旧長谷川家住宅
旧長谷川家住宅

file-164 重要文化財「旧長谷川家住宅」を修復し次代につなぐ(前編)

 新潟県内には令和5年(2023)9月1日時点で、国指定の文化財が200件あります。文化財を次の世代に受け継いでいくためには日々の維持管理、そして周期的な修繕が必要になります。長岡市塚野山にある国指定の重要文化財である「旧長谷川家住宅」(長谷川邸)では、令和3年(2021)7月から、主屋の茅葺屋根全面の葺き替え工事を実施しており、今年は工事の最終年度にあたります。

江戸時代初期に庄屋「長谷川家」が誕生

長谷川家歴代当主長谷川家歴代当主(画像提供:長岡市立科学博物館)

 長谷川家が新潟の歴史に登場するのは江戸時代初期の1600年代前半。長谷川善助(ぜんすけ)が長谷川家で初めて庄屋となります。「庄屋」とは、江戸時代に村の行政を担当した村役人であり、現代でいう村長のような役割を担っていました。
 長岡市立科学博物館の新田康則さんによると、長谷川家は善助よりも前の代から塚野山で暮らしていたと推測されるが、詳しい記録が残っていないとのこと。恐らく善助の先祖も地主として村のために尽くしており、そうした長谷川家の村への貢献と善助の功績が認められて庄屋に任命されたのではないかとのことです。長谷川家の系図や、庄屋としての記録は善助の代から残っているので、現在、旧長谷川家住宅の展示では善助が庄屋・長谷川家の初代当主として紹介されています。

宝永3年(1706)に火災にて焼失した建物を正徳6年(1716)に再建

(左)貞享5年(1688)の絵図に描かれた長谷川家住宅 (右)上記絵図を明治9年(1876)に写し書いたもの(左)貞享5年(1688)の絵図に描かれた長谷川家住宅 (画像提供:長岡市立科学博物館)
(右)上記絵図を明治9年(1876)に写し書いたもの(画像提供:長岡市立科学博物館)
※長谷川家住宅の位置を示す矢印はこちらで付け足したもの。

 江戸時代、塚野山では4度の大規模な火災がありました。長谷川家の主屋は、4代目当主・市郎右衛門矩久(いちろううえもんのりひさ(※「かねひさ」と読む説もあり))の代の宝永3年(1706)の2度目の大火で焼失。正徳6年(1716)に再建されたと伝えられています。
 現存するものとして日本十指に入ると言われる立派な茅葺屋根が特徴の旧長谷川家住宅ですが、当時は身分によって建築に制限があり、庄屋であっても瓦葺きやこけら葺き(柿葺き)の屋根を作ることや畳の部屋を作ることが制限されていました。正徳6年(1716)の再建時に、火災対策として建物の周りに濠を作ることができなかったことも、身分による制限があったためと考えられています。しかし、それから約90年後、7代目当主・市郎左衛門久義(いちろうざえもんひさよし)が大庄屋という最上級の村役人になると、享和2年(1802)に濠と土塁を作ることが許されました。

明治期になり建物の増築が行われる

増築後の主屋増築後の主屋(画像提供:長岡市立科学博物館)

 庄屋の家は、村役場の役割も担っており、立派な広間や茶の間はその表れでもありますが、畳敷きの座敷は代官所や藩の役人を通すための部屋で、自由には使えないなど様々な苦労があったことが推察されます。また、雪国であるにもかかわらず長谷川家の家屋は構造的に雪が溜まりやすい形状になっており、機能面で「もう少し工夫できたのでは?」と思える形をしているそうです。その理由はわかりませんが、当時は庄屋という立場で財力も動員力もあり、人々が集まって雪おろしをしたので、雪じまい(積もった雪の処理)に難のある屋根の形状でもよかったのだと考えられています。
 江戸時代は身分により建物の増築に制限がありましたが、明治時代になると制限がなくなったため増築が進み、それに合わせて屋根も雪じまいしやすい形に整えられていきました。

昭和57年(1982)に重要文化財に指定。建物を減築し江戸時代の姿に戻る

 12代当主の正也さんは、昭和55年(1980)に住宅を旧越路町(現長岡市)に譲渡し、その後、昭和57年(1982)に旧長谷川家住宅の主屋、表門、井籠蔵(せいろうぐら)、帳蔵(ちょうぐら)、新蔵(しんぐら)などが国の重要文化財に指定されました。平成3年(1991)には新座敷も追加で指定を受けます。
 重要文化財の建造物の保存・修理では、建設当時の姿に戻す場合があります。旧長谷川家住宅の主屋も、昭和59年(1984)10月から平成元年(1989)12月まで約5年の歳月をかけて、保存修理工事を行いました。その際に、明治期以降に増築した部分を減築し、大火後の再建当時の姿に戻しています。

