。

下町出身の野内さん。平成10年(1998)頃からみなとまち新潟のスポットや路地を発信する、新潟のまち歩きの第一人者です。メディアにも多数出演し、地元の小学校への出前授業も毎年実施しています。

これまでに、野内さんは下町の歴史を紹介するマップや案内板を新潟市とタッグを組んで作成。「新潟の楽しさを伝えたいんです。民間と行政が連携して地図と案内板を作り、路地を案内するガイドもいることから、新潟は全国でも路地を巡る先進地といわれています」(野内さん)

日和山を紹介する案内看板。この日巡ったスポットなど、下町には新潟市が野内さんと作った案内看板がいくつも点在しています。

「白山神社(はくさんじんじゃ)や、日和山など『みなとまち新潟』を感じるスポットはたくさんあります」と、注目されていなかった日和山の整備にも関わった野内さん。日和山五合目では、おいしいハンドドリップコーヒーを飲みながら、日和山の風景や新潟の歴史を楽しむ事が出来ます。

まち歩きで通る路地は、一見すると無機質な道に見えるかもしれません。しかしみなとぴあの小林さんや野内さんの話を聞いたり、小野塚さんと歩いたりするほどに、全く違う色鮮やかな景色へと変貌します。

下町の路地では猫に出会えることも多く、動物写真家の岩合光昭(いわごう みつあき)さんが訪れたこともあるそうです。

日常に息づく路地になぜ、野内さんは魅力を見出したのでしょうか。

「国内外様々な都市で路地に花が植えられている様子を見てきて、路地には花を愛でる人の風景、人の心が表に出るものだなと気づいたんです。江戸時代は長屋に住んでいた人たちが路地にホオズキや朝顔を育てて町人文化が花咲きました。町民の文化は路地にあり、それが時代の魅力の源流になっているんです」(野内さん)

小林さん、小野塚さん、野内さん、それぞれの立場と知識からみなとまち新潟を教えていただいた中で、印象的だったのが、みなさんとても楽しそうに、そして新潟の歴史に誇りと確かな価値を感じて生き生きと語られている姿でした。

「みなとぴあ」という施設、「シティガイド」という仕組み、そして「地図・案内板」というアイテム。これらはまさにみなとまち新潟を知る三種の神器とも言える存在です。そして現在進行形で、みなとまち新潟の歴史を今に伝えるものが生まれています。

それが漫画『りゅうとあまがみ』(KADOKAWA 刊)です。

令和7年(2025)12月に第1巻が出版された『りゅうとあまがみ』。現在漫画サイト/漫画アプリ「カドコミ」にて好評連載中です。

英国少女が父の仕事の都合で暮らすことになった明治時代の新潟で、日本料理のおいしさや新潟のまちの魅力を知っていく物語です。著者の角丸柴朗(かどまる しろう)さんはみなとぴあに何度も足を運び、楽しみながら情報を集め作品に反映しているそうです。

いにしえの新潟を伝える人、案内する人、編集・発信する人、そして新たなクリエイターをも魅了するみなとまち新潟のまち並みに、あなたも飛び込んでみませんか?

その際はぜひ、今回ご紹介した施設や団体、アイテムを活用してみてください。新潟の時間旅行を楽しむ頼もしくもユニークな道標(みちしるべ)になるはずです。

 

取材協力:

新潟市歴史博物館みなとぴあ

新潟シティガイド

日和山五合目

 

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