第40回 牛対牛、牛対人の2つのハイライトで魅了する「おぢや牛の角突き」

 国指定重要無形民俗文化財である「牛の角突きの習俗」。牛と牛が競う競技は、岩手県や鹿児島県、沖縄県など全国にその風習が残っており、地域によって「闘牛」「牛突き」「牛の角突き」など言い方も様々ですが、重要無形民俗文化財に指定されているのは新潟県の「牛の角突き」のみです。

 新潟の牛の角突きは小千谷市と長岡市(山古志)の隣接する地域でそれぞれ開催されており、先日訪れたのは、お盆場所が行われた小千谷市の「おぢや牛の角突き」です。

受付ではプログラムやうちわなどが配られました

受付ではプログラムやうちわなどが配られました

闘牛場はすり鉢状になっています

闘牛場はすり鉢状になっています

 会場は小千谷市の東山地区にある小千谷闘牛場です。駐車場に入ると、まず目に付くのが3色の綱がかかった大きな岩。この岩は平成16年(2004)10月23日の新潟県中越大震災の当日に2つに割れてしまったそうです。地震当時角突き牛を命がけで守った闘牛会のメンバーは、厄難から市民を見守ってほしいという願いを込めて、面綱(おもづな、角突き牛が頭に付ける化粧回し)をこの岩にかけました。公募で「みまもり岩」と名付けられたこの岩は地域の復興のシンボルとして、今日も牛の角突き、そして地域住民の皆様の無事を見守っているようです。

「みまもり岩」はまるで巨大な牛のようです

「みまもり岩」はまるで巨大な牛のようです

 角突きが開催される日は屋台が出て、飲食やグッズの販売なども行われます。この日は地元産のそば粉を使い、魚沼地方の伝統である海藻「布海苔(ふのり)」をつなぎに使用した「金倉(かなくら)そば」なども販売されていました。海藻を使用することで、つるつるとした食感になるのが特徴です。濃いめのダシは酷暑の屋外で塩分補給にもなり、美味しくいただきました。

金倉そばは大人気で、すぐに売り切れになっていました

金倉そばは大人気で、すぐに売り切れになっていました

 12時になるといよいよ取り組みの開始です。今日の取り組みは全部で17番。この取り組みは出場する牛の年齢、技量、体調、格、過去の戦績、そして牛持ち(牛の持ち主)の要望を考慮し慎重に審議され決定しますが、角突き開催日の取り組み前に正式に取り組みが発表され、角突きの際に牛持ちと牛を応援する役割の勢子(せこ)の拍手をもって確定となります。

お盆場所の取り組み表がこちらです

お盆場所の取り組み表がこちらです

取り組みを成立させるため勢子達が拍手を送ります

取り組みを成立させるため勢子達が拍手を送ります

 対戦する牛の名前が読み上げられると土俵入りとなります。牛と勢子はお神酒で身を清められ、面綱を付けた牛は「ヨシター!」の掛け声とともに入場してきます。この「ヨシター!」という掛け声は「頑張れ」「よくやった」という意味があり、取り組みの最中も勢子達は絶妙なタイミングで声を出し、牛を勢いづけます。対戦する牛が双方入場すると、時計周りに場内を周ります。中央で見合った状態を作り、呼吸が合ったところで、牛の右側に立った勢子が、鼻綱(はなぎ、牛の鼻に通した綱)を同時に抜き取り、上空に高く放り上げます。これが角突き開始の合図となります。

闘牛場に入場する闘牛

闘牛場に入場する闘牛

両手を打ち鳴らし、広げながら「ヨシター」の掛け声をかける勢子

両手を打ち鳴らし、広げながら「ヨシター」の掛け声をかける勢子

激しく角を突き合わせる牛と、牛を見守る勢子達

激しく角を突き合わせる牛と、牛を見守る勢子達

 勢子の威勢のよい掛け声に牛たちは勢いよくぶつかります。闘い方にも個性があり、先手必勝とばかりに攻撃を仕掛ける速攻型の牛もいれば、相手の攻撃を首などで受け流して持久戦に持ち込む牛、相手を下からすくい上げて顔が上がった所で一気に攻め込む牛など、実に多彩な闘い方があります。そして牛同士がぶつかり合う低く鈍い音や、角が合わさった時の甲高い音などが、これが闘いであることを思い出させます。

迫力のある牛のぶつかりあい

迫力のある牛のぶつかりあい

勢子たちも果敢に牛を鼓舞します

勢子たちも果敢に牛を鼓舞します

観客も固唾を呑んで見守ります

観客も固唾を呑んで見守ります

 そして、新潟の牛の角突きの最大の特徴とも言えるのが、勝敗を付けない「引き分け」で取り組みを終わらせる所です。これは家族同様に暮らしてきた牛を傷付けないため、また負けてしまった牛が角突きへの意欲を無くさないようにするためなど、様々な理由があるようです。万が一牛が怪我をした場合に備え獣医さんも常駐しているそうですが、今まさに闘いを繰り広げる興奮状態の牛に「終了」と合図した所で、ピタッと動きが止まるわけがありません。そこで、牛の角突きの最大の見せ場でもある「引き分け」が勢子によって行われます。