2度の災害を乗り越え耐震化を図る

 保存修理工事により、再建当時の姿を取り戻した旧長谷川家住宅ですが、平成16年(2004)に発生した「新潟県中越大震災」の際、地盤の液状化により主屋が傾き、柱や梁などが折れ、土壁にも大きな亀裂や剥落が生じるなど、多大な被害を受けました。主屋以外の建物の被害も大きく、特にほとんど全ての漆喰壁が脱落した井籠蔵の姿は大きく報道されました。

被災した主屋被災した主屋(画像提供:長岡市立科学博物館)

被災した井籠蔵被災した井籠蔵(画像提供:長岡市立科学博物館)

 旧長谷川家住宅では、平成17年(2005)から災害復旧工事を行っていましたが、平成19年(2007)に「新潟県中越沖地震」が発生し、再度被災してしまいます。地震の発生が週末で工事が休みだったため、人的被害が出なかったのは不幸中の幸いでしたが、新田さんは「被災状況をみて、さすがに心が折れそうになりました。」と振り返ります。
 再度の被災により工期は半年延び、災害復旧工事は平成21年(2009)3月までかかりました。災害復旧工事では、新潟県中越大震災による地盤の液状化で建物が傾き、破損が生じたため、主屋の内外に杭を打設し、耐圧版(ベタ基礎)を設置して耐震化を図りました。地中にコンクリートの大きな箱を作って、この上に建物が建っていると考えるとイメージしやすいかもしれません。普段は全く見えませんが、文字通り「縁の下の力持ち」です。耐圧版を地中に埋めるために、建物を2mほど持ち上げて作業を行いました。これは、揚屋(あげや)と呼ばれるもので、あの大きな主屋が浮いているのは圧巻だったそうです。

揚屋をしている様子揚屋をしている様子(画像提供:長岡市立科学博物館)

文化財を保存していくということ

 今回の修理で主任技術者を務める「公益財団法人文化財建造物保存技術協会」の小嶋はるかさんにお話を伺いました。

旧長谷川家住宅の今回の修復で主任技術者を務める小嶋はるかさん旧長谷川家住宅の今回の修復で主任技術者を務める小嶋はるかさん

 国宝や国の重要文化財建造物の保存修理工事では、単に保存・修理を行うだけではなく、歴史的価値や構造をそのまま残し、伝統技法等の知識を持って施工する必要があります。また、国の補助金を受けて修理を行う場合には、文化庁が認定した「主任技術者」が携わることが交付の条件となっています。
 主任技術者は文化財それぞれの構法や技法を施工会社に指導しながら、設計・監理などを行います。文化財によっては過去の資料が乏しく、どのような技術や材料が使われているか分かっていない場合もあり、そのような文化財に関しては解体あるいは半解体しながら調査を行うことも業務の一つです。旧長谷川家住宅の場合は、過去に2度大きな工事を行っているので、その時の報告書を元に設計・監理を行っています。
 今回の保存修理で行った屋根の茅葺きも、地域によって技法が異なります。小嶋さんによると、例えば関東以西では茅を押さえるために竹を使うことが多いのですが、長岡地域は竹が入手しにくい地域だったため、旧長谷川家住宅では茅を押さえるために雑木を使っているとのこと。竹と違い雑木はまっすぐではないので、押さえるための技術と手間が必要です。今回の工事でも建設当時と同様に、雑木を使用して茅を押さえていますが、これには職人さんも苦労したそうです。また、軒下の一部にオガラ(麻の茎)を使用するのもこの地域の特徴です。このように、文化財それぞれの伝統技術を正確に継承することが、主任技術者の役割だといいます。

竹ではなく雑木で茅を押さえている様子竹ではなく雑木で茅を押さえている様子

 また、下の層の茅は傷んでいないものもあり、再利用することも、文化財を継承するためには重要なことだといいます。旧長谷川家住宅はかなり厚みのある屋根だったため、かなりの量の茅を再利用しているとのことでした。
 「文化財の保存・修理」はいわゆる古民家の再生とは異なり、文化財を極力そのままの形で継承することが重要だそうです。
 近年では古くからある木造の建造物だけではなく、昭和以降に建てられた鉄骨造の建造物が国の重要文化財に認定されるケースも増えてきており、主任技術者に求められる知識・技術も多様化してきています。
 茅葺屋根を維持するためには、定期的な手入れと周期的な全面葺き替えが必要です。文化庁では20~30年に1度の全面葺き替えを推奨しています。これは、屋根自体の耐用年数もありますが、葺き替え技術の適切な継承という意図もあります。葺き替えまでの期間があまりにも長いと技術の継承が難しくなってしまうからです。
 後編では、33年ぶりに行われている旧長谷川家住宅の茅葺屋根の葺き替えについて詳しく紹介します。

 

掲載日:2023/12/27

 

【参考】
“新潟県の文化財一覧” 新潟県
https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/bunka/1211389257758.html.(2023年9月4日閲覧)

【取材協力】
・長岡市立科学博物館 新田康則様
・公益財団法人 文化財建造物保存技術協会 小嶋はるか様

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