 「引き分け」が見せ場と言われるのは、それがまさに命懸けの場面だからです。引き分けのタイミングは勢子長と呼ばれる勢子の責任者が判断します。勢子長が片手を上げると引き分けの合図です。まずは「綱かけ」と呼ばれる役割の勢子が「足掛け綱」と呼ばれる綱を牛の後ろ足に引っ掛けます。目にも止まらぬ速さで縄をかけていきますが、勢いのついた牛の足に縄をかけるわけですから、まさに危険と隣り合わせです。牛の足に縄をかけたら縄を引っ張り牛の動きを止めに入ります。この時も興奮状態の牛が場内を駆け回り、綱ごと引きずられてしまうことも。ある程度牛の動きが止まったら「鼻とり」と呼ばれる役割の勢子が、牛の急所である鼻の穴に指を差し込んでおとなしくさせます。鼻の穴をつかまれた牛は、先程までの興奮が嘘のようにおとなしくなります。事前に場内のアナウンスで「牛の角突きの見どころは『牛対牛』であり、『牛対人』でもあります。勢子の雄姿を是非ご覧ください。」と説明があった理由がわかります。

立派に闘い抜いた牛を勢子たちが引き分けます

立派に闘い抜いた牛を勢子たちが引き分けます

興奮冷めやらず、しばらく闘牛場内を走り回る牛もいました

興奮冷めやらず、しばらく闘牛場内を走り回る牛もいました

 また、勝敗は付けないものの、長年にわたり取り組みの上位に位置し挑戦の受け方にも堂々とした風格がある牛は「横綱牛」と呼ばれ、番付も必然的に後半になります。特に終わりの3試合に関しては「終(しま)い三番」と呼ばれ、この終い三番で闘えるようになることが勢子や牛持ちの目標なのだそうです。

終い三番の試合に登場する牛は風格も迫力も別格です

終い三番の試合に登場する牛は風格も迫力も別格です

 小千谷の牛の角突きの特徴といえばもうひとつ。全国でも唯一と言われている闘牛がいる小学校、小千谷市立東山小学校の児童たちが世話をする牛太郎が出場していること。牛太郎は現在4代目で、日頃から児童たちが餌やりやトイレの片付けなどの世話をしています。この日も、自分たちで牛太郎を曳いて入場させます。このように小さい頃から牛に慣れ親しむことで牛や角突きに対する愛情が育まれ、次世代の担い手が育っていくのでしょうか。実際若い勢子さんが多い印象を受けました。

牛太郎の試合を見守る東山小学校の児童たち

牛太郎の試合を見守る東山小学校の児童たち

 途中の休憩時間にはお楽しみ抽選会もあり、終わってみればあっという間の17組の取り組みでした。角突きの終了後に小千谷闘牛振興協議会の実行委員長、平澤隆一さんにお話を伺うことができました。平澤さんは牛太郎を含め、共同牛舎の牛を育成する、育てのプロでもあります。特に牛太郎は初代からもう20年お世話をされているそうです。小千谷の闘牛の90~95%は岩手を含む東北地方から来た南部牛だそうで、元々は南部鉄を運んできた牛が農耕牛として地域に根付き、娯楽として角を突き合わせるようになったのが始まりとのことです。

小千谷闘牛振興協議会の実行委員長、平澤隆一さん

小千谷闘牛振興協議会の実行委員長、平澤隆一さん

 牛の生育者でもあり、勢子でもある平澤さんは、牛の散歩途中に他の角突き牛に会えば「少しやるか」という感じで軽く練習をすることもあるのだそう。とはいえ、実は小千谷の牛の角突きも後継者不足だと言います。勢子の技は手取り足取り丁寧に教えられるものではなく、実践を積むことで覚えるしかないため、昔は地元の人達が親から受け継ぐ形で角突きに携わることが多かったそうですが、今は外部から後継者を募集し、場所が行われるたびに小千谷にやってきて勢子やスタッフを務める方もいらっしゃるのだそうです。

牛の角突きについての説明書きがありました

牛の角突きについての説明書きがありました

 古くは滝沢馬琴(ばきん)の「南総里見八犬伝」にもその記載があり、地域の方々の手により今日まで受け継がれてきた歴史ある牛の角突き。年内は千秋楽を残すのみとなりましたが、一度は生でその迫力を体験してみてください。

令和5年(2023)「おぢや 牛の角突き」開催日
11月5日(日)千秋楽

関連リンク

小千谷闘牛振興協議会
〒947-0028
小千谷市城内1丁目13番20号(小千谷市にぎわい交流課内)
TEL 0258-83-3512

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